と、そのおれのはいった鎧櫃が、道場の正面へかつぎ出されて、その前で遺跡《あとめ》相続のかためが始まったのだ。道場のあるじに直ろうとしているのは言うまでもなく峰丹波」
萩乃があとを受けついで、
「ハイ、丹波は、二世十方斎の名と、継母《はは》お蓮の方とを天下はれて手に入れようとの魂胆でございます。そのために、わたくしの……」
言いさした萩乃の頬は、行燈の灯を受けて、秋の入り陽にはえる紅葉のように赤い。
むすめ心にためらったが、やがて思いきって、
「わたくしの――夫ときまった源三郎様を亡き者にしようとし、また、このわたくしをも押しこめ同様に……」
すると、左膳、思い出したように笑って、手近な大刀を引きよせてホトホトと鞘《さや》をたたきながら、
「コレ、濡れ燕、おめえもよく働いてくれたが、残念だったなア、丹波をうちもらしたのは」
じっと何か考えこんでいたが、不意にほがらかに、
「サ、これでいい。萩乃と源三郎を会わしてしまえば、丹下左膳の役目はすんだのだ。サア、おれはこれから……」
濡れ燕をトンと杖について、左膳、やにわに起とうとするから、源三郎はあわてて、
「オイ、ちょっと待ってくれ。萩乃とおれを二人きりにして――困るなア、どうも」
四
左膳は中腰のまま、
「惚れられた女と二人きりになって、困るってやつもなかろうじゃアねえか、ハッハッハッハ」
「イヤ、ところがその、実は、その……」
と源三郎は、しどろもどろだ。
真っかにはにかんでいる萩乃を左膳は首を動かして、チラと見ながら……左の眼しかないので、首ごと動かさないと横のほうは見えないのだ。
かわいそうな丹下左膳、泣くように苦笑して、
「イヤ、どう考えても、おらアこの場のよけいもんだよ。萩乃さんにうらまれねえさきに、消えてなくなったほうがかしこそうだぜ」
「イエ、あの、けっしてそんなことは――」
やっとそれだけ口にした萩乃、自分に対する左膳の胸中など、知る由もないから、なんというこまかい心づかいをしてくださる苦労人であろう! こわいばかりがこの方の身性ではない。ほんとうに思いやりのある!……と、眼に千万無量の感謝をこめて左膳を見あげ、
「なんとお礼を申しあげてよいやら――あの、源三郎さま、こちら様のおかげで、こうしてあなた様のもとへ連れて来ていただくことができました。どうかお礼をおっしゃって」
源三郎は迷惑顔、
「だが、何もおれが、萩乃さんをつれて来てくれと頼んだわけじゃアなし――」
「コレ、源三! てめえ何を言う。おれはおめえのためにしたんじゃアねえのだ。萩乃さんの心を察して、この出しゃばりな役をつとめたのだよ。こんなにおめえ一人を思っている萩乃さんの心中を、すこしでも考えたら、こら、源三、そんな口はきけめえが」
起ちあがった左膳は、濡れ燕の鞘尻で帯をさぐりながら、ぐっと落し差し……一本きりの左の手を、懐《ふところ》ふかくのんで、ブラリと歩きだしながら、
「源三、こんなに女の子に思われるのは、あだやおろそかなことじゃアねえぞ……」
そういう左膳の声は、かすかにふるえて、
源三郎はいつしか、キチンと床の上にすわりなおしていた。
「しかし、弱ったなあ。今ここへ萩乃を置き去りにされても……マア、左膳、頼むから、もうすこしおれといっしょにいてくれ」
「いたくても、萩乃さんの邪魔になる。このひとがどんなにおめえを恋いしたっているか――それを思ったら源三、な、すこしもはやくからだを丈夫にして、首尾よくあの道場を乗っ取れよ。なア、そのときあこの丹下左膳、大手を振って遊びにゆくぞ、ハッハッハ」
「こ、これ、あなたもいっしょに、左膳を止めてください」
と源三郎は、萩乃へ、
「私があぶないところを助かったのは、みなこの左膳のおかげだ。穴の底から三方子川へ浮かびあがることのできたのも、また、この家のあるじ漁師六兵衛に救われたのも、みんな左膳がいたればこそだ。萩乃、こころから左膳に礼を言ってくれ」
萩乃は、あらたまって左膳の前に両手をつき、
「なにから何まで、ほんとうにありがとうございました。源三郎様のことといい、今夜のことといい、御恩は生涯忘れはいたしません」
その、身も世もなくよろこばしそうなようすを、左膳はしばらくじっと見おろしていたが、
「イヤ、萩乃さん、あんたにそう言われただけで、おれは、このうえの満足はない。無事な源三の顔が見られて、うれしいだろうなア萩乃さん」
「ハ、はい……」
「ははははは、そうだろうなあ。大事にしてあげなさいよ。源三、行くぜ」
「さ、さ、左膳。ド、どこへゆく?」
「どこへ? それはおれにもわからぬ。この腰の濡れ燕にきいてくれ」
五
夜明けの一刻《いっとき》前……。
闇黒《やみ》がひときわ濃いときがある
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