を見たかったよ」
カラリと煙管を投げ出して、
「ある人の小屋から、ある子供のあとをつけて、あるところへ……なんかと、あたしに聞かせてぐあいのわるい話なら、はじめからだまっているがいい。いやに気をもたせて、なんだい、おもしろくもない。お前、なにかたいへんなことを、あたしに隠しているね?」
与吉はいったいかってなやつで、このお藤姐御の家にだって、よっぽどいるところがなくなって困らないかぎり、てんで寄りつきもしないのだ。だから、与吉がこうやってころげこんでくるのは、目下《もっか》八方ふさがりの証拠で――もっとも、相手が与の公ですから、お藤姐御はてんで歯牙《しが》にもかけていない。来れば来たかで、部屋の隅っこへごろ寝をさせてやるだけで、一つ屋根の下に泊まっていても、なんということはないんです。
丹下左膳が、つい近くの、浅草の橋の下に小屋を結んでいることは、与吉はまだ、お藤姐御に隠してあるので。
明かせば、いまだに左膳へ対して抱いている恋心《こいごころ》から、姐御《あねご》は、さっそく左膳のほうへ味方《みかた》をするにきまっている。それじゃア敵をふやすようなもので、こけ猿の茶壺を種に、司馬の道場へ加勢するか、あの伊賀の連中へ与《くみ》するか、どっちにしろ、ここでぼろい儲けをしようとたくらんでいる与の公にとっては、大痛事《おおいたごと》。
で、黙っていたんだが、隠していることがあると図星をさされてみると、相手は姐御の貫禄、与吉、グウの音もでないでいる時、不意に、表の路地にバタバタとあわただしい跫音《あしおと》。
「おや、なんだろうね、いま時分」
お藤の眉が、美しい八の字を描いて――。
五
ガラッ!……格子があいた。
お藤姐御は、乱れた裾前から、水色縮緬の湯巻をこぼし――。
与吉は、素袷《すあわせ》の膝をひっつかんで。
二人が突ったったとたん!……飛びこんで来たんです、息をきらした一人の子供が、せまい土間へ。
朧《おぼろ》の明りにすかし見た与の公、素頓狂《すっとんきょう》な声をあげて、
「やっ! 手前《てめえ》はいつかの小僧じゃアねえか。飛んで灯に入る夏の虫――」
講釈場《こうしゃくば》仕込みの文句を口に、与吉、つかつかと土間へおりようとすると――。
飛びこんで来たチョビ安は、必死の顔色だ。与吉とお藤へ向かって、かわるがわるに、小さな手をあわせたのは、かくまってくれという意味であろう。
「シイッ!」
と、与吉へ眼くばせとともに、無言をたのんだチョビ安は、内部《なか》からしっかと格子をおさえているが、その、恐怖と狼狽にみちたようすを、お藤姐御は、両手をだらしなく帯へ突っこんで、上がり框《かまち》の柱にもたれたまま、じっと見おろしているんです。
「太え餓鬼でさあ、こん畜生は」
と、与吉は、得たりと大声に、
「はじめこいつが、壺をさらって、突っ走りやがったばかりに……またこの間は、乙《おつ》な服装《なり》をしやがって、偽物の壺で、まんまとおいらにいっぺえくわしたのも、この餓鬼だ」
「誰かに追われているんだよ、しずかにしておやりよ」
お藤の眼が、ギロリと与吉へはしって、
「壺ってのは、いつかお前が持ってきて、しばらくここへ置いといた、あの薄汚い壺のことだね? すると、今も、ある子供のあとをつけて、なんて、お前がひどくうらんでいたのは、この兄《にい》ちゃんだったのかい。なんだか、隠し立てしていることが、そろそろほぐれてきそうだから、おもしろいねえ」
与吉はまごまごして、
「やいっ! ここをどこと思って飛びこんで来た。摘み出すぞ」
「相手が子供だと、与の公もえらい鼻息だね。だが、お前がそんなにいじめるなら、あたしは、この兄ちゃんの味方になるから、そう思うがいい……ねえ」
と、まだ懸命に格子をおさえているチョビ安へ、
「あたしはね、櫛巻きお藤っていうのさ。あたしんとこへ飛びこんできたからには、決して悪いようにはしやアしない、大船へ乗った気でおいで」
「よけいな侠気《おとこぎ》ってもんだ。悪い病《やめ》えだなア」
与吉は往生して苦笑しましたが、チョビ安は、かわいい顔を振りむけて、
「小母《おば》ちゃん、あたい、チョビ安っていうんだよ。悪い侍達に追っかけられているの。助けてね」
「ああ、いいとも。安心しておいで。だがねえ、兄ちゃん、小母ちゃんてのはまだ可哀そうだよ。姉《ねえ》ちゃんぐらいにしておくれ」
お藤が笑ったとき、路地の溝板《どぶいた》をふんで、行きつ戻りつする多人数の跫音《あしおと》は、ただごとではありません。
「あ、来た……!」
おびえたチョビ安のしのび声と同時に、自暴《やけ》になった与の公、突拍子もない大声で叫んでしまった。
「チョビ安の小僧なら、ここに逃げこんでおりやすよ! へい」
六
「オヤ! なんだい与の公、せっかくあたしが助けてやろうと思っているのに――」
いまの与吉の大声で、路地の跫音がいっせいに、この家《や》の表に集まって、ドンドンドン!
「あけろ、あけろ!」
「あけぬとたたッこわすぞ」
お藤姐御は、グッと癪《しゃく》にさわって、真剣な顔だ。
与吉を、にらみつけた。
「ごらん、馬鹿ッ声をはりあげるもんだから、雑魚《ざこ》が寄ってきたじゃないか!」
ピシャリ! 白い平手が空《くう》にひらめいて、与吉の頬に、大きな音がした。
姐御のビンタを食った与吉、こうなると、もう自棄《やけ》のやん八です。
駒形一帯にひびき渡るような濁声《だみごえ》をしぼって、
「戸外《そと》の旦那方ッ! 諸先生ッ! チョビ安をおさがしでござんすか、ここにおりやす。ここに逃げこんで……!」
「まあ、なんて野郎――!」
姐御は、もう一つ与吉の横面《よこつら》をはりとばして、胸ぐらをとって小突きまわしたが、その時はもう表の戸は、ぐいぐいあけられかかっている。
しばらく中から、戸をおさえてはみたものの、子供の力の詮《せん》すべくもなくもう諦めてしまってチョビ安は、
「なあに、ようがす、べつにとって食おうたア言うめえ」
落ちついたものです。相変わらずませた口をききながら、襟をあわせ、前をなおし、従容として捕えられるしたく、衣紋《えもん》をつくろっていると……パッ! 戸があいた。踏みこんできました、ドヤドヤと――。
黒装束に黒の覆面の伊賀の連中、懸命に左膳をくいとめている一人、二人を残して、高大之進を先頭に、こうしてチョビ安を追ってきたんだ。
子を取ろ子取ろ……壺よりも、まず子供をつかまえようという魂胆なので……。
子供は今や、鬼の手に――。
はいった土間に、チョビ安が両手を後ろに組んで立っているんですから、高大之進がいきなり手を伸ばして、
「小僧! 神妙にしろ」
お捕り方みたいなことをいって、ぐいと肩をつかもうとした瞬間、ピョイと上がり框《かまち》へとびあがったチョビ安、お藤の後ろへまわって、
「姉ちゃん! なんとかしておくれよ。この連中はあたいを捕えて、父上の持っている大事な壺と、とっかえっこしようとしてるんだからサ」
読めた! 人質にしようとしているんです、チョビ安を。
持って生まれた性分で、どうもよわいほうに味方したくなるんですから、お藤も因果な生れつき。
襟をつかんでいた与吉を、ドンと突っぱなした櫛巻きお藤の姐御、肩からずり落ちそうな半纏《はんてん》を、ひょいと一つ揺りあげながら、ぶらりと一歩前へ出て、
「吹けばとぶような長屋でも、一軒の世帯、あたしはここのあるじでございます。誰にことわって、この家へおはいりになりましたか。まず、それから伺いたいものですねえ」
七
無言です。
一同は、黒い影を重なりあわせて、押しあがってきました。
「なんです、土足でっ!」
お藤姐御の癇《かん》走った声も、耳にも入れない伊賀の連中……なんとか受け答えをすれば、お藤も、それに対していいようもあり、またその間に考えをめぐらして、とっさの策をたてることもできるのですが、黙っているんでは、さすがのお藤も相手ができない。
「この子に、指一本でもさわってごらん、あたしが承知しないよ」
金切り声でさけびながら、チョビ安を後ろにかばって、争ってみましたが、
「小僧っ、静かにしろっ!」
一人の手がやにわに伸びて、チョビ安の首根っ子をおさえると同時に、
「女、さわがせてすまんな」
高大之進の声です。静かにいって、つと、お藤姐御を後ろ手におさえてしまった。
与吉は?
と、見ると、こいつ、例によって逃げ足の早いやつで、あわてふためいて、戸外《そと》の闇へ……。
「チョビ安とやら申したな。貴様をとらえて、斬ろうの殺そうのというのではない。貴様と引き換えに壺をもらおうというだけのことだ。だが、彼奴《きゃつ》がどうしても壺を渡さんという時は、不憫《ふびん》ながら命をもらうかも知れぬからそう思え」
「お侍さん」
おくれ毛をキッと口尻にかみしめた櫛巻きお藤は、両手の骨の砕けるほど、高大之進に強く握られながら、艶な姿態に胴をくねらせて、ひとわたり黒頭巾を見上げ、
「この子は、今いきなりあたしのところへ飛びこんできたばかりで、いったいなんの騒ぎか、ちっとも存じませんけれど、いま壺がどうとやらおっしゃいましたね? それは、いま逃げていったつづみの与吉が、いつぞやここへ持ってきて、しばらくお預かりしたことのある壺でござんしょうが、それなら、あたしもまんざらかかり合いのないこともございません。まア、この手をお離しなすって、エイッ、離せって言うのに!」
「卑怯なまねをするなあ」
うそぶいたのは、チョビ安です。
「斬合いじゃあ敵《かな》わないもんだから、おいらをつかまえて、父上をくるしめようなんて、武士のするこっちゃねえや」
「ほざくなっ!」
と、チョビ安をおさえる一人が、いかりにまかせて、彼の小さな身体を畳へ押しころがし、ぎゅっと上からのしかかったとたん。
「あっ! やって来たっ!」
誰かの声に、一同の顔が戸口に向いた。
闇を背景に、格子をふさいで立っている白衣の痩身。手のない右袖が、夜風のあおりをくらってブラブラしているのは……丹下左膳。
だまって室内をながめまわしています。左の腋の下に壺をかかえ、その左手に血のしたたる濡れ燕をひっさげ、蒼くゆがんだ笑顔――。
「父上ッ」
チョビ安の声と同時に、
「あっ、お前様は、丹下の殿様――」
と、お藤が驚声をあげるまで、それが誰だか、左膳は気がつかないようすでした。
ありがたく頂戴《ちょうだい》
一
高大之進の一隊が、チョビ安の影を踏んで、路地の奥へ追いこんでいるあいだ……。
なんとかして、一刻も長く左膳をくいとめようと、刀をふるって駒形の街上に立ち向かった、二、三人の柳生の黒法師は。
剣鬼左膳の片手から生《せい》あるごとく躍動する怪刀濡れ燕の刃にかかって……いまごろは、三つの死骸が飛び石のように、夜の町にころがっているに相違ない。
壺も壺だが。
気になるのは、チョビ安の身の上。
野中の一本杉のような丹下左膳、親も妻子もない彼に、ああして忽然として現われ、親をもとめる可憐な心から、仮りにも自分を父と呼ぶチョビ安は、いつのまにか、まるで実の子のような気がして、ならないのでした。
ほんとうの人間の愛を、このチョビ安に感じている左膳なんです。
もう、半狂乱。
壺の木箱を左の腋の下にかいこみ、同じ手に抜刀をさげて、あわてたことのない彼が、一眼を血眼《ちまなこ》にきらめかし、追われて行ったチョビ安の姿をさがしもとめて、駒形も出はずれようとするここまで来ると。
とある横町に、パッと灯のさしている家があって、ガヤガヤという怒声、罵声の交錯。でも、ふっとのぞいてみたそこに、チョビ安がおさえられているのみか、あの櫛巻きお藤がとぐろを巻いていようとは、実に意外《いがい》……!
「なんだ、お藤じゃアねえか。ここはおめえの巣か」
言いながら左膳、冷飯草履《ひやめしぞうり》をゴソゴソとぬい
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