守御前へ、よろしく御披露のほどを……」
 あらためて、平伏した。

       四

 田丸主水正《たまるもんどのしょう》は、ひややかな顔で、
「はあ、刀一本。で、それだけですか」
 ろこつなことを訊く。
「悪魔払いの名刀。それに添えまして……イヤ、どうぞあとでおひらきになって、ごらんください。ついてはただいまおねがい申しあげたお畳奉行か、ないしはお作事目付の件、なにとぞ当藩にお命じくださいますよう、せつに、せつに、なにとぞお命じくださいますよう……」
 なにとぞお命じくださいますよう――と、いやにここへ力を入れて、何度もくりかえした。
 くすぐったそうな顔を、主水正はツルリとなでて、
「では、日光に何か一役お持ちになりたいとおっしゃるので。それはそれは、ちかごろ御奇特《ごきとく》なことで」
「はっ。おそれいります。お口ききをもちまして、何分ともに、日光さまに御奉公がかないますよう……」
 そう言いながら、竹田はそっと顔をあげて、すばやく片眼をつぶった。
 丹下左膳の片眼じゃアない。こいつはウインクです。
 ウインクは、なにも、クララ・ボウあたりからつたわって、銀座の舗道でだけやるものと限ったわけじゃアない。
 享保《きょうほう》の昔からあったとは、どうもおどろいたもので――この石川左近将監の家来《けらい》竹田某は、日本におけるウインクの元祖だ。
 そのウインクを受けた田丸主水正、なにしろわが国ではじめてのウインクですから、ちょっとまごまご、眼をぱちくりさせてしばらく考えていたが、やがてその意をくんだものか、これもさっそく、キュッとウインクを返した。
「心得ました。必ずともに日光お役の一つを、石川殿に受け持っていただくよう、骨をおるでござろう。しかしそれも、この包みのなかみ次第でナ」
 と、ニヤニヤしている。
 もうすっかり、話の裏が通じたとみてとって、竹田はホット安心の体《てい》、
「いや、この品は、ほんの敬意を表するというだけの意味で」
 彼はそう言って、その贈り物をもう一度、主水正のほうへ押しやった。
 敬意を表する……便利な言葉があったものです。百円札の束をぐるぐると新聞紙にくるんだり、思い出してもゾッとするような五月雨《さみだれ》が、ショボショボ降ったり――イヤ、そんなことはどうでもいい。
 この間から、全国諸侯の使者が、踵《くびす》を接してこの林念寺前の柳生の上屋敷をおとずれ、異口同音に、日光御修営に参加させてくれとたのんでは、競《きそ》って高価な進物を置いてゆく。その品物の中には、必ず金一封がひそんでいるので。
 その真意は。
 これを献上するから、日光造営奉行の下のお畳奉行やお作事目付は、どうぞごしょうだからゆるしてくれ……という肚《はら》。
 早く言えば、日光のがれの賄賂《わいろ》だ。早くいっても遅くいっても、賄賂は賄賂ですが。
 主水正のほうでも、それはよッく承知していて、一番進物の額《たか》のすくない藩へ、この、人のいやがる日光下役をおとしてやろうと、今、全部の藩公からつけとどけのあつまるのを待って、きょうあたりボツボツ締め切ろうかと思っていたところだ。それが、最後の五分間になっても、こうしてまだやってくる。
 お向うの林念寺の坊さんなどは、訳を知らないから、柳生様では大名相手のお開帳《かいちょう》でもはじめたのかと、おどろいている。
 竹田は、そのまま帰るかと思うと、
「いや、ここまでは使いの表《おもて》」
 と、ちょっと座を崩して、低声《こごえ》に、
「ときに――例のこけ[#「こけ」に傍点]猿は、みつかりましたかな?」
 おどろいたことに、こけ猿の一件はモウだいぶ有名になってるとみえる。

