手前たちのなまあったけえ血に濡れてえといって、さっきから羽搏《はばた》きをしてきかねえのだ。ソーラ! この羽ばたきの音がてめえたちには聞こえねえかッ!」
と左膳、左腰に差した大刀の鍔元を、一本しかない左手に握って、体《たい》を落としざま、ゆすぶった。
カタカタと、鍔が鳴る。
一同は立ちすくんでいます……すわっているのは、丹波だけ。
先生、腰が抜けたんじゃアあるまいな。
おいらが手引きを
一
「丹波ア……!」
鬼哭《きこく》を噛むような、左膳の声が。
「汝アこの女――」
と左膳、かたわらにいすくむお蓮様へ、キラリと一眼をきらめかせたのち、
「汝アこの女と、同じ穴の狸だな、イヤさ、同臭のやからだな」
ぐっと調子をさげて、
「おもしれえ。おれア伊賀の源三郎に、なんの恨みつらみもねえ痩せ浪人。だがナ、人間にゃア縁ごころてえものがある。またこの丹下左膳の胸には、男の意気というものがあるのだ!ッ」
ひとことずつ言葉を句ぎって、そのたびに左膳、一歩一歩と峰丹波に近づく。
どうしてこの鎧櫃のなかに、人もあろうに、この白面の殺人鬼がひそんでいたのだ?
愕然呆然たる丹波の胸中を、雨雲のごとく、あわただしく去来するのは他《た》なし、この疑念のみ。
だが。
そんな詮索は、今のところゆとりがない。たぶん、この煙のような刃妖左膳のことだから、いつのまにか土蔵へ忍びこみ、鎧櫃へ……としか推量のくだしようがないのだ。
そんなことは、さておき。
あわよく跡目を相続して、表むきこの道場を乗っとろうとする間際に、このもっとも恐れているじゃま者が、鎧櫃からわき出たのですから、さすがの短気丹波、口がきけないのもむりはない。
ビックリ箱からお化けが出た形。
半顔の刀痕をゆがめ、あごをななめに突き出した左膳、なにかこう押しつけるように、ソロリソロリと自分の前へせまってくるから、丹波、仰天した。
そのとたんに、声が出た。子供のシャックリは、驚かせると止まりますが、ちょうどあんなようなもので。
「ブ、ブ、無礼者! 諸子、何をしておるッ! かかれ! かかれッ!」
たてつづけにさけんだ。同時に、腰も立った。
起つと同時に、パッとはねた裃の片袖、そいつが丹波の背中に、やっこ凧のようにヒラヒラして、まるで城中刃傷の型……からだが大きくて、押し出しがりっぱですから、さながら名優の舞台を見るよう。
早くもその手には、引き抜かれた一刀が、秋の小川と光って――。これが、不知火流でいう沖の時雨《しぐれ》。
サッと水をきるように、そして、しぐれの一過するようにひらめくという、居合の奥許しなんだ。
同秒……。
今まで唖然としていた門弟一同の手にも、それぞれしろがねの延べ棒のようなものが、百目蝋燭の灯にチラチラと映えかがやく。剣林一度に立って、左膳をかこみました。
萩乃は? お蓮様は? と見れば、すでにこのとき、女二人の影はありません。二、三の弟子や侍女に助けられて、血の予想に顔をおおったお蓮様と萩乃の跫音《あしおと》が、そそくさと乱れつつ、はるか廊下を遠ざかって行く。
そのとき、司馬の一同、ギョッと声をのんだのは、四ツ竹のような左膳の笑い声が、低く、低く、道場の板敷いっぱいに低迷したからで。
「ウフフ、うふふ、そっちが同じ穴の狸なら、こっちは、おれと源三郎は、同じ穴の虎だ。恩も恨みもねえ伊賀の暴れん坊だが、左膳を動かすのは、義と友情の二つあるだけ。おれは源三郎になりかわって、すまねえが、丹波の首をもらいに来たのだよ」
いつのまにか斬尖《きっさき》、床を指さしている濡れ燕……。
下段の構えだ。
二
世の中に、こわいもの知らずほど厄介なものはありません。
いま、抜刀を下目につけて、喪家の痩せ犬のように、曲《きょく》もなく直立している左膳の姿を眼の前にして。
これを、組みしやすしとみたのが不知火流の若侍二、三人。
おのが剣眼が、そこまでいっておりませんから、相手の偉さ、すごさというものがすこしもわからない……こわいもの知らずというのは、ここのことです。
「身のほど知らずのやつメ、鬼ぞろいといわれる当道場へ、よくも一人で舞いこみおったな」
「鎧櫃から化け物浪人とかけて、なんと解く――晦日《みそか》の月と解く。心は、出たことがない」
なんかと、なかにはのんきなやつがあって、そんな軽口をたたきながら、もうすっかりあいてをのんでかかった気。
抜きつれるが早いか、前後左右、正眼にとって――。
よしゃアよかったんです。
痩せこけた左膳の頬肉が、虫のはうようにピクピクと動いた。
「よいか。血の雨のなかを、縦横無尽に飛び交わしてくれよ濡れ燕」
じっと自分の剣を見おろして、そうつぶやいたかとおもうと! 殺
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