めんを」
 飛騨守《ひだのかみ》の家来《けらい》、あわてて帰っていく玄関への廊下で、入れちがいにはいってきた堀口但馬《ほりぐちたじま》の臣と、擦《す》れちがい、
「イヤどうも」
「イヤどうも」
 双方でバツのわるい挨拶。
 飛騨守の使い、相手の手にある進物の包みを、ちらと横眼に見て、ナニ、おれのほうがだいぶ大きい、この分だとのがれられるワイと、安心して出てゆく。
 座になおった堀口但馬守お使者は、
「このたびは名誉ある日光御造営奉行におあたりになりましたる段、実もって祝着至極」から始めて、これが戦国の世ならば――主人|堀口但馬《ほりぐちたじま》は神仏に祈願――水ごり――せめてはお畳奉行かお作事目付に……。
「これはホンの名刺がわり」
 と何やらお三方に乗せた物を押しすすめて、
「さて、チョッと伺いますが、あれはこけ猿――?」
「御家老様へ申しあげます。井上大膳亮様《いのうえだいぜんのすけさま》のお使いがおみえになりまして」
「千客万来、みな来ると困るなり」
 なんて口の中で言いながら、田丸主水正、ひどくいい気もちそうだ。
 井上大膳亮の臣、
「このたびは名誉ある……これが戦国の世ならば……神仏に祈願……水垢離《みずごり》……せめてはおたたみ奉行……これはほんのおしるしで。ところで、あれが有名なるこけ猿で?」
「御家老、山脇播磨守《やまわきはりまのかみ》さまのおつかい……」
 つぎ――宇都木図書頭《うつぎずしょのかみ》。
 つぎ……岡本能登守《おかもとのとのかみ》。
 つぎっ! お早く願います。こみあいますから中ほどへ。これじゃアなんの話だかわからない。
 この柳生の上屋敷の前は、各大名の使者にくっついてきた供の者、仲間《ちゅうげん》、折助《おりすけ》たちで押すな押すなの混雑。豆大福《まめだいふく》を売るおばあさんや、焼鳥屋の店が出て、顎紐《あごひも》をかけたお巡りさんが整理にあたっている。
 主水正の若党|儀作《ぎさく》は、下足番で、声をからしています。
「エエろ[#「ろ」に傍点]の十六――ろの十六。おうい、一石飛騨守様のお供ウ、お帰りだぞウッ」
 なんて騒ぎ。
 門前には、近所の人たちがぎっしりひしめいて、
「いま出てきたのは、河骨菱《こうほねびし》の御紋だから、堀口但馬様《ほりぐちたじまさま》の御家臣だ」
「オ! 三つ追《お》い揚羽《あげは》の蝶がへえってゆく。宇都木《うつぎ》さまだぜ。絵のような景色だなア」

