二、三本立っているかげに……ツツツン、ツン、ツン、こころ静かに調子を合わせる三味の音。
やにわにそこへとびこんだ与吉、ペタンとすわって、
「オ! 姐御《あねご》! これあまア、おめずらしいところで。イヨウ! 死んだと思ったお藤さんとは、ヘヘヘ、丹下の旦那でも気がつくめえッてネ」
三
鳥追い姿のような、旅を流しの三味線ひき――。
笠の紅緒が、白い頬にくっきり喰い入って、手甲、脚絆――その脚絆の足を草に投げだした櫛巻お藤は、どこやら、風雨と生活にもまれ疲れて、とろんとよどんだ眼をあげて与吉を見ました。
と。
その顔はすぐ、いきいきとかがやいて、いたずらっぽく小首をひねったものです。
「ハテネ、たいそう慣れなれしくおっしゃるが、おまえさんは……どちらの?――」
立っていては藪《やぶ》畳の上に、腰から上だけのぞいて、儀作にみつかるおそれがあるので、与吉は壺を足にはさみこむように、ものものしくしゃがみながら、
「ナニ? 何? 姐御はおいらをお見忘れなすったというんですかい。情けねえ、ヘッ、情けねえや」
わざとらしく眼をこするのは、涙をふくしぐさのつもりで、
「十年も二十年も、会わねえってわけじゃなし――いえね、あれからまもなく、駒形高麗屋敷の尺取り横町へ、おたずねしていったんでごぜエやすが、イヤ、おどろきましたね。貸家札がぺったりと……」
「何を言うてるんだか、おまえさんの話はさっぱりわからないよ。なるほどわたしは江戸者だが、そのなんとか横町とか駒形なんかには、縁もゆかりもない方角ちがい、江戸というよりも在方《ざいかた》に近い、ひどく不粋な四谷のはずれのものなのさ」
「オウ、姐さん、ふざけちゃいけねえ、この与の公を前にして、そんなしらを切るたア、お藤姐さんもあんまりだ」
と与吉は、このまに儀作が通りすぎてくれればいいと思うから、ながびく問答をかえっていいことに、懸命に声をひそめて、
「コウ、人違いでござんすとは言わせませんや、姐御。たてから見たって横から見たって、お藤姐さんはお藤姐さんだ。ナア、またお道楽に、あの尺取り虫の踊り子を供に連れてサ、こうして気保養がてら、街道筋に草鞋をはいてでござんすか。おうら山吹きの御身分でござい。実アね、あっしもあれから……ハアテね、何からどう話してよいやら――」
そう与吉が、たてつづけに弁じても、かんじんのお藤姐御は、キョトンとした眼を見はって、ふしぎそうにまじまじと、相手の顔を見上げるばかり。
さて、ここで物語はとびます。
そう駕籠わきの侍が、つづけざまに弁じたてても、駕寵のなかの一風宗匠はキョトンとした眼をすえて、まっすぐ正面をまじまじとみつめているばかり。
「江戸からの報告は、いまだに思わしくないことのみ。御在府の御家老田丸主水正様、捜索隊長の高大之進殿、いずれも何をしているのでござりましょうなア。もはやこけ猿がみつからぬときまれば、日光御修営はいかがになるのでございましょう」
長旅の退屈まぎれに、話し続ける高股だちの武士は、ふっ[#「ふっ」に傍点]と気づいて、また苦笑をもらした。
「おう、そうであったナ。どうもいけない。一風宗匠は筆談以外には、話ができないということを、おれはすぐに忘れて……これではまるでひとりごとだ、あはははは」
そのお駕籠には、柳生藩のお茶師、百と何歳になるかわからない奇跡的な藩宝、一風宗匠がゆられているのです。
前を行く駕籠ひとつ――これはいうまでもなく伊賀藩主、柳生対馬守様。
御行列です。突然出てきたのです、柳生の庄を。
待ちくたびれたのでしょう。もうこうして、とまりを積んで東海道は大磯の宿を、一路江戸へ向かった。
四
延台寺《えんだいじ》内の虎子石。
曽我の十郎が虎御前の家へ泊まった夜、祐経《すけつね》からはなされたスパイの一人が、十郎を射殺そうと射った矢が、この石に当たったという。
それで十郎は命が助かり、いまだに石のおもては鏃《やじり》のあとが残っているそうです。
大磯といえば、曽我兄弟……。
そのほか。
西行法師で名だかい鴫立沢《しぎたつさわ》――年老いた松の、踊りの手ぶりのようにうずくまる緑の丘の上に。
あの辺に西行堂が……とお駕籠のなかから指さしながら、対馬守はひたすらに、行列を急がせて。
伊賀の暴れン坊の兄。
左手に樹木の欝蒼とした高麗寺山。
ここらの海岸は、その昔、高麗《こま》人を移住させたあとで、唐《もろこし》ケ原《はら》と言ったといいます。
花水《はなみず》川を渡ると、だんだん平塚へ近づいてくる。
いくら待っても江戸からは、こけ猿の茶壺のあたりがついたという色よい便りはすこしもない。壺ののむ財産だけが、この際、柳生にとって日光お費用《ものいり》の唯一の目当てなの
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