、はやくかたをつけて――と。
 やけ半分のこういう覚悟だから若侍の案内で、恐る恐る対馬守の前へ出てきた儀作。髪は乱れ、衣紋はくずれ、眼が血ばしって、口を引きむすんで、相が変わっている。お側の侍二、三人は、思わず膝を浮かせて、
「田丸様の若党と申したな。しかとそれに相違ないか」
 刺客とにらんだのかもしれない。
 儀作、それに答える余裕などはありません。もうこわいのも忘れて、いきなり藩主の前にすすみ、バタリと両手をついて平伏しながら、
「申しわけござりません。手前は、田丸様の御命を奉じ、お国おもてへたち帰ります途中……持ったお壺を何やつとも知れぬ者にうばわれまして――」
「貴様の話は、サッパリわからぬぞ。壺がどうしたとやら申すが、そんなことは気にかけんでもよい」
 なぜか対馬守、――すこしもあわてません。

       六

 対馬守様は、あわてません。ちっとも。
 どなるようにつづけて、
「馬鹿なことを申せ、あの主水正が、ほんもののこけ猿を若党一人にかつがせてよこすわけはないッ。さようなものは盗まれても大事ない。それより、主水正より言いつかった使いの口上があるであろう。口上を言え口上を」
 斬られる……という覚悟で、御前に出てきた儀作は、
「ヘ?」
 と思わず首のまわりを、なでました。ああありがたい! チャンとまだついている。
「ヘェ、申し遅れましてあいすみません。田丸主水正のおっしゃるには、壺の大金はみつかった、それも、ただいまの麻布林念寺前のお上屋敷のお庭隅に、確かに埋ずめてあると申すことで、私が江戸を離れます日には、その場所に玉垣を結《ゆ》いめぐらし、人を近よらしめずに、殿の御出府をお待ち申しておりまする……」
 一座に、しばし沈黙が落ちた。さすがの対馬守さまも、お顔の色をお変えになって、
「ナニ、財宝《たから》が見つかったと?」
 半信半疑の面もちで、左右の近侍をみわたすと、
 一同、おどりたちたい衝動、さけびあげたい歓喜をこらえて、御前だから、じッとがまんをしているようす。
「上屋敷の隅に、ハテナ?」
 つぶやいた対馬守の低声《こごえ》は、皆の耳にははいらなかった。殿様はさすがに、はやくもこれには何か仔細がある、ときっとからくり[#「からくり」に傍点]がひそんでいるに相違ないとにらんだのですが、家臣のまえ、さりげなくよそおって、
「で? 主水正は、余に江戸へ出てまいれと、それでそちを迎いによこしたのか」
「ヘイ、至急に御下向をわずらわしたいと、手前お迎いのお使いなので」
「出てきたからよいではないか。ここはもう程ケ谷じゃ。江戸はつい眼と鼻のあいだ……江戸へ近づけば、日光へも近うなる……」
 家老田丸に会えば、すべてがわかることだが……かならずこの裏には、おためごかしの公儀の手が、働いているにきまっているぞ――。
 壺の財産が見つかった……どんなにおよろこびになるかと思いのほか、対馬守はだんだん蒼白に顔色を変じて、両手がブルブルとふるえてくる。いつもの癇癖《かんぺき》がつのるようすだから、お側の者は、どうしたことかとサッパリわけが解らない……鳴りをしずめています。
「エエイッ! 徳川を相手にするには、どこまでも狐と狸のだまし合いのようなものじゃ」
 人に聞かれては容易ならぬ言葉! 列座が、恐ろしさに色を失ったとたん、脇息を蹴たおしてつったちあがった対馬守、
「一風宗匠は、まだ起きておるであろうナ。コレ、案内せエ、宗匠の部屋へ!」
 その瞬間です。
 本陣前の程ケ谷宿の大通りを冴えた三味の音とともに、アレ、たかだかと流してくる唄声が……。
[#ここから3字下げ]
「尺取り虫、虫
尺取れ寸とれ
足のさきから頭まで
尺を取ったら命取れ」
[#ここで字下げ終わり]
 ああして与吉と会ったとき、あくまで知らぬ存ぜぬとしらをきりそうに見えたお藤姐御、あれから、どういう話になったものか、今こうして連れだった与吉とお藤、灯のもれる宿場町を、仲よく、唄と三味と、三味と唄と、流してゆきます。
 と、何を思ったか与の公、いちだんと大声を張りあげて、
「さわるまいぞエ、手を出しゃ痛い……」
「シッ!」
 姐御が制した。撥《ばち》をあげて。

       七

 櫛巻お藤の心では。
 アアもうフツフツいやだ。うるさいことは……。
 思う左膳は、壺とやらのとりあいから、どこかの道場のお嬢さんを見そめて、あんなにつくす自分の親切も通らず、一つ屋根の下に住んでいても、いまだに赤の他人――
 おまけにあの朝、顔色を変えてチョビ安ともども、駈け出して行ったきり、なしのつぶてである。
「エエ馬鹿らしい! どうしてあたしは、あんな、能といっては人を斬る以外、なんの取りえもない左膳の殿様なんかが、こんなにすきになってしまったんだろう。自分ながら因果な性分だ
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