だもの。
が、こうなっても竹田は、自分が今、この千本松原でいのちを落とすことになろうとは、夢にも思いません。
思わないから、えらい元気で、剣輪のなかの左膳をどなりつけました。
「不所存者めがッ! 石川様のお壺行列へ斬りこむとは、いのち知らずの大たわけめ、そこ動くなッ!」
動くななんて言わなくたって、壺を手にしない以上、左膳のほうこそ、金輪際動く気はない。
数十人の石川家家臣に取りまかれた丹下左膳は、柄《つか》もとまで血によごれた濡れ燕を、左手にぶらさげて、眠ったようにたっている。
胸がはだけ、裾はみだれて、女もののはでな長襦袢に、さわやかな潮風が吹く。
いつのまにかはだしになり、脱いだ草履を裏あわせに、帯の横ちょへはさんで、今にもくずれそうにヒョロッとつっ立っているんですから、姿は無気味だが、見たところ、とても弱そう……。
つい今しがた、これらの人間を斬り捨てた左膳の働きを、もし竹田が見ていたら、もうすこし警戒もし、また他に取るべき手段もあったでしょうが、何しろ行列の先頭にいて、知らないんです。左膳の左膳たるところを。
倒れている仲間は、あわてすぎて、たがいの剣がふれたのだろう、ぐらいに考えた竹田某は、
「竹田殿ッ、御用心なさらぬと……」
などと注意する声を背中に聞いて、いきなり抜刀をひっさげ、ツカツカと左膳の前へ出かけて行った。
「ほほう、でえじにすりゃア一生使える命、そんなに斬ってもれえてえのか」
左膳はそう言って、薄く笑った。そして、下唇を突き出して、フッフッと息を吹き上げるのは、ひたいに垂れかかる乱髪が邪魔になるのです。
竹田の存在など、てんで眼にもはいらないように、いつまでも毛を吹き上げている。
「地獄の迎えだッ!」
うめいた左膳、割り箸を開くように、二本のほそいあしがパッととびちがえたかと思うと、その上体はたいらにおどって、竹田の右肩から左脇腹へかけて一閃の白い電光がはしったと見る!
それきりです。
いばりかえった顔のまんま砂まみれに二、三度ころがった竹田の死骸。
一同は、わけのわからない叫びをあげて、ちらばりだした。
六
異様な微笑をもらした左膳、追いすがりに、タタタと砂をならして踏みきるがはやいか、また一人二人、うしろから袈裟《けさ》がけに……。
なめきっていた相手に、この、神《しん》に似た剣腕があろうとは!
石川左近将監の家来一統は、白い砂浜にごまを散らすように、バラバラバラッと――。
宰領の竹田が、血煙たてて倒れたのですから、もう壺どころのさわぎではない。
お壺の駕籠をそこへおっぽりだしたまま。
雲をかすみ。
みごとな黒塗りのお駕籠が、砂にまみれてころがっている。
走り寄った左膳は、ニッコリ顔をゆがめながら――これがほんとうの思う壺だ。
手の濡れ燕をもって、バリバリッと駕籠の引き戸を斬り破り、錦の袋につつまれた茶壺を、刀の先に引っかけてとりだした。
石川左近将監自慢の、呂宋《ルソン》古渡《こわた》りのお茶壺です。
濡れ燕を砂に突き立てた左膳。
ひとつきりの左手と、歯を使って、袋の結び目をといてみた。出てきたのは、朱紐《しゅひも》で編んだスガリをかけた、なるほど茶壺には相違ないが、目ざすこけ猿とは似ても似つかない。
が、左膳はべつに失望もいたしません。
これがこけ猿の茶壺でないことは、はじめからわかっている。
こうやって、宇治の茶匠のあいだを往来《ゆきき》する大名の壺を、かたっぱしからおそっているうちには、どういうはずみでか、何者かの手にはいった真のこけ猿に出会わないともかぎらない。こういう左膳の肚ですから、なんでもいい、壺とさえ見れば掠奪するのだ。
今日はその第一着手。
煮しめたような博多の帯に、左膳、矢立をさしている。
それを抜き取って、つぎに懐中から、懐紙を二つに折った横綴の帳面を取りだした。
表紙を見ると、左膳一流の曲がったような、一風格のある字で、
[#ここから4字下げ]
心願百壺あつめ
享保――年七月吉日
[#ここで字下げ終わり]
と書いてある。
大名の茶壺行列へ斬りこんで、これから百個の壺を集めようというのらしい。七月吉日とありますが、斬りこまれるほうにとっては、どう考えて[#「考えて」は底本では「孝えて」]もあんまり吉日ではありません。
これは、その筆初め。
片膝ついたうえに、その帳面の第一ページを開いた丹下左膳。
片手ですから、こういうときはとても不便だ。
矢立を砂に置き、筆を左手に持ちかえて、たっぷり墨をふくませたかとおもうと、
[#ここから3字下げ]
「石川左近将監殿御壺一個、百潮《ももしお》の銘《めい》あり
駿州千本松原にて」
[#ここで字下げ終わり]
と、サラサラとしたため
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