な左膳の微笑。
「二本さして侍《さむれえ》だといったところで、主君や上役にぺこぺこしてヨ、御機嫌をとらねえような御機嫌をとって、仕事といやア、それだけじゃアねえか。おもしろくもねえ。かく河原住まいの丹下左膳、こんなさっぱりしたことはないぞ」
「へえ、さようで――」
と、撥《ばち》をあわせながら、与吉、気が気でない。その左膳のうしろに、あのチョビ安の小僧が、お小姓然と、ちゃんと控えているんで。
しかも、こけ猿の包みを両手に抱えて。
妙《みょう》な裁判《さいばん》
一
この丹下左膳は。
いつか、金華山沖あいの斬り合いで、はるか暗い浪のあいだに、船板をいかだに組んで、左膳の長身が、生けるとも死んだともなく、遠く遠く漂い去りつつあった……はずのかれ左膳、うまく海岸に流れついたとみえて、こうしていつのまにか、ふたたび江戸へまぎれこみ、この橋の下に浮浪の生活をつづけていたのだ。
が、いまの与吉には、そんなことは問題でない。
左膳のうしろにチョコナンとすわっているチョビ安をにらんで、どう切りだしたものかと考えている。
何しろ、チョビ安のそば、左膳の左手のすぐ届くところに、鹿の角の形をした、太短い松の枯れ枝が二本向い合せに土にさしてあって、即妙《そくみょう》の刀架け……それに、赤鞘の割れたところへ真田紐《さなだひも》をギリギリ千段巻きにしたすごい刀《やつ》が、かけてあるのだから、与吉も、よっぽど気をつけて口をきかなければならない。
まず……。
「へへへへへ」と笑ってみた。
「ちょっと伺いやすが、そのお子さんは、先生の、イエ、丹下の旦那様のお坊っちゃまなので――?」
すると、左膳、すぐにはそれに答えずに、夢を見ているような顔だ。
「今は左膳、根ッからの乞食浪人……これでチョイチョイ人斬りができりゃア、文句はねえ。どうだ、与吉、思う存分人を斬れるような、おもしれえ話はねえかナ。どこかおれを人殺しに雇ってくれるところはねえか」
ほそい眼を笑わせて、口を皮肉にピクピクさせるところなど、相変わらずの丹下左膳だ。
そろそろおいでなすったと、与吉は首をすくめて、
「へえ。せいぜい心がけやしょう。それはそうと丹下の殿様、そこにおいでの子供衆は、そりゃいってえ……」
「うむ、この子か。知らぬ」
「まるっきり、なんの関係《かかりあい》もおありにならないんで?」
「おめえより一足さきに、この小屋へ飛びこんで来たのだ」
と聞いて与吉、急に気が強くなって、
「ヤイ! ヤイ! チョビ安といったナ。ふてえ畜生だ。こんなところへ逃げこんでも、だめだぞ。さ、その壺をけえせ!」
と、どなったのだが、チョビ安はけろりとした顔で、
「何いってやんで! 小父ちゃんこそ、おいらからこの包みをとろうとして、追っかけて来たんじゃアねえか。乞食のお侍さん、あたいを助けておくんなね。この小父ちゃんは、泥棒なんだよ」
二
与吉はせきこんで、
「餓鬼のくせに、とんでもねえことを言やアがる。てめえが其箱《それ》を引っさらって逃げたこたア、天道さまも御照覧じゃあねえか」
「やい、与吉、おめえ、天道様を口にする資格はあるめえ」
左膳のことばに、与吉がぐっとつまると、チョビ安は手を拍《う》って、
「そうれ、見な。あたいの物をとろうとして、ここまでしつこく追っかけて来たのは、小父ちゃんじゃあねえか。このお侍さんは、善悪ともに見とおしだい。ねえ、乞食のお侍さん」
与の公は、泣きださんばかり、
「あきれた小倅《こせがれ》だ。白を黒と言いくるめやがる。やい! この壺は、こどものおもちゃじゃねえんだぞ。こっちじゃア大切なものだが、何も知らねえお前《めえ》らの手にありゃあ、ただの小汚《こぎた》ねえ壺だけのもんだ。小父ちゃんが褒美《ほうび》をやるから、サ、チョビ安、器用に小父ちゃんに渡しねえナ」
「いやだい!」チョビ安は、いっそうしっかと壺の箱を抱えなおして、
「あたいのものをあたいが持ってるんだ。小父ちゃんの知ったこっちゃアねえや」
眼をいからした与吉、くるりと裾をまくって、膝をすすめた。
「盗人|猛々《たけだけ》しとはてめえのこったぞ。いいか、現におめえは、おいらの預けたその箱をさらって、ドロンをきめこみ、いいか、一目山随徳寺《いちもくさんずいとくじ》と――」
「うめえうそをつくなあ!」
とチョビ安は、感に耐えた顔だ。
与吉、ピタリとそこへ手をついたものだ。
「チョビ安様々、拝む! おがみやす。まずこれ、このとおり、一生の恩に被《き》やす。どうぞどうぞ、お返しなされてくだされませ」
「ウフッ! 泣いてやがら。おかしいなあ!」
「なにとぞ、チョビ安大明神、ところてんじくから唐《から》日本の神々さま、あっしを助けるとおぼしめして――」
チョビ安、どこ吹く風と、
「小父ちゃん、あきらめて帰《けえ》んな、けえんな」
「買うがどうだ!」
与吉は必死の面持ち、ぽんと上から胴巻をたたき、
「一両! 二両! その古ぼけた壺を二両で買おうてんだ、オイ! うぬが物をうぬが銭《ぜに》出して買おうなんて、こんなべらぼうな話アねえが、一すじ縄でいく餓鬼じゃアねえと見た。二両!」
「じゃ、清く手を打つ……と言いてえところだが」
とチョビ安、大人のような口をきいて、そっくり返り、
「まあ、ごめんこうむりやしょう。千両箱を万と積んでも、あたいは、この壺を手放す気はねえんだよ、小父ちゃん」
三
その時まで黙っていた丹下左膳、きっと左眼を光らせて二人を見くらべながら、
「ようし。おもしれえ。大岡越前じゃアねえが」
と苦笑して、
「おれが一つ裁《さば》いてやろうか」
「小父ちゃん、そうしておくれよ」
「殿様、あっしから願いやす。その御眼力をもちまして、どっちがうそをついてるか、見やぶっていただきやしょう。こんないけずうずうしい餓鬼ア、見たことも聞いたこともねえ」
「こっちで言うこったい」
「まア、待て」
と左膳、青くなっている与吉から、チョビ安へ眼を移して、にっこりし、
「小僧、汝《われ》ア置き引きを働くのか」
置き引きというのは、置いてある荷をさらって逃げることだ。
これを聞くと、与吉は、膝を打って乗りだした。
「サ! どうだ。ただいまの御一言、ピタリ適中じゃアねえか。ところてん小僧の突き出し野郎め! さあ壺をこっちに、渡した、わたした!」
チョビ安は、しょげ返ったようすで、
「しょうがねえなあ。乞食のお侍さん、どうしてそれがわかるの?」
「なんでもいいや。早く其壺《そいつ》を出さねえか」
と、腕を伸ばして、ひったくりにかかる与吉の手を、左膳は、手のない右の袖で、フワリと払った。
「だが、待った! 品物は与吉のものに相違あるめえが、返《けえ》すにゃおよばねえぞ小僧」
「へ? タタ丹下の殿様、そ、そんなわからねえ――」
「なんでもよい。壺はあらためて左膳より、この小僧に取らせることにする」
よろこんだのは、チョビ安で、
「ざまア見やがれ! やっぱりおいらのもんじゃアねえか。さらわれる小父ちゃんのほうが、頓馬《とんま》だよねえ、乞食のお侍さん」
「先生、旦那、いやサ、丹下様」
と与吉は、持ち前の絡み口調になって、
「あんまりひでえじゃあござんせんか。あっしゃアこのお裁きには、承服できねえ」
「なんだと?」
左膳の顔面筋肉がピクピクうごいて、左手が、そっと、うしろの枯れ枝の刀かけへ……。
「もう一ぺん吐かしてみろ!」
「ま、待ってください。ナ、何もそんなに――」
ぐっと左膳の手が、大刀へ伸びた瞬間、これはいけないと見た与の公、
「おぼえてやがれっ!」
と、チョビ安へひとこと置き捨てて、その蒲鉾《かまぼこ》小屋を跳び出した。
親《おや》なし千鳥《ちどり》
一
いくら大名物《おおめいぶつ》のこけ猿でも、いのちには換えられない……と、与吉が、ころがるように逃げて行ったあと。
朝からもう何日もたったような気のする、退屈するほど長い夏の日も、ようやく西に沈みかけて、ばったり風の死んだ夕方。
江戸ぜんたいが黄色く蒸《む》れて、ムッとする暑さだ。