       八

 その夜。
 深夜の十二時をもって、賄賂の受付を締め切りました。
「いや、どうも、えらいめにあった」
 田丸主水正は、そう言って、くたくたになって、奥庭の離れへもどってきた。
 離室《はなれ》には、灯がはいって、勘定方と記入係の二人が、そろばんと帳面を前に、ぽつねんと待っていた。
「だいぶ押しかけましたな、締め切りまぎわに」
 と、そろばんが言った。
「いまひととおり調べましたが、やっぱりどうも、別所さまの二つというのが、最低のようで」
 帳面が、そうそばから言葉をそえた。
「まったくひどいめにあった。ドッコイショッ!」
 家老の威厳もうちわすれて、主水正はそこへ、くずれるようにどっかりすわって、
「あの、石川|殿《どの》の用人、竹田とやらがまいった時から、ずっとすわりつづけで、脚がもうしびれてしもうた。やれやれ」
「すこしおもみいたしましょうか」
「いや、それにはおよばぬ。しかし、驚いたなあ。きょうになって、こんなに来ようとは思わんかった。一時に、ドッときたよ」
「こう申してはなんですが、内証のくるしい方々は、持っていらっしゃる金子のくめんにお困りになって、それでこうギリギリおしつまるまで、のびのびになったのでございましょう」
「そうとみえる。同じ文句を聞かされて、嫌になってしまった。どうしてああ来るやつも来る奴も、寸分たがわぬことをいうのじゃろう。まるで相談してきたようじゃぞ」
 帳簿とそろばんは、声をあわして笑った。
「それにまた、あのにせ[#「にせ」に傍点]猿の茶壺をかざっておくことは、この際、いかにもよい思いつきじゃったテ。みながみな、言いあわしたようににせ[#「にせ」に傍点]猿に眼をとめては、結構なお品だの、これで柳生はたいそう金持の藩になったじゃろう、だのとナ、口々に祝いをのべて帰りおったぞ。冷や汗が流れた、ハッハッハ」
「それにつけましても」
 と、うれいのこもる眉をあげたのは、そろばんでした。
「一刻も早く、ほんもののこけ[#「こけ」に傍点]猿を手にいれねば……」
「まったく。かくなるうえはなおのこと、こけ[#「こけ」に傍点]猿を見つけ出すが刻下の急務」
 と、帳面も、肩を四角にしてりきむ。
「わしから一つ、高大之進に厳重に督促するとしよう」
 主水正は、決然としてうなずいたのち、
「サ、ではやってしまおうか」
「は。それではこれで、いよいよ締め切りに……エエ石川左近将監《いしかわさこんしょうげん》どのより、四つ。ほかに、長船《おさふね》の刀一|口《ふり》。一石飛騨守様《いっこくひだのかみさま》より五つ半、および絹地《きぬじ》五反。堀口但馬《ほりぐちたじま》さまより――」
一、堀口但馬守様《ほりぐちたじまのかみさま》――七つ。
一、井上大膳亮殿《いのうえだいぜんのすけどの》――四つ。ならびに扇子箱《せんすばこ》。
一、山脇播磨守《やまわきはりまのかみ》どの――三つ半。砂糖菓子《さとうがし》。
一、宇都木図書頭《うつぎずしょのかみ》さま――六つ。
一、岡本能登守様《おかもとのとのかみさま》――八つ。
 なんて調子に、記入方がひかえていく。その、横綴じの長い帳面の表には「発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》」とある。みんな日光に一役持ちたいと、口だけは奇特な発願をたてて、表面どこまでも、そのための献金なんですから。
「ホホウ、八つというのが出たナ。はじめてだな」
 主水正は、うれしそうです。
「いえ、四、五日前にきた赤穂の森越中様《もりえっちゅうさま》のが、やはり八つでした」
「じっさい、三つや四つで日光下役を逃げようてエのは、虫がよすぎるからなア」
 と、主水正、だんだん下卑《げび》たことを言いだす。
「しかし、これだけ賄賂《まいない》があつまれば、当藩はだいぶ助かる。では、一番けち[#「けち」に傍点]な別所信濃《べっしょしなの》へ、畳奉行をおとしてやるとしようか」