       五

「例のこけ猿の茶壺は、もはや見つかりましたか」
 と竹田がきいた。こけ猿事件がこんなに有名になっているとは、おどろいたものだが、それよりも、もっとおどろいたことには……。
 きかれた田丸主水正。
 さぞかし大いにあわてるだろうと思いのほか。
 この時|主水正《もんどのしょう》、すこしもさわがず、すまして手をたたいたものです。
「品川の泊りにて、若君源三郎様が紛失なされたこけ猿の茶壺、ちかごろやっと当家の手に返り申した。ただいまお眼にかけるでござろう」
「お召しでございましたか」
 十六、七の小姓が、はるかつぎの間へきて、手をついた。
「ウム。こけ猿をこれへ」
「はっ」
 お小姓は顔をうつ向けたまま、かしこまって出ていった。
 柳生では、こけ猿の茶壺という名器が行方不明のために、その壺の中に封じこめてある先祖の埋宝個処がわからず、日光お着手の日を目前に控えて、ほとほと困却の末、藩一統、上下をあげて今はもう狂犬みたいに逆上《ぎゃくじょう》している――という、目下、大名仲間のもっぱらの噂である。
 竹田もこの評判を耳にしていたので、いま帰りぎわに、ちょっと、同情三分にからかい七分の気もちできいてみたのだが……世上の取り沙汰《ざた》とちがって、今その壺は、チャンとこの柳生の手におさまっている――という返事。
 ハテナ、と、竹田が首をひねると、主水正はにこにこして、
「だいぶ世間をおさわがせして、申し訳ござらぬが、実は、最近ある筋から、こっそり壺を返してまいりましてナ」
「ははア。それは何より結構でございました」
 と竹田は、四角ばってよろこびをのべたが、内心とてもがっかりしている。
 近いうちにきっと一騒動持ちあがるに相違ないと、ひどいやつで、おもしろい芝居でも待つように、人の難儀をこころ待ちしていたのだが、壺がこっちへ返ってしまえば、柳生は一躍たいへんに裕福な藩。日光なんかジャンジャン引き受けたって小ゆるぎもしない。さぞ苦しがって今に暴れだす[#「す」に傍点]だろうと思っていたのが、これじゃアさっぱりおもしろくないから、竹田の失望は小さくございません。
 さっきのお小姓が、ふるびた布《きれ》につつんだ箱をささげて、はいってきた。
 主水正はイヤに緊張した顔で、うやうやしく受けとり、
「これです。この壺に関して、とかく迷惑なうわさの横行いたす折りから、御辺《ごへん》がおたずねくだすったのは、何よりありがたい。一つ、御辺《ごへん》を証人として、無責任なごしっぷ[#「ごしっぷ」に傍点]を打ち消すために、壺をごらんにいれよう」
「ぜひ」
 と竹田は乗りだす。
 そんなに乗りださなくっても、これはどこから見ても、誰が見ても、まったくこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺に相違ない。じつに不思議なこともあればあるもので、主水正が、上の布を取りのぞくと、時代がついてくろずんだ桐の箱が出てきた。その箱のふたをとれば、あかい絹紐のすがり[#「すがり」に傍点]がかかって、そのすがりの網の目を通して見える壺の肌は、さすがに朝鮮古渡《ちょうせんこわた》りの名器、焼きのぐあいといい、上薬の流れあんばいといい、たとえば、芹《せり》の根を洗う春の小川のせせらぎを聞くようだと申しましょうか。それとも、雲と境のつかない霞の奥から、ひばりの声が降ってきて――。
 いかさまこけ[#「こけ」に傍点]猿の銘のとおりに、壺の肩のあたりについている把手《とって》の一つが、欠けている。
「ウーム!」
 竹田がうなった。
「いや、たいしたものですなア」

       六

 石川左近将監殿《いしかわさこんしょうげんどの》家臣、竹田なにがし、煙にまかれたように、すっかり感心して帰ってゆくと、主水正はその壺をしまいだしたが、とり出す時の、あの、いかにも名品を扱うような、注意深い態度とうってかわって。
 このしまい方の乱暴さは、どうだ!
 こけ猿の壺をひっつかまえて、ぶつけるようにすがり[#「すがり」に傍点]をかぶせる。そいつを、まるで裏店《うらだな》の夫婦喧嘩に細君の髪をつかむように、グシャッとつかんで、ぽうんと箱へほうりこむ。
 グルグルっところがしながら風呂敷につつんで、――さて、主水正、またぽんぽんと手をならした。
 出てきたのは、竹田を送り出して玄関から帰ってきた小姓だ。
「壺を見せたら、おどろいて帰りましたね。当藩はたいそうな金持になったと思ってるんだから、笑わせますね。こんな貧的《ひんてき》な藩はないのに」
「コレコレ、よけいなことを申すな。しかし、この壺はよくできてるなア」
「じっさい、こけ[#「こけ」に傍点]猿にそっくりでございますね。よくもこう似せられたものですね」
「こいつを見せると、みな恐れ入って引きさがるからふしぎだ。こうやって、こけ猿は柳生の手に返ったと宣伝しておいて、その間に、一刻も早く真物《ほんもの》を見つけださねばならぬ」
「何ごとも宣伝の世の中ですからね」
「くだらぬことを申さずに、この壺をその床の間へかざっておけ。客の眼につくようにナ。まだ来ない大名もあるから、きょうは一時に殺到するかも知れん」
 小姓の手で、にせ[#「にせ」に傍点]猿の壺は、うやうやしく床の間の中央に安置された。とりどりの噂ありたるこけ猿は、かくのごとく、まさに、たしかに、当柳生家にもどり申し候《そうろう》。したがって当藩は、日光などお茶の子サイサイの大富豪に御座候《ござそうろう》。今後そのおつもりにて御交際くだされたく候《そうろう》……なんかと、さながら、そう大書してはりだしたように、その床の間のにせ[#「にせ」に傍点]猿が見えるのでした。
「今この竹田の持ってきた刀の包みを、向うへもっていけ」
 小姓が、その長いやつをかかえて、勘定方と記録係のひかえている、あの庭の奥の離室《はなれ》へはこんでゆく。
 ところへ。
 別の取次ぎが顔を出して、
「御家老へ申しあげます。一石飛騨守様《いっこくひだのかみさま》のお使いがお見えになりましてござります」
「おお、壺をかざったところでちょうどよかった。こちらへ」
 一石飛騨守の使いというのは、まるまるとふとった男だった。はいってくるとすぐ、床の間の壺を見て、ひどくおどろいたようすだったが、持ってきた何やら大きな贈りものをさしだして、口上をのべはじめた。
「エエこのたび、柳生対馬守さまにおかせられては、二十年目にただ一度めぐりきたる光栄のお役、権現様御造営奉行におあたりになりましたる段、慶賀至極、恐悦のことに存じたてまつります。云々《うんぬん》」
「どうつかまつりまして」
「それ戦国の世においては、物の具とって君の馬前に討死なし、もって君恩に報いたてまつるみちもござりまするなれど、うんぬん――」
「この治国平天下の時代には」
 主水正が、ひきとった。
「せめては日光様のお役にあいたち、葵《あおい》累代《るいだい》の御恩の万分の一にもむくいたいと、御主君一石飛騨守どのはなんとかして日光御造営奉行に任じられますようにと、日夜神仏に御祈願……」
「ハイ、そのとおりで」
「水垢離《みずごり》までおとりなされて――」
「おや、よくごぞんじで」
「それが柳生へ落ちてまことに残念だから、せめてはお畳奉行かお作事目付にでも……」
 主水正、大きな欠伸《あくび》をした。

       七

 ……といったようなわけで、一石飛騨守の使者が、
「ぜひとも、ぜひとも、日光お役の一つを、わたくしどもへお命じくださいますよう、平《ひら》に御容赦《ごようしゃ》、イエ、せつにお願いつかまつりまする」
 と、なんだかシドロモドロのことを言って、でかでかとした大きな贈り物を置いて、帰りじたくをしながら、
「ちょっとうかがいますが、あれなる床の間にかざってございますのは、あれは、こけ猿の茶壺で……?」
「はア。さようです。だいぶ世話をやかされましたが、ちかごろやっと手にもどりました次第」
「それはそれは、結構でございましたなあ。ヘエエ! あれが有名なるこけ猿。なんともお見事なる品で――もうこれで、お家万代でござりまするな。いや、おめでとうございます」
 そこへ、また取次ぎの者があらわれて、
「エエ御家老様、堀口但馬守様《ほりぐちたじまのかみさま》からお使いの方がおみえになりまして……」
「ウム、こちらへ」
「では、拙者はこれにてご
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