からチョビ安が、こう言った、そのことばに、左膳ははじめてわれに返ったように、
「安、丹波の一党は、どこかこの近くにひそんでいるに相違ねえ。これからお藤の家へ帰って、壺の中身をあらためたが最後、旅に出なくちゃアならねえからだだ。そうすれあ二|月《つき》、三|月《つき》、埋宝の場処によっては二年、三年、江戸に別れをつげなくちゃあならねえ。発足前にとっくりと、源三郎の生死をたしかめてえものだが――」
「うむ。そんならねえ、父《ちゃん》、あすの朝までこの辺をウロウロして、それとなくあたってみようじゃあねえか」
 このチョビ安の提案に、同意した左膳は、その、寮の焼け跡から近くへかけて、まるで岡っ引きのように木の根、草の葉にも心をそそいで、歩きまわっているうちに……。
 その日は、終日|埃《ほこり》っぽい風がふきすさんで、真《ま》っ黒にこげた焼け跡の材木から、まだ立ちのぼっている紫の煙を、しきりに横になびかせていた。
 宏壮……ではなかったにしても相当な建物だったのが、一夜のうちに焼け落ちて見る影もない。残っているのは土台石と、台所の土間に築いたへっついだけ。雲のゆききにつれて、薄陽が落ちたり、かげったりしながら、早くも夜となりましたが、左膳とチョビ安の姿は、黒い壁のような闇がおそってきても立ち去ろうとしなかった。
 蕭条《しょうじょう》たる屋敷跡に、思い出したようなチョビ安の唄声が、さびしくひびく。
 どこかに源三郎が生きているような気がして、それを見つけだすまでは、左膳はどうしても、この場をはなれることができなかったのです。
 どこかに。
 そして、この近くに。
「やい、安公《やすこう》、つるぎの恋人の源三郎をとられて、おらあ、この隻眼から、涙が出てならねえんだ。今夜だけは、そのかなしい歌をうたわねえでくれよなア」
「ウム、そうだったねえ。ほんとの父《ちゃん》やおっ母《かあ》は、行方知れずでも、あたいには、こんな強い父ちゃんがあるんだったねえ」
 焼け残りの材木に腰かけて、ぽつねんと考えこんでいた左膳、とうとう焼け跡に一夜を明かして、やっとあきらめて起ちあがった時!
 朝靄の中から、突如人声が生まれた。
[#ここから1字下げ]
「向うの辻のお地蔵さん
 ちょいときくから教えておくれ
 あたいの父《ちゃん》はどこへ行《い》た
 あたいのお母《ふくろ》どこにいる――」
[#ここで字下げ終わり]

       三

「ナニ、源三郎様にかぎって、さような死をおとげなさるはずはない」
「それにしても、陰謀の巣へ、単身お乗りこみになったとは、いささかお考えが浅うござったワ」
「腕に自信がおありだったから、かえって危険を招くことにもなる」
 乳のような濃い朝霧をわけて、息せききってここへ駈けつけてきたのは、安積玄心斎と谷大八の注進によって、麻布上屋敷の尚兵館《しょうへいかん》をあとにした伊賀侍の一団。
 麻布から向島のはずれまで、たいへんな道のりです。
 高大之進、井上近江、喜多川頼母ら、四、五人の頭株は、途中から辻駕籠にうち乗り、他の者はそれにひきそって、朝ぼらけの江戸を斜《はす》かいにスッとんできたのだから、明けやらぬ町の人々はおどろいて、何事が起こったのかと見送っていた。
 客人大権現《まろうどだいごんげん》に近く……。
 司馬寮の焼け跡にころがるように行きついた一同。
「アッ! またあの、隻眼隻腕の侍が!」
 と、誰かが指さす方を見やると。
 奥座敷だったとおぼしいあたりに、大小二つの人影が、ヌッと並び立っている。
 駕籠をおりたった高大之進は、部下をしたがえて左膳へ近づきながら、ニヤニヤして、
「よく逢うな、貴公とは……いつぞや、あの駒形のなんとかいう女芸人の家で、その子供の生命とひきかえに、にせの壺のふたをあけて以来――」
「ウム、ひさしぶりだ」
 あのときの斬りあいで、丹下左膳の腕前は十分に知っているから、高大之進もゆだんをしない。うちつづく同勢へ、チラチラと警戒の眼を投げながら、
「シテ、貴公がどうしてここへ?」
「源三郎に会いに来たのだ」
「その源三郎様は焼死なされたと聞いて、われらかくあわてて推参いたしたわけだが」
「死んだ源三郎にしろ、生きている源三郎にしろ、伊賀の源三に会わねえうちは、おれは一歩もここをどかねえつもりだ」
 チョビ安は左膳のうしろにせまり帯につかまって、とりまく伊賀の連中を、かわいい眼でにらみまわしている。
 高大之進はつめよるように、
「こけ猿の壺をさがしもとめて、われらは毎日江戸の風雨にさらされておる始末。また源三郎さまは、婿入り先の司馬道場の陰謀組のために、今この生死もさだまらぬおんありさまじゃ。これと申すも、みな、其方《そのほう》ごときよけいなやつが、横合いから飛びだして、壺を私せんとしたため」
「おいおい、それは話がちがうぞ。源三郎がここで火事にあったのは、かれのかってだ。壺は、強い者が手に入れるだけのこと。おれは何も、じゃまだてしたおぼえはねえ」
「言うなッ! 貴様は壺の所在《ありか》をぞんじておろう。ここであったがもっけの幸いだ。一刻もあらそう壺の詮議……ありかを知っておったら言えっ。まっすぐに申しあげろっ!」
「なんだ、それは。へたな八丁堀の口真似か――ふむ。こけ猿の所在は、まったくこの丹下左膳が承知しておる。いや、壺はおれの手にあるのだ。が、むろん、お前らに渡してやるわけはねえ」
「よしッ、きかぬ。それ、おのおの方……」
 時日はせまる、壺はわからぬ、上役にはせきたてられる……で、自暴自棄になっている高大之進、いきなり、抜いたんです。

