ばしますように――」
「こんどというこんどは、おれも、人の情けが身にしみた。あの左膳……本来なら敵味方、おれにかまわずにどこへでも行ってくれと、毎日頼むように言うのだが、このおれが達者になるのを見すますまでは、どんなことがあってもわしのそばを離れぬと言う。そして、お露どのもごらんのとおり、あの、かゆいところへ手のとどくような左膳の看護《みとり》じゃ。男を泣かすのは男の友情だということを、わしはこんどはじめて、つくづくと知ったよ」
左膳のことばかり言われるのがお露には、少女らしい胸に、不服なのか、
「はい。ほんとうに……」
と言ったきり、うつむいている。源三郎も、すぐその心中に気がついた体《てい》で、
「ハハハハハ、左膳ばかりではない。親爺六兵衛殿といい、イヤ、誰よりもお露さんの親切、生涯胆に銘じて忘れはいたさぬ」
「そんなお義理のようなお礼など――」
お露は、ちょっとすねて。
「それよりも、どうぞいつまでも……いつまでも御病気のまま、アノ、あまり早くよくおなりにならないように――」
「これは異なことを、いつまでも病気でおれとは――」
「でも御病気なればこそ、このむさくるしいあばら屋においであそばして、わたくしのような者まで、朝夕お側近くお世話させていただいておりますが、おなおりになれば、りっぱな御殿へお帰りあそばして、美しい奥方をはじめ、大勢の腰元衆に取りかこまれ……」
パッと顔をかくしたお露の耳は、火のように赤い。それよりもまごついたのは源三郎で、自分が伊賀の柳生源三郎ということは、知らしてない、どこの何者とも身分をつつんでいるのですから、
「何を言わるる。私はそんな者ではない。左膳と同じ、御家人くずれのやくざ侍……」
「それならば、なお心配で。江戸には、美しい娘さんが、たくさんいなさるとのこと――」
「しかし、お露さんほどきれいなのは、そうたんとはあるまいテ」
と源三郎、意識して言うわけではありませんが、ふと、こんな言葉が口を出るのが、そこがソレ、女にかけて不良青年たる源三郎のゆえんでありましょう。自分がそんなことを言えば、それがどんなに強く相手の胸にひびくかも考えないで。
「アラ、あんなことばっかり……」
お露が、両手で顔をおおって、指のあいだからじっ[#「じっ」に傍点]と源三郎をみつめたとき、縁にむかった障子がガラッとあいて、
「源三エ、みやげだ。ソレ受け取れッ!」
左膳の片手に押されて、はなやかな風のように、バタバタと部屋へはいってすわったのは、萩乃……。
左膳もその横手に、ガッキとあぐらを組んだが、お露は、もうはじかれたように逃げだして、その姿はすでに室内になかった。
三
あらっぽい左膳の友情……。
萩乃は、その左膳に押されて、くずおれるように座敷へはいったとき、むこうのふすまのかげに、チラと赤い帯の色が動いて、誰か若い女が出て行ったようす。
逃げるようにお露の去ったのを萩乃は眼ざとく、眼のすみで意識しながら、たえてひさしい源三郎の前に、お屋敷育ちの三つ指の挨拶。
「源三郎さま、おひさしぶりでございます。あなた様は、もうどうおなりあそばしたかと、お案じ申しあげておりましたに、よくまア御無事で――源三郎さま、おなつかしゅうございます」
やっとひとりの女が去ったかと思うと、また一人。
女難に重なる女難に、源三郎は、その切れのながい眼をパチクリさせて、かたわらにすわっている左膳をかえりみ、
「これはいったいなんとしたのだ、左膳」
「ワハハハハハ、おれがいたとて、遠慮は無用だ。だきつくなり、手を取るなりするがよい。それとも、こんな化け物でも、人間のはしくれであってみれば、人前でイチャツクことはできねえと言うのなら、おらア、ドロドロと消えるとしよう。アッハッハッハ」
豪快な笑いの底に流れる、身を切るような一抹の哀愁……源三郎も萩乃も、それに気のつくすべのないのは、やむをえないが。
左膳が、火のように恋している萩乃は、いま、死んだと思ったすきな男を眼の前にして、この、狂気のような喜びようである。それを見ていなければならない左膳の苦悩は、煮えたぎる鉛の沼。
剣魔左膳の恋は、誰も知らない。誰も知らない。病犬のように痩せほそった左膳の肋《あばら》骨の奥と、膝わきに引きつけた妖刀濡れ燕のほかは。
どうして萩乃がここへ――。
と、源三郎は、なおも不審顔です。
左膳の一眼、萩乃と源三郎をかたみに見ながら、
「おれは今朝、源三にだまってブラリとここを出たが、あの足ですぐ妻恋坂の道場へ行ってみると、何やら今夜儀式があるとかで、屋敷じゅうざわめいているじゃねえか。これはさいわいと土蔵へ忍びこみ、鎧櫃にひそんでいると……ナア源三郎、これがおめえのまだ運のつきねえところというのだろう。夜になる
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