あかちゃ》けた頭髪《かみのけ》。一眼はうつろにくぼみ、その眉から口尻へかけて、溝のごとく深い一線の刀痕――黒襟《くろえり》かけた白着に、大きく髑髏《しゃれこうべ》の紋を染めて、下には女物の派手な長襦袢《ながじゅばん》が、竹《たけ》ン棒《ぼう》みたいなやせ脛《すね》にからまっている。
「アッハッハッハ、おれか? 俺あ丹下左膳《たんげさぜん》てえ人斬り病《やまい》……」
 その背後《うしろ》に、チョビ安め、お小姓然と控えているんで。イヤ、与吉の野郎、おどろきました。

   くるりくるりと走馬燈《そうまとう》(発端篇)

 こうして偶然にも、この万人のつけねらうこけ猿の茶壺は、巷《ちまた》の放浪児《ほうろうじ》チョビ安の手から、人もあろうに隻眼隻腕の剣怪、丹下左膳の手に納まることとはなった。まことに厄介な次第になったもので。
 このチョビ安という小僧は。伊賀の国は柳生の郷《さと》の生れとだけで、両親《ふたおや》の顔も名も知らない、まったくの親なし千鳥。
 当時、浅草の竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋、羅宇屋《らうや》の作爺《さくじい》さんの隣家《となり》に住んでいるが、その作爺に、お美夜《みや》ちゃんという七つになる孫娘があって、これがチョビ安と筒井筒《つついづつ》の幼同士、まア、子供の恋仲てえのも変だけれど、相手が化け物みたいにませたチョビ安だから、わけもわからずに、末は夫婦《めおと》よ、てなことを言いあっているんです。とにかく、おっそろしく仲がいい遊び友達のチョビ安とお美夜ちゃん。
 そのチョビ安が、ある日ふらっと、例によってところてん[#「ところてん」に傍点]売りにでかけたきり、とんがり長屋へ帰ってまいりませんから、お美夜ちゃんはたいへんな悲観と心配。
 これは安公、長屋へ帰らないわけで、
「向うの辻のお地蔵さん、涎《よだれ》くり進上、お饅頭《まんじゅう》進上、ちょいときくから教えておくれ、あたいの父《ちゃん》はどこへ行《い》た、あたいのお母《ふくろ》どこにいる、ええじれったいお地蔵さん、石では口がきけないね――」
 この、チョビ安|自作《じさく》の、父母を慕いさがす唄を耳にした左膳、同情のあまり彼を手もとにとどめおいて、
「うむ。これからはおれが、仮りの父親になってやろう。どこへも行くな。その曰《いわ》くありげな壺はこのにわか拵《ごしら》えの父が、預かってやる。父と子と、仲よく河原の二人暮しだ。親なし千鳥の其方《そのほう》と、浮き世になんの望みもねえ丹下左膳《たんげさぜん》と、ウハハハハハ」
 というわけ。変な父子《おやこ》ができちまったが……それからほどなく。
 河原の小屋に壺を置いたのでは、夜《よ》な夜《よ》なねらう者の多いところから、左膳はチョビ安に、人眼につきやすい侍姿をさせて、壺の箱を持たして竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋、作爺さんのもとへ預けにやったのです。
 子供が、おとなもおとな、浪人の装《なり》をして街を行くのだから、眼にたつ。はたしてこの後をつけて、壺が作爺さんの家へ納《おさ》まるところを見きわめたのが、日夜左膳の掘立小屋《ほったてごや》を見張っていた鼓の与吉だ。チョビ安、それを知ってか知らずにか、壺の箱を作爺さんにあずけ、お美夜ちゃんともしばしの対面を惜んで、帰ってゆく。
 この作爺さん、実は作阿弥《さくあみ》というたいへんな彫刻の名人で、当時|故《ゆえ》あって江戸の陋巷にかくれすまい、その娘、つまりお美夜ちゃんの母なる人は、腰元からなおって、今はさる御大家の後添いにおさまり、お美夜ちゃんなど見向きもしないということです。
 話かわって……。
 本郷妻恋坂、司馬十方斎の道場では。
 老先生は病あらたまって、死の床。きょうあすをも知れない身でしきりに、剣をもって相識る柳生対馬守の弟を、娘萩乃の入り婿に乞い請《う》けた。その柳生源三郎の到着を、枕の上に首を長くして待っている。
 ところで――かんじんの萩乃は、伊賀の暴れン坊と唄にもあるくらいだから、強いばかりが能《のう》の、山猿みたいな醜男《ぶおとこ》に相違ないと、頭《てん》からきめて、まだ見たこともない源三郎を、はや嫌い抜いている。
 この時です。妻恋坂の司馬の屋敷へ雇われてきた、若いいなせ[#「いなせ」に傍点]な植木屋がございました。
 色白な、滅法界いい男。