       四

 同時に。
 尚兵館の若侍たちは、一時にパッと飛びのいて、遠巻き……。
 その手に、一本ずつ秋の流水が凝《こ》ったと見えるのは、一同、早くも抜きつれたのだ。
「理不尽!」
 口のなかでうめいた左膳は、左手で、ちょっとチョビ安をかばいながら、顎を突きだし、顔を斜めにして高大之進を見やった。
 その鼻先にドキドキする高大之進の斬っ尖が、ころあいをはかってヒクヒク突きつけられている。
 ニヤリと笑った左膳だ。
「フム。そんなにおれを斬りてえのか、おい! そ、そんなにこの左膳の血を見てえのかっ」
 と、ひとことずつせりあがるように、
「イヤサ、どうでも手前《てめえ》らは斬られてえのだな。ウム? 死にてえのだナ?」
 くぎるように言いながら、そっと左右に眼をくばった剣妖左膳、ものうそうに欠伸《あくび》まじりに、
「血迷ったな、伊賀侍ども。よしっ、相手になってやるっ!」
 言葉の終わらぬうちに、足をひらいた左膳、ツと体《たい》をひくめたかと思うと、腰をひねって流し出した豪刀濡れ燕の柄! たっ! と音して空《くう》につかむより早く……。
「洒落《しゃら》くせえっ!」
 正面の敵、高大之進はそのままにしておいて。
 白いかたまりのように、横ッ飛びに左へ飛んだ丹下左膳は、その左剣を、抜き放ちに後ろへ払って。
 折りから――。
 左膳をめがけて跳躍にうつろうとしていた大垣七郎右衛門の脾腹《ひばら》を、ななめに斬りさげた。
 血|飛沫《しぶき》たててのけぞる七郎右衛門の武者袴に、時ならぬ牡丹《ぼたん》の花が、みるみるにじみひろがってゆく。
 青眼の構えよりも、すこしく左手を内側に締めこんで、剣尖《けんさき》をややさげ、踏みだした左の膝をこころもち前のめりにまげて、立ったまま、一眼をおもしろそうに笑わせて立っている。
 焼け野の鬼……。
 何しろ、おそろしく足場がわるいんです。焼けた梁《はり》や板、柱の類が累々《るいるい》とかさなっているその一つへ、痩せさらばえた片足をチョンとかけて、四方八方前後左右へ眼をちらす丹下左膳……見せたい場面です。
「一人っ!」
 その時、ほがらかな声がひびいたのは、チョビ安が、そう大きく数えはじめたのだ。
 のんきなやつで、チョビ安、手に一本の小さな焼け棒ッ杭《くい》をひろって、包囲する伊賀勢の剣輪をもぐってかこみの外《そと》へ走りぬけた。
 鬼神のような左膳の剣技にどぎもを抜かれて、一同は、子供などにはかまっていない。
 チョビ安はやすやすと、地境《じざかい》に焼け残っている土蔵の横へ駈けつけた。
 そして、くすぶった白壁に、一と大きく数字を書きつけました。
 左膳が一人ずつ斬りたおすそばから、チョビ安はここで記録をつける気とみえる。どうも洒落《しゃれ》たやつで。
 左膳は?
 と見ると。

