お刀はお捨てめされ!」
 まったく。
 ドブリと水に漬けた、ほそ長い真綿なのだ。あつかうには、特別の術と習練を要する。水をふくませた真綿を、たくみに投げて、敵の刀を捲きつかせれば、適度な重味をあたえられた真綿のきれは、それ自らの力で小蛇のごとく、グルグルッとたちまち刀身ぜんたいにからみついて、水で貼りつき、綿でもつれて、ちっとやそっとのことでは取ろうたってとれない。
 どんな利刃も、即座に蒲団を被《き》て、人を斬るどころか、これじゃあ丸太ン棒よりも始末がわるい。源三郎、ギリッと歯をかんだ。
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作者記 これまでのところを、先へすすむ前に、ちょっとここで整理いたします。本来ならば、お蓮様《れんさま》の寮で柳生源三郎が剣豪|峰丹波《みねたんば》一党にとりかこまれ、くら闇《やみ》の中に命《いのち》と頼む白刃《はくじん》を濡《ぬ》れ真綿《まわた》でからめられた「源三郎の危機《きき》」から稿《こう》をつづけるべきですが、更始一新《こうしいっしん》の気持でここへこの「発端篇《ほったんへん》」をさし加えます。
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   耳《みみ》こけ猿《ざる》(発端篇)

「触《さわ》るまいぞえ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗のいが」
 五本骨の扇《おうぎ》、三百の侯伯《こうはく》をガッシとおさえ、三つ葉葵《ばあおい》の金紋六十余州に輝いた、八代吉宗といえば徳川もさかりの絶頂です。
 そのころ、いま言ったような唄が流行《はや》った。
 唄の主《ぬし》――。
 伊賀の暴れん坊こと、柳生源《やぎゅうげん》三|郎《ろう》は、江戸から百十三里、剣術大名|柳生対馬守《やぎゅうつしまのかみ》の弟で、こいつがたいへんに腕《うで》のたつ怖《おっか》ない若侍。
 美男《びなん》で非常な女たらしだ。ちょいと不良めいたところのある人物だったんです。
 江戸へ婿入りすることになりまして、柳生家|重代《じゅうだい》のこけ[#「こけ」に傍点]猿《ざる》の茶壺《ちゃつぼ》、朝鮮渡来《ちょうせんとらい》の耳《みみ》こけ猿《ざる》という、これは、相阿弥《そうあみ》、芸阿弥《げいあみ》の編した蔵帳《くらちょう》にのっている、たいそう結構な天下の名器だ。それを婿引出に守って、伊賀の源三郎、同勢をそろえて品川までやってきた。
 ところが、その夜。
 八ツ山下の本陣、鶴岡市郎右衛門《つるおかいちろうえもん》方の泊りで、
「若ッ! 一大事|出来《しゅったい》! 三島の宿で雇い入れました鼓の与吉という人足めが、かのこけ猿の壺をさらって、逐電《ちくでん》いたしましたっ!」
 えらい騒ぎ。波紋の石は、まずこの江戸の咽喉首《のどくび》、品川の夜に投ぜられて、広く大きく、八百八|町《ちょう》へひろがっていく。
 その、江戸は本郷《ほんごう》、妻恋坂に。
 十|方不知火流《ぽうしらぬいりゅう》という看板を掲げた司馬老先生の道場が、柳生の若様の婿入り先で、娘を萩乃《はぎの》といいます。老先生は長《なが》のいたつき、後妻のお蓮《れん》さまという大年増《おおどしま》が、師範代|峰丹波《みねたんば》とぐるになって、今いい気に品川まで乗りこんできている源三郎を、なんとかしてしりぞけ、道場をぶんどろうと企んでいるのだ。
「老先生がおなくなりになるまで、婿引出をぬすみ隠して、源三郎めを品川へとどめておけ」
 つづみの与の公、この丹波の命をうけて供の人数へ紛《まぎ》れこみ、こけ猿の茶壺をかつぎだしたのです。引出物がなくては、お婿さんの行列は立ち往生。
 一同、品川で足どめを食った形。あの辺の青楼《せいろう》やなんかは、イヤもう、どこへ行っても伊賀訛《いがなまり》でいっぱいだ。毎日|隊伍《たいご》を組み、豪刀をよこたえて、こけ猿の茶壺やいずこ? と、江戸市中をさがしまわっている。
 この、消え失せたこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺――耳が一つ虧《か》けているので、耳こけ猿、こけ猿という……この壺の秘密をめぐる葛藤《かっとう》が、本講談の中心でございます。
 さて。
 話はここで、お濠《ほり》の水しずかな千代田の城中、奥深く移って。
 将軍八代様のお湯殿《ゆどの》。八畳の高麗縁《こうらいべり》につづいて、八畳のお板の間、御紋《ごもん》散らしの塗り桶を前に、お流し場の金蒔絵《きんまきえ》の腰かけに、端然《たんぜん》とひかえておいでになるのが、後に有徳院殿《うとくいんでん》と申しあげた吉宗公で。
 来年は、二十年目ごとの、日光|御廟《ごびょう》御修営《ごしゅうえい》の年に当たる。ひそかに軍用金でもためこんでいそうな雄藩《ゆうはん》を、日光東照宮《にっこうとうしょうぐう》修理奉行《しゅうりぶぎょう》に命じて、その金をじゃんじゃん吐きださせようという、徳川の最高政策です。
 どんな肥《ふと》った藩でも、日光を一ぺんくうと、げっそり痩《や》せると言われた。
「のう、愚楽《ぐらく》。来年の日光だが、こんどは誰にもっていったものかな?」
 吉宗公、お風呂番に相談している。そもそも、こいつをただの男とおもうと、大間違いなので……。

   金《きん》ピカ日光《にっこう》(発端篇)

 亀背で小男の愚楽老人《ぐらくろうじん》、この上様《うえさま》のお風呂番《ふろばん》は、垢《あか》すり旗下《はたもと》と呼ばれて、たいへんな学者で、かつ人格者だった。
 将軍の垢はするが、胡麻《ごま》は摺《す》らない。
 隠密《おんみつ》の総帥《そうすい》で、みずから称して地獄耳、いながらにしてなんでも知っている。八代吉宗、最高秘密の政機は、すべて入浴《にゅうよく》の際、このせむしの愚楽にはかって決めたものだそうだ。
「来年の日光造営《にっこうぞうえい》の奉行は、誰に?」
 との御下問《ごかもん》に、愚楽、答えて、
「伊賀の柳生対馬守へ――小藩だが、だいぶ埋蔵《まいぞう》しておりますようで」
 柳生対馬守は、源三郎の兄だ。この愚楽の進言の結果、莫大《ばくだい》な費用を要する日光修復は、撃剣と貧乏で日本中に有名な、柳生へ落ちることになった。
 その、いよいよ柳生を当てるにも、です。
 昔はまわりくどいことをやったもので……金魚籤《きんぎょくじ》。
 お城の大広間に、将軍家出御、諸大名ズラリといならび、その前に一つずつ、水をたたえた硝子《ギヤマン》の鉢をおいて、愚楽さんが一匹ずつ金魚を入れて歩くんです。その金魚の死んだ者に、東照宮様の神意があるというんだが、ナアニ、これと思うやつのまえに、前もって湯の鉢をすえとくんだから、金魚こそいい迷惑だ。
 こうして、人のいやがる日光|修繕《しゅうぜん》をしょわされちまった柳生藩、剣なら柳生一刀流でお手のものだが、これには殿様はじめ重役連中、額をあつめて、
「よわった! こまった! どうしよう――」
 の連発……青いき吐息。
 この日光|祖廟《そびょう》おなおしの件は、やがて本講談の大筋《おおすじ》の一つとなります。
 しかるに。
 その柳生藩に、百歳あまりの一風宗匠《いっぷうそうしょう》という、活《い》きた藩史《はんし》みたいな人物があった。この人によって、柳生の先祖が、かかる場合の用にもと、どこかの山間にとほうもない大金を埋《うず》め隠してあると知れて、一|藩《ぱん》は蘇生《そせい》の色に、どよめき渡った。
 あの愚楽老人の言ったことは、やっぱり嘘じゃあなかったんです。其金《それ》さえさがしあてれば、柳生は貧乏どころか、日本一の富裕《ふゆう》な藩になるだろう。
 が、その大金の埋蔵個所は、ただ一枚の秘密の地図に描《えが》き示してあるだけで、誰も知らない。
 では、その密図は――?
「こけ猿の茶壺に封じこめあるもの也《なり》」
 口のきけない一風宗匠、筆談で答えた。
 さあ、たいへん! よろこんだのも束の間、問題のこけ猿の茶壺は、弟源三郎の婿引出に持たしてやって江戸で行方不明……
「名器は名器にしろ、あの薄《うす》ぎたない茶壺が、柳生家門外不出の逸品《いっぴん》と伝えられていたのは、さては、そういう宝の山の鍵がおさめられてあったのか。そうとも知らず――」
 と、地団駄《じだんだ》踏んでも、あとの祭。さっそく、藩士の一隊が決死の勢いで、壺探索に江戸へ立ち向かう。
 妻恋坂、司馬道場《しばどうじょう》の峰丹波はこのこけ猿の秘密を知っているに相違ない。お婿さんの源三郎には来てもらいたくないが、壺には来てもらいたいので、ああして鼓の与吉を使って盗みださせたのも道理こそ……。
 幾百万、幾千万という大財産の在所《ありか》を、そのお腹《なか》ン中に心得てる壺だ。
 そろそろ、四方八方からの眼の光り出したこけ[#「こけ」に傍点]猿……それは今、どこにある?
 浅草《あさくさ》は駒形《こまがた》の兄哥《あにい》、つづみの与吉とともに、彼の仲間の大姐御《おおあねご》、尺取り横町の櫛巻《くしまき》お藤《ふじ》の意気な住居に、こけ猿、くだらないがらくたのように、ごろんところがっているんです。
 口あれど、壺に声なく――。

