……吹かれた火は、ほんとにくれないに燃えあがるでしょう。
「これだよ。いくらでもいいから持ってっておくれ」
 とお藤は、こけ猿の茶壺をとりだしてきて、じゃけんに鼻っさきへ突きだした。
 受け取った屑屋、頓狂なおじぎとともに、
「ヘッ、おありがとう――と申しあげてえが、ウワア、なんて小汚え壺だ!こんなものアただもらってもいやだねえ。御新造《ごしんぞ》、こいつア、いくらにもいただけやせんぜ」
「何を言ってやがるんだよ。無代《ただ》より安価《やす》いものあなかろうじゃないか。あたしゃア見るのもいやなんだから、さっさと持って行っておくれヨ」
 とお藤は、ピシャッとやけに障子をたてきりました。

   発願奇特帳《ほつがんきとくちょう》


       一

 柳生藩江戸家老、田丸主水正《たまるもんどのしょう》は象のような眼をしている。
「すると、別所信濃守《べっしょしなののかみ》は――?」
 と言いさして、その細い眼で、勘定方を見やった。
 珠《たま》の大きな紫檀《したん》の唐算盤《とうそろばん》を、前においた勘定方が一人、
「は。これだけ」
 パチリ、パチリと、珠《たま》を二つはじいて、そろばんに二の数を見せた。
「二つか」
「は」
 二両だか二十両だか、二百両だか二千両だかわかりませんが、とにかく金《かね》のことらしい。
「ふうむ」
 主水正は、口をへ[#「へ」に傍点]の字にして、
「大滝壱岐守《おおたきいきのかみ》どのは?」
 会計の手が、そろばんの珠を三つおく。
「三本か」
「は。ほかに、ちりめん十匹、酒五駄」
「きばったもんだナ。曾我大膳介殿《そがだいぜんのすけどの》は?」
 そろばんがだまって答える。
「ふたつ半。きざみやがったナ」
 そんな下品なことは言いません。
「記《つ》けておるであろうな」
 と主水正は、かたわらの用人をかえりみた。
 そばに帳面方がひかえて、そろばんに現われる数字を、いちいち帳簿に記入している。
一、秋元淡路守《あきもとあわじのかみ》――三つ半、および鮮魚《せんぎょ》一|盥《たらい》。
一、藤田堅物《ふじたけんもつ》――三つ、および生絹《きぎぬ》五|反《たん》。
一、伊達《だて》どの――五つ、および仙台味噌《せんだいみそ》十|荷《か》。
一、別所信濃守《べっしょしなののかみ》――二つ。
一、大滝壱岐守《おおたきいきのかみ》――三つ、および縮緬《ちりめん》十|匹《ぴき》、酒五|駄《だ》。
一、曾我大膳介《そがだいぜんのすけ》――二つ半。
 こういう名前と、数字と、品物とが、横とじの帳面に無数につづいている。
 麻布林念寺前、伊賀藩柳生対馬守のお上屋敷。
 その奥庭の離室《はなれ》だ。午下《ひるさが》りのうららかな陽が、しめきった障子に木のかげをまばらにうつして、そよ風に乗ってくる梅の香。
 どこかに、笹啼《ささな》きのうぐいすが聞こえる。
 藩侯柳生対馬守は、まだお国もと柳生の庄にいる。江戸のほうを一手にきりもりしているのは、この田丸主水正《たまるもんどのしょう》老人である。
 いまこの室内に、人を遠ざけて何ごとか秘密の帳合いをしているのは、その主水正と、そろばん係が一人、記入方がひとり、三人きりだ。
「これでだいたい終わったと思うが――うむ、桜井豊後守《さくらいぶんごのかみ》は?」
 主水正はそろばんをのぞきこんで、
「六つ。ほほう、伊達公《だてこう》の上ではないか。えらくまた――桜井豊後、六つ」
「は」
 帳面方が答えて、
 一、桜井豊後守《さくらいぶんごのかみ》――六つ。
 と書き入れていく。
「もう、来るべき筋《すじ》はすべて来たようだ。きょうあたり締め切りにしようではないか」
 こういって主水正《もんどのしょう》が二人を見かわすと、そろばん係が、そろばんをがちゃがちゃとくずして、
「ただいまのところでは、別所信濃《べっしょしなの》様が最低……」
 記入係が筆をなめて、
「石川左近将監殿《いしかわさこんしょうげんどの》からは、まだ――」
「ほ! 石川どのは、まだだったかな」
 この主水正の声と同時に、障子のそとの小縁に、前髪立ちの取次ぎの影がさして、
「御家老さまに申しあげます」
「なんじゃ」
「ただいま、石川左近将監様より御使者が見えまして――」
「来た、来た」
 主水正は笑って、
「噂をすれば影じゃ。お広書院にお通し申しておけ。二つの組かな? それとも三つ半は出すかな……」
 と、たちあがった。

