たびに、背中の瘤《こぶ》がヒクヒク動くのは、たしか奇態な動物が、着ものの下にもぐりこんでいるように見える。
「知ってのとおり、日光御修営は、日一日と近づく。柳生はそのこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺とやらを手にいれぬかぎり、ほかに金の出どころは絶対にないのじゃから、イヤモウ、一藩をあげて今は必死のありさまじゃ」
「すると、上様は」
 と忠相は、ちょっと頭をさげて、
「柳生に御同情をたれ賜うて、柳生のために、それほど御心配になっておらるるので」
「うむ。それもある。剣をもって立つ天下の名家を、かようなことで、むざむざとつぶすにもあたらぬからのう」
「ごもっとも」
「第一、柳生をくるしめるのは、上様の本意ではない。しかるに、このままで押しすすんで、柳生がこけ猿を手に入れて財産を掘りだす前に、日光御造営の日を迎えることになれば、柳生藩一統はくるしさのあまり、何をしでかそうも知れぬ。そこは、剣術はお手のものの連中だし、例の伊賀の暴れン坊とやらをはじめ、手ごわいやつがそろっておることだから……上様の御憂慮なさるのは、この点じゃ」
「なるほど、つまり、天下をさわがしとうない――」
「と言うと、こけ猿の秘める財宝のすべてが、柳生の手にはいるのも、これまた困りものじゃて。いくら日光でも、そうはかからぬのじゃから、あまった金が柳生の手にあっては、こんどはまたそれが、何かと間違いのもとになりやすい――」
「そうたびたび金魚籤《きんぎょくじ》をあててやることも、できますまいからな、ははははは」
「そうじゃ。きまって柳生の金魚ばかり死なすわけにも――あっはっは」
 愚楽老人が、全身をゆすぶって笑った時、庭の奥から闇黒《やみ》の中を、こっちへ近づいてくる跫音が……。

       六

 すね者というと、変につむじまがりか、さもなければ卑屈な人間が多いけれど、この蒲生泰軒先生のように、とてもほがらかに世の中をすねちゃった人物は、ちょっとほかに類がないであろう。
 いったい人間には。
 ちゃんと家庭をいとなみ、一定の住所をもち、確たる職業につき、それ相応の社会的地位をたもっていこうとする、いわば市民的なおもての生活のかげに。
 一面……。
 ともすれば無情を感じ、隠遁《いんとん》を好み、一|笠《りゅう》一|杖《じょう》、全国の名所寺社でも行脚して歩いたら、さぞいいだろうと思うような、反世間的な、放浪的な気もちがあるものです。
 人によって、その思う度合いはちがい、また、考えのあらわれ方も異なりますが、だいたい人間は、ことに東洋人は、誰しも、この現実の俗な責任と、それにたいして反動的な、無責任な逃避を欲する心と、内心、この二つのたたかいにはさまれて生きているといっていい。
 ですから。
 ここに。
 はじめっからその社会生活を拒絶している人があったとしたら、その人はある意味で、ずば抜けたえらい人だと言わなければなりません。誰だって、そうでしょう。
 会社や役所へ出て、上役にペコペコし、上役はそのまた上役にペコペコし、お世辞でないようなお世辞を言い、同僚には二重三重の気がね……お金持はお金のないような顔をするし、金のないやつは金のあるような顔をするこんなイヤな世の中に、がんじがらめにされて生きてゆくよりは、サラリと利欲をすてて、いい景色でも見ながらフラフラ野山を歩いたほうが、よっぽどいいにきまってる。
 わが泰軒居士はそれなんです。
 ただ。
 捨てるべき利念も、気がねも、はじめから持ちあわせない蒲生泰軒。
「俺ば、したいことをするだけだ」
 というのが、先生の信条であります。
 だが――。
 これは、したいほうだいのことをするというのとは、だいぶ違う。
 してはいけないことは、常に、決してしたくない人にして、はじめてこういうことができるのです。してはいけないことをしたくないのが道徳で、していいことをするのが自由だ。
 泰軒先生は、これが完全に一致している。さぞサバサバした心境でありましょう。
 一升徳利を枕に、いつも巷に昼寝する蒲生泰軒、その海草のような胸毛に、春は花吹雪、夏は青嵐、秋の野分、冬の木枯らしが吹ききたり、吹き去って、洒々落々《しゃしゃらくらく》とわらいながら、一生を弱い者の味方として送った人です。
 歴史には名は出ていなくても、隣家《となり》の大将、裏の姐《ねえ》さん、お向うの兄《あん》ちゃんには、神のように、父のように慕われ、うやまわれたんです。
 泰軒はこれでいいのだ。
 長々と余談にわたって、まことに恐縮ですが――。
 しかし……今をときめく南町奉行、大岡様のおやしきへ、こうして夜中に、庭からやってくるなんて、この泰軒のほかにはない。
「やあ、呼んだから来たぞ」
 と先生は、暗い植えこみの影のかさなる庭から、ブラリと縁側へあがりながら、
「おお、来てるのか」
 愚楽老人をじろりと見やって、埃だらけの長半纏《ながばんてん》の裾をはね、ガッシと組む大《おお》あぐら――。

       七

 この蒲生泰軒は。
 その昔……。
 日本国中を流れ歩いて、お伊勢さまへおまいりしました時に。
 徳川専横の世にあって、皇室尊崇という国体観念の強い泰軒先生は、どんなに清らかな、またいかにはげしい日本愛をもって、伊勢大廟のおん前にぬかずいたことでありましょうか。
 神代ながらのこうごうしさに打たれる、伊勢の神域。
 ある学者が、北畠親房の神皇正統記という、日本精神をあきらかにした昔の歴史の本を評しまして、この神皇正統記は、前に遠く建国の創業をのぞみ、のちに遙かに明治維新をよぶところの国史の中軸であると道破されました。
 まことにそのとおりでありますが、これは何も、その歴史の本だけのことではない。泰軒先生のような人物についても、まったく同じことが言えるのであります。
 この幾多《いくた》名の知れない泰軒先生が、各時代を通じて存在していたということは、じつに、前に遠く日本建国の創業をのぞみ、のちにはるかに明治維新の絢爛《けんらん》たる覇業をよぶところのもので、一蒲生泰軒自身、大日本精神の一粒の砂のようなあらわれであったと申さなければなりません。それが、昭和のこんにちお互いが見るような、この強大な日本意識、民族精神の拡充となったのです。これをさしてファッショなどという伊太利《イタリ》あたりの借り物などと思うのは、大たわけだ。
 さて。
 それがいいが……。
 たましいの澄みわたる杉木立ち、淙々《そうそう》千万年の流れをうたう五十鈴川《いすずがわ》の水音に、心を洗った若い日の泰軒先生は、根が無邪気な人ですから、日本を思い、おそれ多いことですが皇室をしのびまつって、すっかり嬉しくなっちゃったんですネ。
 連日連夜、山田の木賃宿にがんばって、ひとりで祝盃をあげた。
 そこまではいいとして。
 そいつをちっとばかりあげすぎたんです。
 その当時から、かたときもはなさない貧乏徳利を振りまわして、フラフラ山田の町中を威張ってあるいた。イヤ、山田の町の人が、おどろきましたね。何しろ、容貌魁偉《ようぼうかいい》、異様な酔っぱらいが、愉快だ愉快だと、毎日町じゅうをねって歩くんですから。
 とどのつまり、交叉点か何かに大の字なりに寝こんでるところを泰軒先生、通行妨害というんで山田署へひっぱられちゃった。
 司法主任の方がとりしらべると、乞食のような風体だが、言うことがおそろしく大きい。
 奇抜なルンペン……ただの鼠じゃあるまいとなって、このとき、みずから泰軒を訊問したのが、当時、この伊勢山田のお奉行様だった大岡忠相でした。まだ越前守と任官しない前のことですな。
 そのとき、大岡様は泰軒にスッカリほれちまって、二人は、肝胆相照らす心の友となったのです。それからの交際だ。
 山田の大虎事件では、泰軒は説諭放免となり、その後数年にして大岡さまは、八代吉宗公に見いだされて、この生き馬の眼をぬく大江戸の奉行、南北にわかれて、二人ございますけれど、まあ現代で申せば警視総監と裁判所長をいっしょにしたような重職におつきになったのです。
 だから、桜田門外《さくらだもんがい》、奉行官邸の塀を乗りこえて、ぶらりはいってくるのも、先生一流のやり方で、べつに不思議はありませんが……。
 愚楽老人をつかまえて、
「化け物がきてる――」
 とは驚いた。が、より愕いたのは、そう言われた愚楽が、敷物をすべって、ピタリ、両手を突いたことです。

       八

 千代田の怪物、愚楽老人――将軍吉宗公の側近中の側近、何しろ、お風呂番なのですから、裸の将軍様をごしごしこする。文字どおり赤裸々の吉宗に接して、いろいろと最高政策の秘密のおはなしをなさるんです。
 上様のおっしゃることは、みんなこの愚楽老人から出るんだ……といわれたくらい。
 大老も老中も、若年寄りも、この愚楽のきげんを損じては、首があぶないから、一にも愚楽様々、二にも愚楽様々――。
 吉宗の政治は愚楽政治。
 まことに、威令《いれい》ならびなき垢すり旗本なんです。
 その愚楽老人をつかまえて、
「やあ、化け物がきてるな」
 という泰軒先生、怪物の上をゆく怪物か、さもなければ、こわいもの知らずのよっぽどの馬鹿か。
 両方なんです、泰軒先生は。
 相手に求めるところがあれば、自然、みずからが卑屈になる。
 世の中から何ものをも得ようと思っていない蒲生泰軒居士、ほんとに、愚楽老人なんか、ただのかわいそうな不具者としか眼にうつらない。
 しかし、
 一寸法師で亀背の愚楽を、化け物とは、いくらそう思っていても、面《めん》と向かってひどいことを言ったものだが、どこへ出しても生地《きじ》をむきだしの泰軒、徳川などは天下の番頭、したがって愚楽ごときは、番頭の番頭ぐらいにしか思っていないんだ。
 ところが。
 化け物といわれた愚楽老人は?……と見ると。
 ふしぎ!
 いつもお城で、大老《たいろう》など鼻であしらって、傲岸《ごうがん》そのもののような愚楽が、どうしたのか、ちゃんと座蒲団をおり、両手をついて、泰軒のまえに頭をさげている。
「御無沙汰いたしております。御健勝で、何より……」
 ていねいな挨拶です。不思議といえば不思議だが、考えてみれば、これは何もふしぎはないンで。
 人物を知るには人物を要す。大岡様を通じてだいぶ前から相識《しりあい》になっているこの蒲生泰軒を、愚楽は、学問なら、腹なら、まず当今第一の大人物とみて、こころの底から泰軒に絶大な尊敬を払っているんです。
 お城には、話せるやつなんか一人もいないが、いまこの日本で、自分が膝をまじえて語るに足《た》る人物はといえば、まず、南の奉行大岡越前と、この、街の小父《おじ》さん蒲生泰軒と、いずれも、兄《けい》たりがたく弟《てい》たりがたし……この二人よりないと、愚楽老人ひそかに思っている。
 大岡様は、大岡さまで。
 世の中にはいろんな人がいるが、衷心《ちゅうしん》から尊敬に値して、なんでも秘密をうちあけて智恵を借りる畏友《いゆう》は、風来坊泰軒居士と、この湯殿のラスプチン愚楽老人以外にはない――こう考えている。ラスプチンというと、なんだか愚楽も、ひどくエロごのみでいんちき宗教をあやつるように聞こえますが、わが愚楽、そんなところはちっともないんです。ただ、常人のうかがい知ることのできないお城の奥深く、一種の妖気ともいうべきふしぎな威勢、魅力、呪縛力をそなえている点で、たとえてみれば、お湯殿のラスプチン……
 泰軒先生も。
 今の世でいくらか話せるやつは、大岡《おおおか》とこのせむし[#「せむし」に傍点]の化け物――どっちも葵《あおい》の扶持《ふち》をいただく飼い犬だけれど、まアこの二人は、相当なもんだ……ぐらいに思ってる。
 だから、天下に何か困った問題が起こると、深夜コッソリこの三人が集まるんです。
「お呼《よ》びだてして、はなはだ恐縮だが――」
 忠相《ただすけ》はにこにこして泰軒を見た。

       九

 今までだって、何か重大なことが出来《しゅったい》すると、よく夜中に、この越
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