       九

 発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》……皮肉な名前の帳面が、あったもんです。
 先方が願を立てて、奇特な申し出をしてくる。そのなかで、もっとも進物のたかのすくないやつに、ねがいどおり望みをかなえてやる――。
「ところで、お作事目付は、誰にもっていったものかな」
 と、主水正、その発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》をペラペラとめくりながら、
「サテと、藤田監物《ふじたけんもつ》の三つかな」
 そろばんが、そばから口をだして、
「山脇播磨様《やまわきはりまさま》も三つ――」
「いや、そうじゃない」
 帳面が、訂正した。
「播磨守殿は、三つ半じゃ」
「三つ半なら、秋元淡路守様《あきもとあわじのかみさま》も三つ半」
「ウム、ここに大滝壱岐守《おおたきいきのかみ》、三つというのがある」
「サアテ、藤田監物殿《ふじたけんもつどの》の三つと、壱岐守様《いきのかみさま》の三つと、どちらをお取りになりますかな?」
 主水正は、またしばらく黙って、はじめからおしまいまで、もう一度|発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》をていねいにめくってみた。やがて、とっぴょうしもない大声をあげて、
「ヤア! 何も迷うことはない。ここに、二つと四分の一という、いやにこまかいやつがあるぞ」
「誰です、四分の一などと、変てこなものをくっつけたのは」
「小笠原左衛門佐《おがさわらさえもんのすけ》どのじゃ」
「ア、あの横紙破りの――」
 と、言うと三人は、声をあわせてどっと笑いくずれたが、主水正はすぐ真顔にかえり、
「では、これできまった。小笠原左衛門佐殿に、お作事目付《さくじめつけ》を押しつけてやるのじゃ」
 あれほど大騒ぎをした日光御造営奉行組下の二役も、ここにやっと決定を見ましたので、主水正は、記入係に命じて、いそぎ二通の書状をつくらせた。その一つには、
[#ここから1字下げ]
「お望みにより名誉あるお畳奉行の御役、貴殿におねがいつかまつり候《そうろう》
  別所信濃守殿《べっしょしなののかみどの》」
[#ここで字下げ終わり]
 そして、もう一つの手紙には、
[#ここから1字下げ]
「せつなるみ願いにより、日光お作事目付、貴殿にお頼み申しあげ候《そうろう》。何分、子々孫々《ししそんそん》にいたるまで光栄のお役《やく》ゆえ、大過《たいか》なきよう相勤めらるべく候《そうろう》
  小笠原左衛門佐殿《おがさわらさえもんのすけどの》」
[#ここで字下げ終わり]
 それぞれ、二通を状箱にふうじて納めた主水正《もんどのしょう》は、即刻、儀作《ぎさく》ともう一人の若党をよんで、同時に別所、小笠原の二家へ、とどけさせることになった。二つの提灯が、この林念寺前柳生の門から飛びだして、左右《さゆう》へすたこら消えて行く。
 各大名の家では、今夜は夜明かしで、柳生の締め切りの結果を待っています。自分のところでは、あれだけもっていったのだから、まずどっちものがれることができるだろうと、どこでもそう思っていると、小石川第六天の別所信濃守《べっしょしなののかみ》の門を、柳生家の提灯が一つ、飛びこんできた。と思うと、さしだされた状箱を奥の一間で、重役らがひたいをあつめて、心配げに開いてみる。
「ワッ! 畳奉行が当家へ落ちた。いや、これはありがたい」
「ほんとうですか。イヤ、なんという名誉なことじゃ」
「光栄じゃ」
 名誉だ、光栄だと、口では言いながら、みんな青菜に塩としおれかえって、ベソをかいている。

   尚兵館《しょうへいかん》


       一

「なんじゃい、このざまはっ!」
 奥庭の離室《はなれ》から、この、剣士の一隊の寝泊りしている屋敷内の道場、尚兵館《しょうへいかん》へやってきて、真夜中ながら、こう大声にどなったのは、田丸主水正だ。
「まるで、魚河岸《うおがし》にまぐろが着いたようじゃないか」
 主君柳生対馬守の御筆になる、「尚兵館」の三字の額が、正面の一段小高い座に、かかっている。
 広い道場の板の間に、薄縁《うすべり》を敷きつめ、いちめんに蒲団を並べて寝ているのは、こけ猿の茶壺を奪還すべく、はるばる故郷柳生の郷から上京してきた高大之進の一隊、大垣《おおがき》七|郎右衛門《ろうえもん》、寺門一馬《てらかどかずま》、喜田川頼母《きたがわたのも》、駒井甚《こまいじん》三|郎《ろう》、井上近江《いのうえおうみ》、清水粂之介《しみずくめのすけ》、ほか二十三名の一団――だったのが、左膳を相手のたびたびの乱刃に、二人、三人命をおとして、今は約二十人の侍が、こうしてこの林念寺前の柳生の上屋敷内、尚兵館という道場に寝泊りして、相変わらず、日夜壺の行方をさがしているのです。
 今は真夜中……昼間の捜索につかれた一同は、蒲団をひッかぶって寝こんでいる。
 いや、もう、南瓜《かぼちゃ》をころがしたよう。
 ひとの蒲団へ片足つっこんだり、となりの人の腹を枕にしたり、時計の針のようにぐるぐるまわって、ちょうどひと晩でもとの枕に頭がかえる……ナンテのはまだいいほうで。
 なかには。
 道場のこっちはしに寝たはずのが、夜っぴて旅行をして、朝向う側で眼をさます。などという念のいったのもある。
 血気さかんの連中が、合宿しているのだから、その寝相のわるいことといったらお話になりません。
 重爆撃機の編隊が押しよせてきたような、いびきの嵐です。
 歯ぎしりをかむもの、何やら大声に寝ごとをいう者。
 発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》の総決算を終わった田丸主水正《たまるもんどのしょう》は、こけ猿のことを思うと、いても立ってもいられなかった。
 朝になるのを待てずに。
前へ 次へ
全55ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング