前守のお屋敷に三人があつまって、人ばらいのうえ、談合をかさねたものでありました。
 吉宗公の言うことは、この愚楽老人から出る。
 その愚楽老人の意見は、この忠相《ただすけ》、泰軒《たいけん》、愚楽《ぐらく》の三人会議の席上でまとまることがおおい。
 三人|寄《よ》れば……文殊《もんじゅ》の智恵。
 並製《なみせい》の人間でも、三人も集まれば、大智者《だいちしゃ》文殊《もんじゅ》に匹敵するくらいの智恵がわくものだという。
 いわんや――。
 ひとりでもおのおの文殊《もんじゅ》に劣らぬほど頭のいいのが、三人寄って智恵をしぼるんですから、この三人会議は、文殊跣足《もんじゅはだし》の智略の泉で。
 たいがいの事件が、この三人の秘密会で、解決のつかぬということはない。
「どうじゃナ、湯かげんは」
 泰軒は、だしぬけにこう言って、のんきそうな笑顔を、愚楽へ向けた。
「相変わらず、吉《よし》さんを洗っておるかの? じゃが、からだは人に洗わせることはできても、心は人に洗ってもらうわけにはゆかんからナ、アッハッハ」
 八代様のことを、吉《よし》さん吉《よし》さんという。
 相手が相手ですから、愚楽はだまって、ニコニコ笑っていますが、ほかでこんなことを言って、もしお役人衆の耳にでもはいろうものなら、首がいくつあったって足りません。
 ケロリとして、泰軒はつづける。
「ま、よく心を洗うように、泰軒がよろしくと言うておったと、吉《よし》さんにつたえてくれい」
「は」
 と愚楽老人は、くすぐったそうな笑顔。
「承知いたしました。おつたえいたしますが。泰軒|大人《うし》、いくら心を洗うても、何か気になることがあっては、そのこころの洗濯が洗濯になりますまい。このごろ上様におかせられては、あの柳生の壺騒ぎを、ひどくお気にかけておらるるでのう」
 それを聞きながして、泰軒は大岡さまへ、
「使いに来たのは、大作《だいさく》か」
「うむ。伊吹《いぶき》をやった。例によって、文を投げこんでこいと言うてな」
 伊吹大作《いぶきだいさく》……この人は、越前守手付きの用人中、一ばん信任のあつかった人だ。あの天一坊事件や、雲霧仁左衛門事件で大活躍をした方で、まア、腕っこきの警部さんといったところ。
「投げこむが早いか、ドンドンと戸をたたいて、トットと逃げよった。出てみたら、もう影も形も見えん。すばしっこいやつじゃ。長屋じゅう、何ごとがおきたかと驚いておった、ハハハハハ」
 いつも泰軒に用のある時には、ああしてトンガリ長屋の住居《すまい》へ投げ文をして、呼び出すことになっているんです。
「当分、あの長屋におるつもりかの?」
 忠相にきかれて、泰軒は哄笑一番、
「もう、ちょっとどこへも動けんようになったわい。みなが大事にしてくれるでな。愚楽さん、長屋の人たちは、そりゃアかわいいもんですなあ。しかし、わしの言うことなら、何を言うてもそのまま信じるから、うっかり冗談も言えん。吉《よし》さんが日本六十余州の将軍なら、この泰軒はトンガリ長屋の大将軍じゃ、ハハハハハ」
「宵《よい》のくち早くから、愚楽どのがお見えになってな」
 と忠相は、ひとしきり笑いのしずまるのを待って、真顔に返り、
「例のこけ猿の件につき、君と三人でよく相談したいと言われるので、御足労をわずらわした次第だが……」
「アア、こけ猿か。だいぶゴチャゴチャやっとるようじゃのう――」
 泰軒は軽く言って、膝《ひざ》もとにひきつけた貧乏徳利《びんぼうどくり》を手にとりあげ仰向いてグビリグビリ、燃料を補給しだした。

       十

 酒のこぼれた口ばたを、ぐいと手の甲《こう》で押しぬぐった泰軒は、
「しかし、徳川に智恵を貸してやるには、一つ条件があるが……」
 大岡様と愚楽は、ちょっといぶかしげな顔を見合わせた後、異口同音に、
「それは、どういう――」
「ただ一つの条件とは、いったい何……」
 泰軒は、キチンとすわりなおして、
「大政を朝廷へ奉還することじゃ」
「まじめになって言いだすから、こっちも緊張してきいていればハッハッハ、――泰軒はいつもこれじゃ。それは、われわれの手ではどうにもならん。チと条件が大きすぎるぞ」
 忠相《ただすけ》のおだやかな笑いに、愚楽老人もにこにこして、
「いや、むろん、そうあるべきところ。徳川も十五代も続きましたらば、いずれ、そういうことになるでしょう」
 どうです。御一新はこの時分から、ちゃんと約束されていたんだ。
 いったい泰軒が、こんなことをヒョコヒョコ言いだすには訳がある。それは、事につけ物にふれ、要路の大官へむかって尊王思想を宣伝しようという気持。泰軒だって、こけ猿の茶壺と天下の大政をいっしょに考えちゃアいない。
 笑いだした泰軒は、
「そうか。よろしい。では、それまでおとなしく待つとして……ドッコイショッ」
 ごろりと横になって、肘《ひじ》まくら。
「そこで、御両所、こけ猿のことは、心配するな。そのうちにおれが、大岡のところへ持ってきてやる」
 と言いました。
 前にも一、二度、三人で相談して、なんとかしてあの壺を、こっちの手に入れなければならないと、話をきめたことがあるんです。
 それは、この愚楽老人、城中では常に将軍家拝領の葵《あおい》の紋つきを、ひきずるように着て、なんかといえばすぐ、背中の瘤《こぶ》にきせたそのあおいの紋をつきだし、これが見えぬかと威張っている。
 上様のほかに、葵《あおい》の紋のついたお羽織を着ているのは、愚楽一人ですから、みんな、ソレお羽織が来たといって、誰も愚楽のそばへ寄る者はない。
 いつか……。
 元禄の赤穂事件で有名な、あの松の廊下で。
 愚楽老人、ちょうどすれちがったこの大岡忠相が、その長い羽織の裾を、踏みもしないのに踏んだと、わざと言いがかりをつけて、人眼をごまかして大岡様を別室へひきいれ、そこでこの壺に関して篤《とく》と密談をしたことがあります。
 あの晩も、さっそく、泰軒をまじえて三人、ところも同じ今のこの座敷で、いろいろと策をねった。
 で、その結果。
 泰軒がひそかに壺の移動に眼をつけることになって、ああして、当時まだ吾妻橋《あづまばし》下の河原に小屋をむすんでいた左膳のもとへ、泰軒が橋の上から矢文《やぶみ》をはなち、それによって左膳も、壺ののむ柳生の埋宝の秘密をはじめて知ったというわけ。
 そもそも、大岡様や泰軒がこの事件に関係しだし、また、剣魔左膳が壺の内容を知って、いっそう執念《しゅうねん》の火をもやすようになったについては、こういういきさつがあったのです。
 以前《まえ》の事情を説明しておかないと、話がすすまない。
 そこで、またしても、今夜のこの三人文殊の寄りあい……。
「まあ、よい。おれにまかせておけ。ちょっと考えがあるんだ」
 ムックリ起きあがった泰軒のひたいの前に、ソッと二人のひたいが集まる。あとは三人のヒソヒソ話、よく聞こえません。

   火吹《ひふ》き紅竹《べにだけ》


       一

 すっかり傾いた明《あ》けの月。
 通りすがりの船板塀から、松の枝が、おどりの手ぶりのような影を落として、道路のむこうを、猫が一匹ノッソリと横切ってゆく。
 寝しずまった巷には、この人恋しい夜にもかかわらず、粋な爪弾《つめび》き水調子も、聞こえてこない……。
 本郷は司馬道場の裏木戸を、ソッと排して、青い液体を流したような月光の中へ、雪駄《せった》の裏金の音をしのんで立ちいでたのは、大《おお》たぶさにパラリ手拭をかけた丹下左膳である。
 いま、脇本門之丞を胴輪斬りに、その血を味わった妖刃濡れ燕は、何ごともなかったかのように、腰間にねむっている。
 足をはこぶたびに、例のおんな物の下着が、ぱっぱっと、夜眼にもあざやかにおよぐ。
 ひだりの一本腕の下に、こけ猿の包みをかかえた左膳、やがて、月を踏んで帰り着いたのは、駒形の高麗《こうらい》やしき――尺取り横町のお藤の家だ。
「おい、お藤! あけてくれ……おれだ。左膳様のお帰りだ」
 あたり近所をはばかって、トントンと静かに雨戸をたたく。
 なかから、つっかけ下駄で土間へおりるけはいがして、スーッと音もなく戸があいた。
 さらりとした洗い髪、エエモウじれったい噛み楊枝……といった風情。口じりに、くろもじをかみ砕きながら、お藤姐御の白い顔が、ほのかな灯りに浮かんでのぞく。
「ま、お前さん。今ごろまでいったいどこを、ほッつき歩いていたんですよ」
 と、キュッと上眼使いににらみあげるのも、女房きどりのうらみごとです。
 左膳は、あの仮りの子チョビ安をつれて、もうだいぶ前から、この櫛巻お藤の隠れ家へころげこんでいるのだ。それというのも、なかばは姐御のほうから、どうぞいてくださいと一生けんめいにひきとめているので……櫛まきお藤、この、隻眼隻腕のお化けじみた左膳先生に、身も世もないほどゾッコン惚《まい》っているんです。
 ヒネクレ者で、口が悪く、見たところはごぞんじのとおり、使いふるした棕櫚箒《しゅろぼうき》に土用干しの古着をひっかけたような姿。能《のう》といったら人を斬るだけの、この丹下左膳。
 どこがいいのか、はたの眼にはわかりませんが、女も、お藤姐さんぐらいに色のしょわけを知りつくし、男という男にあきはててみると、かえって、こういう、卒塔婆《そとば》が紙衣《かみこ》を着てまよい出たような、人間三|分《ぶ》に化け物七|分《ぶ》が、たまらなくよくなるのかも知れません。
 今夜も。
 夕方フラリと出ていったきり、ふけても帰らぬ左膳を待ちこがれて櫛の落ちたのも知らずに、柳の枕のはずれほうだい、うたた寝していたところらしく、ほおに赤くほつれ髪のあとがついている。
 だが――。
 人の心は、思うままにならないもので、お藤がこんなに想っているのに、左膳のほうでは、平気《へいき》の平左《へいざ》です。
 まア、頼まれるからいてやる……そうまで阿漕《あこ》ぎな気もちでもないでしょうが、どうせ行くところがないのだから、幼いチョビ安を夜露にさらすのもかわいそう、当分ここにとぐろをまいていよう――ぐらいの浅いこころ。
 どんなにお藤がさそっても、左膳は見向きもいたしません。一つ屋根の下に起き伏ししていても、二人の間は、あかの他人なんです。
 いまも左膳は。
「うむ、いい稼業《しょうばい》をしてきたぞ」
と、手の壺の箱へ、ちょっと顎をしゃくって見せたきり、ひややかに家の中へ――。

       二

 お藤の、袖屏風した裸手燭が、隙もる夜風に横になびいて、消えなんとしてまたパッと燃えたつ。
 左膳を追って、お藤はうれしげに、とっつきの茶の間へあがる。
 二間きりの小ぢんまりした家です。かたすみの煎餅蒲団に、チョビ安が、蜻蛉《とんぼ》のような頭髪《あたま》をのぞかせ、小さな手足を踏みはだかって、気もちよさそうな寝息を聞かせています。
 左膳は、さもさも父親のように、そのチョビ安の寝顔をのぞきこんで、
「罪がなくていいなあ、餓鬼は」
 と、思い出したようにお藤をかえりみ、
「あすは旅だ」
 どてらをひろげて、左膳のうしろへ着せかけようとしていたお藤姐御は、この突然の言葉に、吐胸《とむね》をつかれて、
「オヤ、だしぬけに旅へ……とはまた、どちらへ?」
「ゆく先か、それアこの壺にきくがいい」
 どっかり長火鉢の前へ、細長い脛で胡坐《あぐら》をくんだ左膳、こけ猿の包みを小わきに引きつけて、
「どこへ旅に出るか、おれもまだ知らねえのだ」
「あらま、ずいぶんへんなおはなしじゃないか」
 と、半纏《はんてん》の襟をゆりあげながら、お藤は左膳と向きあって、火鉢のこっち側に立て膝。
 喫《か》みたくもない長|煙管《ぎせる》へ[#「長|煙管《ぎせる》へ」は底本では「長煙管《ぎせる》へ」]、習慣的にたばこをつめつつ、
「ハッキリ言ってもらいたいわね。あてなしの旅に出るなんて、このあたしの家にいるのが、そんなに嫌におなりかえ」
 左膳は苦笑して、
「ウンニャ、そういうわけじゃアねえが、今この壺をひらいて、中の紙きれに……
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