   俺あ丹下左膳てえ者《もん》だ(発端篇)

 ヒュードロドロドロ……青いお江戸の空に、鳶《とび》が輪を描いています。
 ばかにいいお天気。
「姐御、もうでえぶほとぼりの冷めたころだから、あっしアこれから、品川であの柳生源三郎の一行から盗みだしたこの壺を、妻恋坂の峰丹波様へ納めてくるぜ」
「チョイト、張り板が裃《かみしも》を着たような、ヤに突ッぱった田舎のお侍さんたちが、眼の色かえて江戸じゅう、そいつを探しているっていうじゃないか。与の公、大丈夫かえ」
「止めてくれるな、出足がにぶるってんだ。思いついたが吉日でえ」
 勢いよく壺の箱を抱えて、とびだした与吉だったが、途中で与の公、壺の中が見たくなった。
「源三郎には用はないが、その持っておるこけ猿の壺には、当方において大いに用があるのだっ! 必ずともに壺を盗みだしてこいヨ。よいかナ」
 そう、峰の殿様はすごい顔で、厳命したっけ。よウし! なにが入《へえ》ってるか、一つ見てやれ――と与吉は、本郷への途中、壺を開きかけると、あ! いけねえ!
 言わないこっちゃアない。ちょうど向うを通りかかっていた、柳生の侍の一団が、この時与吉を見つけて、ドッ! と雪崩《なだれ》をうって迫ってきました。
 あわてた与吉、かたわらに荷を出していたところてん[#「ところてん」に傍点]屋の小僧、チョビ安という八つばかりの少年に壺を預《あず》けて、お尻《しり》に帆上げて逃げだした。イヤ、その早いこと、早いこと! グルッとそこらを一まわりして、伊賀の連中を晦《ま》いてから、ノホホンと元のところへ来てみると、与の公、二度びっくり!
 今度はそのところてん[#「ところてん」に傍点]屋の小僧チョビ安が、壺をかかえてドンドン逃げていくではないか。
「小僧! 待てエッ! 待てエッ!」
 与吉は必死に追っかける。チョビ安少年は、その壺の包みに、何か素晴らしいものでもはいっていると勘違いしているらしく、一生懸命にすっ飛んでいきます。
 逃げるほうもよく逃げたが、追うほうもよく追った。三味線堀《しゃみせんぼり》は佐竹右京太夫様《さたけうきょうだゆうさま》のお上屋敷、あれからいたしまして、吾妻橋《あづまばし》の袂といいますから、かなりの長丁場《ながちょうば》。
 チョビ安、どんどん駈けながら、
「泥棒だアッ、助けてくれえ!」
 大声をはりあげる。これにはさすがの与の公も、子供ながら上には上があると、あきれている。
 とたんに、チョビ安の姿がふっと消えた。橋下の河原へとびおりたんです。つづいて与吉も、橋|桁《げた》の下へもぐりこんでみると、そこに、浮き世をよその蒲鉾《かまぼこ》建ての乞食小屋。
 チョビ安、えらいところへ逃げこんだもので……筵《むしろ》の垂れをはぐって、与吉が顔をさし入れて見ると!
 薄暗い中にむっくり起きあがったのは、なんと! 大たぶさがバラリ額にかかって、隻眼片腕の痩《や》せさらばえた浪人姿――。
 箒《ほうき》のような赤茶《
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