だが、橋の下は別世界――河原には涼風が立って、わりに凌《しの》ぎよい。
ゲゲッ! と咽喉の奥で蛙《かわず》が鳴くような、一風変わった笑いを笑った丹下左膳。
「小僧、チョビ安とか申したナ。前へ出ろ」
「あい」
と答えたが、チョビ安、かあいい顔に、用心の眼をきらめかせて、
「だが、うっかり前へ出られないよ。幸い求めしこれなる一刀斬れ味試さんと存ぜしやさき、デデン……なんて、すげえなア。嫌だ、いやだ」
左膳は苦笑して、
「おめえ、おとなか子供かわからねえ口をきくなあ」
「口だけ、おいらより十年ほどさきに生まれたんだとさ」
「そうだろう」左膳は、左手で胸をくつろげて、河風を入れながら、
「誰も小僧を斬ろうたア言わねえ。ササ、もそっとこっちへ来い。年齢《とし》はいくつだ」
チョビ安は、裾をうしろへ撥《は》ね、キチンとならべた小さな膝頭へ両手をついて、
「あててみな」
「九つか。十か」
「ウンニャ、八つだい」
「いつから悪いことをするようになった」
「おい、おい、おさむれえさん。人聞きのわりいことは言いっこなし!」
「だが、貴様、置き引きが稼業《しょうべえ》だというじゃあねえか」
「よしんば置きびきは悪いことにしても、何もおいらがするんじゃアねえ。みんな世間がさせるんだい」
「フン、容易ならねえことを吐かす小僧だな」
「だって、そうじゃアねえか。上を見りゃあ限《き》りがねえ。大名や金持の家に生まれたってだけのことで、なんの働きもねえ野郎が、大威張りでかってな真似をしてやがる。下を見りゃあ……下はねえや。下は、あたいや、羅宇屋《らうや》の作爺《さくじい》さんや、お美夜《みや》ちゃんがとまりだい。わるいこともしたくなろうじゃアねえか」
「作爺とは、何ものか」
「竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋で、あたいの隣家《となり》にいる人だよ」
「お美夜と申すは?」
「作爺さんのむすめで、あたいの情婦だよ」
二
「情婦だと?」
さすがの左膳も、笑いだして、
「そのお美夜ちゃんてえのは、いくつだ?」
「あたいと同い年だよ。ううん、ひとつ下かも知れない」
「あきれけえった小僧だな」
「なぜ? 人間自然の道じゃアねえか」
今度は左膳、ニコリともしないで、
「おめえ、親アねえか」
ちょっと淋しそうに、くちびるを噛んだチョビ安は、すぐ横をむいて、はきだすように、
「自慢じゃアねえが、ねえや、そんなもの」
「といって、木の股から生まれたわけでもあるまい」
「コウ、お侍さん、理に合わねえこたア言いっこなしにしようじゃねえか。きまってらあな。そりゃあ、あたいだってね、おふくろのぽんぽんから生まれたのさ」
「いやな餓鬼だな。その母親《おふくろ》や、父《ちゃん》はどうした」
「お侍さんも、またそれをきいて、あたいを泣かせるのかい」
とチョビ安、ちいさな手の甲でぐいと鼻をこすって、しばらく黙したが、やがて、特有のませた口調で話し出したところによると……。
このチョビ安――名も何もわからない。ただのチョビ安。
伊賀の国柳生の里の生れだとだけは、おさな心にぼんやり聞き知っているが、両親は何者か、生きているのか、死んだのか、それさえ皆目《かいもく》知れない。どうして、こうして江戸に来ているのか……。
「それもあたいは知らないんだよ。ただ、あたいは、いつからともなく江戸にいるんだい」
とチョビ安は、あまりにも簡単な身の上ばなしを結んで、思い出したようにニコニコし、
「でも、あたいちっとも寂しくないよ。作爺ちゃんが親切にしてくれるし、お美夜ちゃんってものがあるもの。お美夜ちゃんはそりゃあ綺麗で、あたいのことを兄《にい》ちゃん兄ちゃんっていうよ。早く大きくなって夫婦《めおと》になりてえなあ」
いいほうの左の眼をつぶって、じっと聞いていた左膳、何やらしんみりと、
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