   から馬《うま》


       一

 令嬢萩乃の寝部屋で、脇本門之丞が真っぷたつになっていたのだから、司馬道場の人たちは、おどろいた。
 師範代玄心斎、谷大八とともに、源三郎にくっついていったはずの門之丞が、どうして一人だけここに……?
 萩乃は、死者を傷つけるがものもないと、やさしい心やりから、
「姓は丹下、名は左膳とかいう、隻眼隻腕の怖《こわ》らしい浪人者が、こけ猿の茶壺をねらって、深夜忍びこんできたのを、折りからひとりかえったこの門之丞が、とりおさえようと立ちむかったため、この最期――」
 と、真相はおのれの小さな胸ひとつにのんで、うまく言いつくろったから、源三郎の家来どもは、口々に、
「さすがは門之丞殿だ。身をもって萩乃さまをかばったとは、見あげたおこころ……若殿がお聞きなされたら、どんなに御満足に思召《おぼしめ》すことか」
「それにしても、丹下左膳という妖怪が、また出たとは、おのおの方、ゆだんがならぬぞ」
 左膳、すっかり化け物あつかいだ。
「こっちもこけ[#「こけ」に傍点]猿を探しておるのに、そのこけ猿をさがしに入りこむなんて見当がはずれるのであろう」
「なんにしても、門之丞どのはお気の毒なことをいたしたテ」
「われらさえ眼がさめたらなア……さだめし激しい斬りあい、物音もいたしたであろうに、白河夜船とは、いやはや、不覚でござったよ」
 同僚の忠死をいたむ伊賀ざむらい。門之丞の死骸は、二つになった胴をつなぎあわせ、白木綿でまいて、ねんごろに棺におさめ、主君源三郎の帰りを待つことになった。
 これやそれやの騒ぎで、その日一日は、はやくも暮れてしまう。
 これは、源三郎の婿入りにつきしたがって、柳生の庄から江戸入りしている一団だ。
 十方斎先生なきあとの司馬道場にがんばって、居すわりの根くらべをしている連中。
 林念寺《りんねんじ》前の上《かみ》やしきなる尚兵館の、あの高大之進の一派と呼応して、江戸の巷にこけ[#「こけ」に傍点]猿を物色しているのだ。
 居直り強盗というのはあるが、これは、居なおり婿のとりまきである。
 あくまでも萩乃の婿のつもり、すなわちこの道場の主人の格式で、乗りこんできている源三郎は、この荒武者どもをひきつれて、道場の一郭に陣どり、かって放題の生活をしていたのだ。
 庭に面した座敷を、幾間となくぶちぬいて、乱暴狼藉のかぎり。
 剣術大名といわれたくらい、富豪の司馬様だから、りっぱな調度お道具ばかりそろっている。それをかたっぱしからひきだしてきて、昔から名高い薄茶の茶碗で、飯をかっこむやら、見事な軸へよせ書きをして笑い興じるやら……それというのも、こうでもしたら司馬家のほうから、今にも文句がでるかという肚《はら》だから、これでもか、これでもかといわんばかり、喧嘩を売ってきたのだ。
 もてあました峰丹波とお蓮様、このうえは源三郎をおびきだして、ひと思いに亡き者にするよりほかはないと、門之丞をだきこんで、ああして葛飾《かつしか》の寮へひきよせたのだった。
 その、伊賀の暴れん坊源三郎、とうとう彼らの策に乗り、今は真っくろこげの死体となった――?
 ともしらぬ一同は、その日も帰らぬ源三郎を案じながらも、門之丞のことなどあれこれと話しあって、その晩は早く寝《しん》についた。
 すると、ちょうど明け方近くだった。
 彼らの寝ている部屋のそと、しめきった雨戸ごしの庭に、ヒヒン! とふた声、三声、さも悲しげな馬のいななきが聞こえた。

       二

 水の流れもとまるという真夜中すぎに、馬のなき
前へ 次へ
全55ページ中51ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング