、あかあかと灯がともったと見る間に、サッと潮のひくよう、囲みの人数がひきあげて行くから、左膳と源三郎、狐につままれたごとき顔を見合わせ、
「烏《からす》の子が、巣へ逃げこみおった。何が何やら、さっぱりわからぬ、うわははははは」
そのとき……。
ツーイと銀砂子《ぎんすなご》の空を流れる、一つ星。
「あ、星が流れる――ウウム、さては、ことによると老先生がおなくなりに……し、しまった!」
刀を納《おさ》めた源三郎へ、左膳は、
「あばよ」
と一|瞥《べつ》をくれて、
「星の流れる夜に、また会おうぜ」
一言残して、そのままズイと行ってしまった。
勝負なし……さすがの左膳も、この柳生源三郎に一太刀浴びせるには、もう一段、腕の工夫が必要と見たに相違ない。
このおれと、ほとんど対等に立ちあうとは、世の中は広いもの――かれ左膳、ひそかに心中に舌を巻いたのです。
一方、品川の旅宿《はたご》へ立ち帰った源三郎は。
こけ猿の茶壺は手になくとも、もはや一刻の猶予《ゆうよ》はならぬと、急遽供をまとめて本郷の道場へ乗りこんできた……あられ小紋の裃《かみしも》に、威儀《いぎ》をただした正式の婿入り行列。
ちょうどこの日、妻恋坂では、伊賀の暴れン坊を待ちきれずに死んだ、司馬十方斎の葬儀。
その威勢、大名をしのいだ、不知火流の家元のおとむらいですから、イヤその盛大なこと。
白黒の鯨幕《くじらまく》、四|旒《りゅう》の生絹《すずし》、唐櫃《からびつ》、呉床《あぐら》、真榊《まさかき》、四方流れの屋根をかぶせた坐棺《ざかん》の上には、紙製の供命鳥《くめいちょう》をかざり、棺の周囲には金襴《きんらん》の幕……昔は神仏まぜこぜ、仏式七分に神式三分の様式なんです。
この日、門前にひしめく群集に撤銭《まきせん》をするのが、司馬道場の習慣《しきたり》だった。当時、江都《こうと》評判の不知火銭《しらぬいぜに》というのは、これです。
その、山のように撒くお捻《ひね》りのなかに、たった一つ、道場のお嬢様|萩乃《はぎの》の手で、吉事ならば紅筆《べにふで》で、今日のような凶事《きょうじ》には墨《すみ》で、御礼《おんれい》と書いた一包みの銭がある。これを拾った者は、お乞食《こも》さんでも樽拾《たるひろ》いでも、一人だけ邸内へ許されて、仏前に焼香する資格があるのだ。われこそはその萩乃のお墨つきを手に入れて、きょうの幸運児になろうと眼の色変えて押すな押すなの騒ぎだ。
ここへ馬を乗りいれた源三郎をめがけて、銭撒《ぜにま》き役《やく》の峰丹波、三|方《ぽう》ごと残りのお捻りを投げつけたのだが、偶然源三郎のつかんだ一つが、その、万人のねらう萩乃のお墨《すみ》つきでありました。
入場切符みたいなもの――招かざる客、伊賀の暴れン坊は、こうしてどんどん焼香の場へとおってしまった。
出《で》る仏《ほとけ》に入《はい》る鬼《おに》。
きょう故先生の御出棺の日に、司馬道場、とんだ白鬼を呼びこんだもので。
「おくればせながら、婿源三郎、たしかに萩乃どのと道場を申し受けました。よって、これなる父上の御葬儀は、ただいまよりただちに喪主として……」
源三郎のりっぱな挨拶に、室内の一同、声を失っている。あの恋する植木屋と、見ずに嫌いぬいてきた伊賀の若殿とが、同一人であることを知った萩乃の胸中、その驚きとよろこびは、どんなでしたでしょうか。
娘《むすめ》ひとりに婿《むこ》八人(発端篇)
こけ猿の茶壺は、まだ橋下の左膳の掘立小屋にある――と、にらんでいるらしく、いま四方八方からねらって毎夜のように壺奪還の斬り込みがある。
君《きみ》懐《なつか》しと都鳥《みやこどり》……幾夜かここに隅田川《すみだがわ》。
その風流な河原も、今は血《ち》なまぐさい風が吹きまくって。
柳生|藩《はん》の人達は、江戸で二手に別れて、壺をはさみ撃《う》ちにしようというのです。日光御造営に大金のいる日は、刻々近づいてくる。早くこけ猿をさがしだして、その秘める埋蔵金の所在《ありか》を解かねば、殿は切腹、お家は四散しても、追っつくことではない。一同、火を噴かんばかりにあせりきっています。
押しかけ婿、源三郎の供をして、妻恋坂へ乗りこんだ連中は、柳生一刀流師範代|安積玄心斎《あさかげんしんさい》、谷大八ら、これは壺を失った当の責任者ですから、まったくもう眼の色かえて左膳の手もとをうかがっている。
問題の壺を源三郎に持たしてよこしたあとで、日光おなおしが伊賀へ落ちて、とほうにくれている時、お茶師《ちゃし》一風宗匠《いっぷうそうしょう》[#ルビの「いっぷうそうしょう」は底本では「いっぷうそうしゅう」]によって初めてこけ[#「こけ」に傍点]猿の秘密が知れたのだ。こけ猿さえ見つけだせば、その中に隠してある秘図によって、先祖のうずめた財産を掘りだし、伊賀の柳生は今までの貧乏を一時にけしとばして、たちまち、日本一の大金持になってしまう。日光なんか毎年重なったって、ビクともするこっちゃない。ところが、そのかんじんのこけ猿が行方《ゆくえ》知れずというんだから、こりゃアあわてるのも、それこそ、猿の尻尾に火がついたように急《せ》くのも、無理ではございません。
イヤ、行方が知れないわけじゃアない。
丹下左膳という隻眼で一本腕のさむらいが、シッカと壺をにぎって放さないことは、与吉の注進で、まず司馬道場の峰丹波とお蓮様の一派に知れた。司馬の道場に知れれば、そこにがんばって日夜互いにスパイ戦をやっている源三郎の同勢には、すぐ知れる。
同時に。
柳生《やぎゅう》の里から応援に江戸入りした高大之進《こうだいのしん》を隊長とする一団、大垣《おおがき》七|郎右衛門《ろうえもん》、寺門一馬《てらかどかずま》、喜田川頼母《きたがわたのも》、駒井甚《こまいじん》三|郎《ろう》、井上近江《いのうえおうみ》、清水粂之介《しみずくめのすけ》ら二十三名の柳門《りゅうもん》選《え》り抜きの剣手は、麻布本村町《あざぶほんむらちょう》、林念寺前《りんねんじまえ》なる柳生の上屋敷を根城に、源三郎の側と連絡をとって、これも、夜となく昼となく、左膳の小屋にしたいよる。
隻眼隻腕の稀代の妖剣、丹下左膳――しかも、その左腕に握っているのは、濡れ紙を一枚|空《くう》にほうり投げて、落ちてくるところを見事ふたつに斬る。その切った紙の先が、燕の尾のように二つにわかれるところから、濡れつばめの名ある豪刀……剣鬼の手に鬼剣。
この左膳の腕前は、誰よりも源三郎が一番よく知っているところであります。
伊賀の暴れン坊が、一|目《もく》も二|目《もく》もおくくらいだから、まったく厄介なやつが壺をおさえちゃったもンだとみんないささか持てあまし気味。
峰丹波の一派、源三郎、玄心斎の一団、高大之進の応援隊と、一つの壺をめがけて、あちこちから手が伸びる――娘ひとりに婿八人。
おもしろずくで相手になっていた左膳も、ちょっとうるさくなりかけたやさき。
ある日……。
前夜の斬りこみで破られた小屋の筵《むしろ》壁を、背にポカポカと陽をあびながら左膳がつくろっていますと、ビュウーン! どこからともなく飛んできて、眼の前の筵に突き刺さったものがある。結び文をはさんだ矢……矢文《やぶみ》なんです。
とたんに。
「ワッハッハ、矢をはなちてまず遠《えん》を定《さだ》む、これすなわち事の初めなり。どうだ、驚いたか」
という、とてつもない胴間《どうま》声が、橋の上から――。
白真弓《しらまゆみ》(発端篇)
ひょうひょうと風のごとく、ねぐらさだめぬ巷の侠豪、蒲生泰軒《がもうたいけん》先生。秩父《ちちぶ》の郷士《ごうし》の出で、豊臣の残党だというから、幕府にとっては、いわば、まア、一つの危険人物だ。ぼうぼうの髪を肩までたらし、若布《わかめ》のような着ものをきて、鬚《ひげ》むくじゃらの顔、丈《たけ》高く、肩幅広く、熊笹《くまざさ》のような胸毛を風にそよがせている。
どこにでも現われ、なんの事件にでも首を突っこむのが、この蒲生泰軒だが、いったいどういうわけでこの先生が、このこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺をめぐる渦巻に飛びこんできたのか、そのいきさつは、今のところまだ謎です。
とにかく。
この矢文《やぶみ》には、どういう仔細《しさい》で、そうみんなが顔いろかえて、このうすぎたない一個の壺を手に入れようとあせっているのか、その訳がすっかり書いてある。
で、ここに初めて左膳は、壺の秘密……柳生の埋蔵金のことを知ったのです。命にかけても、この壺をうばい返そうとするのも、無理ではない。今も昔もかわらない、黄金にたいする人間の利念慾欲が、この壺ひとつに凝《こ》っていたのか……。
「ウウム、読めた。さては、そうであったか。あれほど真剣にねらう以上、何か曰《いわ》くがなくてはならぬと思っておったが――イヤ、そうと判ってみればなおのこと、めったにこの壺は渡されねえ」
左膳、左手《ゆんで》に濡れ燕の柄をたたき、一眼をきらめかせて、固く心に決しました。
剣魔《けんま》左膳の胸に、この時から、黄金魔《おうごんま》左膳の芽がふいて――。
「いずれ、また会おう。それまで、壺をはなすなよ。天下の大名物、こけ猿の茶壺、せいぜい大切にいたせ」
言い捨てて、橋上の泰軒、来た時と同じように、ブラリと行ってしまいました。
さて、ここでふたたび物語の遠眼鏡を、お城の奥ふかく向けますと――。
「どうじゃナ、柳生はだいぶ苦しがっておるかの?」
吉宗公、愚楽老人へ御下問です。
この、将軍様とその知恵《ちえ》ぶくろ、愚楽と、いろいろお話のあった結果でしょう。まもなく愚楽は、時の江戸南町奉行|大岡越前守《おおおかえちぜんのかみ》さまと相談をいたしまして、ひょっとすると将軍のお手もとからも、こけ猿をつけねらう新手の別働隊が、繰りだされそうな形勢となった。
が、それはそれとして、
十方斎先生亡き後の、司馬道場には、二つのふしぎな生活がつづいている。
道場の主におさまった気の源三郎と、あくまでもそれを認めず、ルンペンの一団でも押しこんできて、かってに寝泊りしているものと見なしている、お蓮さまと丹波の陰謀組と。
広い屋敷がふたつにわかれて、妙《みょう》なにらみあい。
なかにはさまれた萩乃は、一心に源三郎を思いつづけているのだが、お蓮様も、幾度はねられても源三郎を恋しています。三|竦《すく》みの形。
すると、です。
あの、浪人姿のチョビ安のあとをつけて、こけ猿の木箱が、とんがり長屋の作爺さんの家に隠されたと見た与吉の報告で、丹波の手からはなされた一隊の不知火流《しらぬいりゅう》の門弟どもが、ある日、突如として長屋をおそったのだ。作爺さんをおどしつけて、その木箱をあけて見ると! おどろいた。
中は、水で洗われて円くなった河原の石。
その石の表面に。
虚々実々《きょきょじつじつ》、いずれをいずれと白真弓《しらまゆみ》、と、墨痕《ぼくこん》あざやかに読める。
左膳の字だ。剣怪左膳、はかりごとにおいても相当なもの、見事にいっぱいくわされたんです。
奇態《きたい》なトリオ(発端篇)
業《ごう》を煮やした不知火の弟子達が壺のかわりにとばかり、無態な言いがかりをつけて、お美夜ちゃんをかかえていこうとすると!
ぬッと戸口をふさいで立ったのは。
ふさふさと肩にたらした合総《がっそう》、松の木のような腕ッ節にブラリ下げたのは、一升入りの貧乏徳利で……。
おどろく侍どもをしりめにかけて、押し入って来た蒲生泰軒は、この日からこのとんがり長屋にお神輿《みこし》をすえることになった。長屋に、また一つ名物がふえたのはいいが、この時、部屋の隅にころがっている馬の彫刻に眼をとめて、
「おおっ! 馬を彫らせては、海内随一の名ある作阿弥《さくあみ》どの――!」
と、一眼で作爺さんの素性を看破したのも、この泰軒居士でした。
それから、まもなく。
竹屋の渡しに、舟を呼ぶ声も聞こえない真夜中のこと。
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