       二

 石川左近将監の使者は、竹田という若い傍用人《そばようにん》であった。
 石川家の定紋、丸に一の字引きを染めぬいた、柿色羽二重の大ぶろしきに、何やら三|方《ぽう》にのせた細長いものをそばにひきつけて、緊張した顔で広書院にすわっていた。
 田丸主水正《たまるもんどのしょう》は、主君対馬守のお代理という格式で、突き袖をせんばかり、そっくりかえってその部屋へはいっていくと、竹田は、前に出ていた天目台《てんもくだい》をちょっと横へそらして、両肘を角立てて、畳をなめた。
 平伏したのだ。
「これは、御家老田丸様……いつも御健勝にて、何よりと存じまする」
「アいや、そこは下座《しもざ》。そこでは御挨拶もなり申さぬ」
 と主水正は、袴《はかま》のまちから手を出して、床の間のほうへしゃくるような手つきをした。
「どうぞ、どうぞあちらへ――」
「は。今日《こんにち》は、主人|将監《しょうげん》のかわりでござりますれば、それでは、失礼をかえりみませず、お高いところを頂戴《ちょうだい》いたしまする」
 および腰のすり足、たたみの縁《へり》をよけて、ツツツウと上座になおった竹田なにがしが、
「実は、主人将監が自身で参上つかまつるはずで、そのしたくのさいちゅう――」
 いいかけることばを、主水正は中途からうばって、
「いや、わかっております。そのおしたくのさいちゅう、この二、三日ことのほかきびしき余寒のせいか、にわかに持病の腹痛、あるいは頭痛、あるいは疝気《せんき》の気味にて、外出あいかなわず、まことに失礼ながら貴殿がかわって御使者におたちなされたと言われるのでござろう」と、くすぐったそうなふくみ笑い。
 竹田はポカンとして、
「そのとおり。よくごぞんじで。手前の主人のは、その頭痛の組でございます」
「伊達《だて》様と、小松甲斐守殿と、そのほか頭痛組はだいぶござった。イヤ、どなたの御口上も同じこと。毎日毎日おなじ応接を、いたして、主水正、ことごとく飽き申したよ」
 まったく、それに相違ない。この十日ばかりというもの、一日に何人となく諸国諸大名の使いが、この林念寺前の柳生の上屋敷へやってきて、さて、判で押したような同じ文句をのべて、おなじような贈り物をさしだす。
 もうすっかりすんだころと思ってきょう締め切ろうと、ああして総決算にかかったところへ、また一人、この石川家の竹田がやって来たというわけなので。
「ははア、さようでございましょうな」
 と竹田は、感心したような、同情したような顔をしたが、このままでは使いのおもてがたたないので、ピタリと畳に両手を突いてやりはじめた。
「このたびは、二十年目の日光東照宮御修営という、まことに千載一遇のはえある好機にあたり……」
「ちょ、ちょっとお待ちを。お言葉中ながら、二十年目の千載一遇というのは理にあい申さぬ。強いて言おうなら、二十年一遇でござろう。これも私は、七十六回なおしました。貴殿で七十七人目だ」
「イヤどうも、これは恐れ入ります。なるほど御家老の仰せのとおりで――その二十年一遇の好機にあたり、御神君の神意をもちまして、御当家がその御造営奉行という光栄ある番におあたりになりましたる段……」
「はい。あれは、にくんでもあまりある金魚めでござったよ。いっそ、石川殿の金魚が死ねばよかったに」
「いえ、とんでもない! 桑原桑原《くわばらくわばら》……エエどこまで申しあげましたかしら。そうそう、御当家がその御造営奉行の光栄ある番におあたりになりましたる段、実もって慶賀至極、恐悦のことに存じまする。これが戦国の世ならば――」
 途中で暗記でもしてきたらしく竹田|某《ぼう》、ペラペラとやっている。

