といいます。明け方の闇は、夜中の闇よりもいっそう深沈として――その暁闇《ぎょうあん》につつまれた左膳、源三郎、萩乃の三人は、それぞれの立場で、凝然と考えこんだままだ。
 だが、このほかにもう一人。
 うば玉の暗黒《やみ》よりも濃い心の暗闇に、すすり泣きの音《ね》をこらえている女がひとり――それは、次の間のふすまのかげに、この一伍一什《いちぶしじゅう》をもれ聞いたこの家の娘、お露でした。
 思う源三郎には、自分よりさきに、あんなにあの方をしたっているこの萩乃とやらいう美しいお嬢様がある……と知って、彼女の心は暁闇にとざされたのでした。
 萩乃は萩乃で、こんなにまでしたっている源三郎が、すこしもその愛の反応を見せてくれないのが、まるで、くらやみの山道に迷ったように、こころ寂しい。
 当の源三郎は……。
 たぶんに不良性のある彼のことだ、萩乃にしろ、お露にしろ、女という女には、面とむかえば、おざなりに、すいたらしい言葉の一つや二つは吐こうというものだが、そのすぐあとで、けろりと忘れてしまうのが、この源三郎の常なので。
 女にかけては悪魔的な源三郎。それに思いを寄せるとは、萩乃もお露も、因果なことになったものといわなければなりません。
 それよりも。
 恋する女を友情ゆえに、思いきるばかりか、こうして自分がなかだちとなって、その二人をまとめてやろうとする丹下左膳の心中、そのつらさはどんなでしょう! 四人四様に黒い霧のような心の暁闇。
「ゲッ、おれはなんだって、こんなところに、ぼんやり立って考えこんでいるんだ。ホイ、焼きがまわったか丹下左膳」
 そう思い出したように苦笑した左膳は、
「それじゃア源三、しっかり萩乃さんをかあいがってやれよ。手鍋さげてもの心意気でナ」
 もう、とめるまはなかった。
 病みほうけた源三郎が、片膝おこして追おうとしたとき、白鞘《しらざや》の刀を見るような丹下左膳の姿は、すでに部屋から、小庭から、そして木戸から、戸外《そと》のあかつきの闇黒《やみ》へのまれさっていたのでした。
「ほんとによけいなことをする人! あんなお屋敷のお嬢さんなどを、わざわざ源様のところへ引っぱってきたりなんかして、人の気も知らないで、いけすかないったらありゃアしない!」
 人知れずお露は、唐紙《からかみ》のかげで歯ぎしりをして、泣き沈んだのでしたが、これはたちさってゆく左膳の耳にはむろん、となりの部屋の萩乃、源三郎にも聞こえなかった。
 朝の闇にとけさった丹下左膳は、このつぎどこに、あの濡れ燕を駆って現われることでしょうか?
 それはしばらく、そのままにして。
 ばつの悪い思いで萩乃様の前に残されたのは、伊賀の暴れん坊です。
 許婚《いいなずけ》どころか、自分としては、もう妻という建て前で、それで丹波とお蓮様一党に対してがんばってきたのですが、こうして萩乃さまとさしむかいになってみると、伊賀の源三、てれることおびただしい。
 相手は几帳面なお嬢様育ち。それが、おもう男の前ですから、いやにかたくなっている。源三郎、すっかりもてあまし気味で、
「えへん、ウフン、ええと、イヤそのなんです。おいおい夏めいてまいりました」
 なんかと、やっている。

   畳《たた》み三味線《じゃみせん》


       一

「は?」
 と上げた萩乃の顔は、パッと美しく上気している。
 それを源三郎はじっとみつめて、
「イヤ、その、実にソノ、なんです……ときに萩乃どの、よく長いあいだ、拙者を思っていてくだされましたなア」
 と伊賀の暴れン坊、心にもないことを、例によってそんな殺し文句を吐く。
 火に油をそそぐようなもの、源三郎、よせばいいのに――でも女たらしの彼、こんなことをいうのが癖になっているものとみえる。
 日ごろの思いがやっとむくわれたように、萩乃は感じて、娘の恥ずかしさもうち忘れ、そそくさと膝をすすめた。
「あたくしほんとうに、もうもうどうなるかと思いましたわ。お兄上対馬守様とのかたいお約束によって、りっぱに道場にお乗り込みになったあなたさまを、今になって筋もなくしりぞけるのみか、あの丹波が継母《はは》うえと心をあわせて、司馬の家を乗り取ろうとしているなんてなんという恐ろしい……そのうえ、弟子どもの噂でふっ[#「ふっ」に傍点]とこの小耳にはさみましたところでは、あなた様を、なんでも穴とやらへ埋めてしまったとのこと。萩乃の胸は、つぶれるばかりでございました」
「イヤ、そうたやすく死ぬ伊賀の暴れン坊ではござらぬ」
 頼もしそうに萩乃はほほえんで、
「でも、源さまはよい御朋友をお持ちなされて、おしあわせでございます。あなた様にも、それから、このあたくしにとっても」
「ハテ、よい朋友?」
「は。あの、丹下左膳とやらいう……」
「おお、彼にはこの源三郎、近ごろ
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