める。壺の真偽を判別する鍵が、今ここで明らかにされるのですから、対馬守、思わず真剣になった。
大きくおどるような、読みにくい文字です。
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「偽物いかに現わるるとも、急所をきわむれば、鑑別のこといと容易なり。御当家に伝わるこけ猿の壺には……」
[#ここで字下げ終わり]
一風宗匠の筆が、そこまで動いたとたん!
大勢あわただしい跫音《あしおと》が、殿様をさがすように長廊下を近づいてきて、
「殿! こちらでござりますか」
かんじんのところへ心ない邪魔が……対馬守は声をあらげて、障子そとの廊下へ、
「治太夫か。何じゃ、そうぞうしい! いま宗匠と重要な筆談をかわしておる。さがっておれッ」
治太夫と呼ばれた侍の声で、
「いえ、殿。至急お耳にいれねばならぬことが――」
「エエイッ、さがれと申すに。そっちよりこっちがたいせつじゃワ――宗匠、そのさきはどうした」
と対馬守、必死に一風に書きつづけるようにうながしますが、老宗匠の筆は、そこでハタと止まってしまって、キョトンとした顔をあげている。
気がついた対馬守、
「オオ、そうじゃったナ。いかに大声を出しても、言葉は通ぜぬのじゃったな。エイッ、世話のやける老人《としより》じゃ」
「殿、殿! 火急の儀にござりますれば……殿、殿ッ!」
「うるさいッ! このほうがよっぽど火急じゃッ」
と癇癪を起こした対馬守、いきなり宗匠の手から筆を引ったくって、ドブリと墨をつけるがはやいか、膝先の畳の上へ、手習いのような文字を書いた。
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「宗匠、それからどうした。こけ猿の壺には、どういう目印があるというのだ」
[#ここで字下げ終わり]
とこう滅茶苦茶に書き流して、ポンと筆を投げすてた。
一風宗匠は、すこしも動じません。それどころか、袋のような口で小さなあくびをしたかと思うと、手をふった。めんどうくさそうに、眉をひそめた。
もうやめた、今日はもうあきたから許してくれ、またこんど、気分のよいときに……そう言っているのだ。
いらだち切った対馬守は、声の通じないのも忘れて、宗匠の耳へ噛みつくように、
「イヤ、わしが悪かった。畳へ字など書いて、宗匠をおどろかしたのは、なんともはや申し訳ない」
一生懸命の対馬守は、宗匠の前に両手をついて、つづけさま頭をさげながら、
「サ、こんなにあやまるから、機嫌をなおして先をつづけてくれぬか。ちょっとでよいから、その真のこけ猿の目印というのを……」
一風宗匠は、おもしろい芝居でも見るように、相変わらず赤ん坊のような笑顔で、あくびの連発――もういやだ、今日は気がむかない、わしはもう寝るのじゃから、はやくあっちへ行ってくれ……そういっているようだ。
「ナア、宗匠、後生《ごしょう》じゃから、お願いじゃから――」
人に頭をさげられつづけて、生まれてからこの自分の頭をさげたことのない対馬守、ここを先途《せんど》と、平蜘蛛のようにペコペコお辞儀をしている。
四
言葉は通じないのだから、一風宗匠は平気だ。
「何をこの殿様は、てを合わせてわしを拝んだり、しきりにおじぎをしたり、ハテ、変なことをするお人だ」
と言いそうに、あっけにとられて対馬守をみつめている。
人に頭をさげる感じは、生まれて初めて。どうもあんまりいいものじゃアない。対馬守はムカムカしてくるが、いくらおこってみたところで、相手はやっぱりニコニコしているに相違ない。
それよりも。
なんとでもしてこの一風から、こけ猿真偽鑑定の法をきき出さねばならぬ。宗匠のほかにそれを知っているものは、この世に一人もないのだから。
おまけに。
そのかんじんかなめの一風宗匠、百二十歳の老体でこのたびの東海道中は、かなりむりだ。衰弱は日に日に目だつばかり。もし今夜にもポッかり逝かれでもしては……。
と思うと対馬守、気が気でありません。
青くなったり、赤くなったり、
「宗匠、三遍まわってワンと言えば、それもしよう。いかなる望みもかなえて進ぜるから、サ、こけ猿の目印を……」
ピタリ両手をついて、額を畳におしつけた瞬間。
カラリ!
廊下にむかった障子があいた。待ちきれなくなった治太夫が、殿の許しを得ずにあけてしまったのだ。
「殿! ただいまこれなる本陣の表通りに――」
言いかけた治太夫、見ると、あろうことかあるまいことか、殿様がばった[#「ばった」に傍点]みたいに平つくばって、おじぎの最中だから、
「オヤ! これは御酔狂ナ……何かお茶番でも!」
「無礼者ッ! 誰がそこをあけろと申したッ!」
醜態を見られて、対馬守はてれ半分、カンカンになってどなりつけた。
「今この畳へ、宗匠が針を落としたというから、老人のことじゃからさがしてやっておったのじゃ」
はり[#「はり」
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