       三

「もしこれが戦国の世ならば」
 と、竹田は、一気につづけて、
「上様《うえさま》の御馬前に花と散って、日ごろの君恩に報い、武士《もののふ》の本懐とげる機会もござりましょうに、かように和平あいつづきましては、その折りとてもなく、何をもってか葵《あおい》累代《るいだい》の御恩寵《ごおんちょう》にこたえたてまつらんと……いえ、主人左近将監は、いつも口ぐせのようにそう申しております。ところで、このたびの日光大修営、乱世に武をもって報ずるも、この文治の御代に黄金《こがね》をもってお役にたつも、御恩返しのこころは同じこと。ましてや、流れも清き徳川の源、権現様《ごんげんさま》の御廟《ごびょう》をおつくろい申しあげるのですから、たとい、一藩はそのまま食うや食わずに枯れはてても、君の馬前に討死すると同じ武士《もののふ》の本望――」
「いや、見上げたお志じゃ。よくわかり申した」
 来る使いも、来る使いも、この同じ文句を並べるので、主水正、聞きあきている。
「いえ、もうホンのすこし、使いの口上だけは、お聞きねがわないと、拙者の役表がたちませぬ――まことに、この日光おなおしこそは、願ってもない御恩報じの好機である。なんとかして自分方へ御用命にならぬものかと、それはいずれさまも同じ思いでございましたろうが、ことに主人将監などは、そのため、日夜神仏に祈願をこらしておりましたところ……」
主水正は、そっぽを向いて、
「何を言わるる。口はちょうほうなものだテ。祈願は祈願でも、なかみが違っておったでござろう。どうぞ、どうぞ日光があたりませぬように、とナ」
 この言葉を消そうと、竹田なにがしは大声に、
「主人将監は、将軍家平素の御鴻恩《ごこうおん》に報ゆるはこの秋《とき》、なんとかして日光御下命の栄典に浴したいものじゃと、日夜神仏に祈願、ほんとでござる、水垢離《みずごり》までとってねがっておりましたにかかわらず、あわれいつぞやの殿中|金魚籤《きんぎょくじ》の結果は、ああ天なるかな、命《めい》なるかな、天道ついに主人将監を見すてまして、光栄の女神はとうとう貴柳生藩の上に微笑むこととあいなり……」
「コ、これ、竹田氏とやら、よいかげんにねがいたい。あまり調子に乗らんように」
「その時の主人将監の失望、落胆、アア、この世には、神も仏もないかと申しまして、はい、三日ほど床につきましてござります」
「厄落《やくおと》し祝賀会の宿酔《ふつかよ》いでござったろう」
「文武の神に見放されたかと、その節の主人の悲嘆は、はたの見る眼もあわれで、そばにつかえる拙者どもまで、なぐさめようもなく、いかい難儀をつかまつりました」
「どれもこれも、みな印刷したような同じ文句を言ってくる。そんなにうらやましいなら、光栄ある日光造営奉行のお役、残念ではあるがお譲り申してもさしつかえない、ははははは」
「イヤ、とんでもない! せっかくおあたりになった名誉のお役、どうぞおかまいなくお運びくださるよう――さて、今日拙者が参堂いたしましたる用と申しまするは……」
「いや、それもズンと承知。造営奉行の籤《くじ》がはずれて、はなはだ残念だから、ついては、その組下のお畳奉行、もしくはお作事目付の役をふりあててもらいたい、と、かように仰せらるるのであろうがな」
「は。よく御存じで――おっしゃるとおり、二十年目の好機会を前にして、この日光御修理になんの力もいたすことができんとは、あまりに遺憾、せめてはお畳奉行かお作事目付にありつきたく、こんにちそのお願いにあがりましたる次第」
 言いながら竹田は、定紋つきの風呂敷につつんだ細長いものを、主水正の前へ置きなおして、
「石川家伝来、長船《おさふね》の名刀一|口《ふり》、ほんの名刺代り。つつがなく日光御用おはたしにあいなるようにと、主人将監の微意にござりまする。お国おもての対馬
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