   罪ですネ源《げん》ちゃんは(発端篇)

 瀕死の司馬十方斎先生は、同じ剣家、柳生一刀流の大御所対馬守との間に話のきまった、その弟伊賀の源三郎の江戸入りを、きょうかあすかと待って、死ぬにも死ねないでいます。
 源ちゃん、品川まで来たのはいいが、婿引出のこけ猿の茶壺を失って、目下大騒ぎをしてさがしていることは、一同ひた[#「ひた」に傍点]隠しにして先生の耳へ入れないでいる。
「源三郎の顔を見て、萩乃と祝言《しゅうげん》させ、この道場を譲らぬうちは、行くところへも行けぬわい」
 というのが、死の床での司馬先生の口癖。
 ところが。
 当の萩乃は、恋《こい》不知火《しらぬい》のむすめ十九、京ちりめんのお振袖も、袂重い年ごろですなア。
「源三郎様なんて、馬が紋つきを着たような、みっともない男にきまってるわ」
 ひどいことを考えている。
「おお嫌だ! 伊賀の山奥から、猿が一匹来ると思えばいい」
 まだ品物を見ないうちから、身ぶるいするほど怖毛《おじけ》をふるっている。
 すると……。
 紺の香のにおう法被《はっぴ》の上から、棕櫚縄《しゅろなわ》を横ちょにむすんで、それへ鋏をさした植木屋の兄《あに》イ――見なれない職人が、四、五日前から、この不知火御殿《しらぬいごてん》といわれた壮麗な司馬の屋敷へはいって、さかんにチョキチョキやっていましたが。
「触《さわ》るまいぞえ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗《くり》のいが」
 口の中で、いやに気になる鼻唄をうたっている。こいつが萩乃に、変に馴れなれしく口をきいているのを見て、怒ったのが師範代峰丹波だ。
 短気《たんき》丹波といわれた男……。
「植木屋風情が、この奥庭まで入りこむとは何事ッ! 誰に許しを得て――無礼者めがッ!」
 発止《はっし》! 投げた小柄を、植木屋、肘を楯《たて》に、ツーイと横にそらしてしまった。柳生流秘伝|銀杏返《いちょうがえ》しの一手……銀杏返《いちょうがえ》しといったって、なまめかしいんじゃアない。ひどくなまめかしくない剣術のほうだが、峰丹波はサッ! と顔色をかえ、ドサリ縁にすわって――指を折りはじめた。
「ハテナ、柳生流をこれだけ使う方は、まず第一に、対馬守殿、これはむろん、つぎに、代稽古|安積玄心斎《あさかげんしんさい》先生、高大之進《こうだいのしん》……ややっ! これは迂闊《うかつ》! その前に、兄か弟かと言わるる柳生源三――おおウッ!」
 傲岸《ごうがん》[#ルビの「ごうがん」は底本では「ごうかん」]、丹波の顔は汗だ。そのうめき声を後に……触るまいぞえ手を出しゃ痛い――唄声が、植えこみを縫って遠ざかっていく。
 根岸の植留の若えもンで、渡り職人の金公てエ半《はん》チク野郎《やろう》――こういう名で入りこんではいるが。
 これが、実は、伊賀の若様源三郎その人なんだ。
 こういうところが、源三郎の源三郎たるゆえん。
 供の連中は品川を根城に、眼の色変えてこけ猿の行方を、探索している。その間に自分は、ちょっと退屈しのぎに、かくは植木屋に化けて、この婿入りさき司馬道場のようすをさぐるべく、みずからスパイに――そんなこととは知らない萩乃は、この美男の植木屋に、ひそかに、熱烈なる恋《こい》ごころを抱くにいたりました。
「あんなしが[#「しが」に傍点]ない植木屋などを、こんなに想うなんて、あたしはいったいどうしたというのだろう……あアあ、それにつけても源三郎さまが、あの植木屋の半分も、きれいであってくれればいいけれど――」
 娘島田もガックリ垂れて、小さな胸にあまる大きな思案。
 罪ですネ、源ちゃんは。

   相模大進坊《さがみだいしんぼう》濡《ぬ》れ燕《つばめ》(発端篇)

 せっかく盗みだしたこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺を、チョビ安てえ余計者《よけいもん》がとびだしたばっかりに、丹下左膳という化け物ざむらいにおさえられてしまった鼓の与吉。
 なんといって、妻恋坂の峰丹波様に言いわけしたらいいか。
 いつまで黙ってるわけにもいかないから、ことによったら、この首はないものと、おっかなびっくりの身には、軽い裏木戸も鉄《くろがね》の扉の心地……与吉のやつ、司馬道場へやって来た。
 とたんに。
 出あい頭《がしら》に会った若い植木屋を、一眼見るより与の公、イヤおどろいたのなんのって、あたまの素ッてんぺんから、汽笛みたいな音をあげましたね。
「うわアッ! あなた様は、や、柳生の、げん、げん、源三郎さまッ!――」
 こいつあ驚かずにはいられない。これから起こった、あの深夜の乱陣です。与吉の口から、柳生源三郎とわかった以上、もはや捨ててはおけない。峰丹波、今宵ここで、伊賀の暴れン坊に斬られて死ぬ気で、立ち向かいました。
「源三郎どの、斬られにまいりました」
「まあ、ソ、ソ、そう早くから、あきらめるにもおよぶまい」
 法被姿《はっぴすがた》の源三、庭石に腰かけて、含み笑い……素手《すで》です。
 星の降るような晩でした。
 これより先、伊賀の若殿に刃《は》向かう者は、一人しかない。それは、もうひとりの源三郎が現われねばならぬと――いう丹波の言葉に、与吉はふっと思いついて、こっそり屋敷を抜け出るが早いか、夜道を一散走り。
 吾妻橋《あづまばし》下の河原の小屋へ。
 かの、隻眼隻腕の刃妖《じんよう》、丹下左膳を迎えに。
 思いきり人が斬られる……と聞いて、おどりあがってよろこんだのは、左膳だ。しばらく人血を浴びないで、腕がうずうずしているところへ、しかも相手は、西国にさる者ありと聞いた伊賀の若様、柳生源三郎!
「イヤ、おもしれえことになったぞ」
 相模大進坊《さがみだいしんぼう》、濡《ぬ》れ燕《つばめ》の豪刀を、一つきりない左腕ににぎった丹下左膳、与吉のさわぎたてるまま辻駕籠に打ち乗って――。
 ホイ、駕籠! ホイ!
 棒鼻《ぼうはな》におどる提灯……まっしぐらに妻恋坂へかけつけました。この時の左膳は、理由《わけ》なんかどうでもよい、ただ柳生流第一の使い手と、一度刃を合わせてみたいという、熱火のような欲望に駆られて。
 行ってみると、おどろいた!
 丹波と源三郎は、まだ二本の棒のように、向かいあって立ったままだ。丹波は正眼、源三郎は無手。と! すっかり気おされて、精根がつきはてたものか、峰丹波、朽ち木が倒れるように堂《どう》ッと地にのけ[#「のけ」に傍点]ぞってしまった。
 刀痕の影をきざませて、ニッと微笑《わら》った左膳。
「なかなかやるのう。かわりあって、おれが相手だ」
 もとより、なんの恨みもない。斬りつ斬られつすべき仔細《わけあい》は、すこしもないのだ。ただ、剣を執る身の、やむにやまれぬ興味だけで、左膳と源三郎、ここに初めて真剣の手合せ――まるで初対面の挨拶のように。
 源三郎は、意識を失った丹波の手から、その一刀をもぎとって、柳生流独特の下段の構え。
 丹波の身体は、与吉が屋内へかつぎこんだ。
 この騒動に、お庭をけがす狼藉者《ろうぜきもの》とばかり、不知火の門弟一同、抜きつれて二人をかこむ。名人同士の至妙な立合いを、妨げられた怒りも手伝い、左膳と源三郎、こんどは力をあわせて、この司馬道場の連中を斬りまくることとなった。
 ちょうどこの時、奥まった司馬先生の病間では……。

   出る仏《ほとけ》に入る鬼《おに》(発端篇)

「おうッ! 不知火《しらぬい》が見える! 生れ故郷の不知火《しらぬい》が――」
 これが最後の言葉、司馬老先生は、とうとう婿の源三郎に会わずに、呼吸をひきとってしまった。庭で、左膳と源三郎に剣林を向けていた弟子達は、いっせいに刀を引いて、われがちに先生の臨終に駈けつける。
 急に邸内がざわめいて
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