にきまっておる!」
作爺さんを無視して、四人バタバタと家を駈《か》け出ようとするから、こんどは、作爺さんが承知しません。
「ちょっとお待ちを……それでは約束がちがいます」
と呼びとめました。
引越蕎麦《ひっこしそば》
一
お約束が違いはしませんか……と、引きとめられた四人の侍は、一時に、作爺さんを振りかえって、威丈高《いたけだか》――。
「約束? いかなる約束をいたしたか、身どもはすこしもおぼえておらんぞ」
作爺さんは、畳に片手を突いて、にじりよった。
こんな裏長屋に住む、羅宇《らう》なおしのお爺さんとは思えない人品骨柄が、不意に、その作爺さんの物腰ようすに現われて、とんがり長屋の作爺さんとは世を忍ぶ仮りの名、実は……と言いたい閃きが、なにやらパッと、その開きなおった作爺さんの身辺に燃えあがって、四人は思わず、歩きかかっていた歩をとめて見なおしました。
「これは、両刀をお番《つが》えになるお武家様のお言葉とはおぼえませぬ。その箱をあける前に、中身が壺であったら、この私の小女郎をお連れなさる、そのかわり、もし壺がはいっておらなんだ節は、お四人様《よったりさま》のお身分をおあかしくださると、あれほどかたい口約束ではござりませなんだか」
作爺さんの枯れ木のような顔に、さっと血の色がのぼって。
「このとおり、箱のなかみは石ではござりませぬか。さ、御身分をおあかしください」
詰めよられた四人は、ちょっと当惑の顔を見あわせたが、箱をあけた頭《かしら》だった一人が、のしかかるようににらみおろし、
「これ、これ、約束とは対等の人間の間で申すことだ。武士と武士、町人と町人のあいだなら、重んずべき約束もなりたとうが、貴様のような、乞食同然のやつと、武士の拙者等と、約束もへちまもあるものか」
くるしまぎれに、理外の理屈をあみだして、またもや家を出かかりますから、作爺さんは別人のように、声を荒らげ、
「何を申さるる! 自らの言は食《は》むさえあるに、その得手かってのいい分《ぶん》……」
いいかける作爺さんを、じっと見ていた一人は、
「これ、その方《ほう》は根ッからの長屋住まいではないナ。ただいまの其方《そち》の言動、曰くある者と見た。何者の変身か、その方こそ名を名乗れ」
その尾について、もう一人が、
「そうだ。拙者らの身分、身分と申して、この親爺《おやじ》こそ、ただものではあるまい。おいっ、身もとを明かせ。明かさぬかっ」
作爺さんは、はっとわれに返ったようで、
「と、とんでもございません。私はただの羅宇《らう》なおしの作爺《さくじい》で、お歴々の前に、身分を明かすなんのと、そんな――」
「貴様、この箱に壺がはいっておらんことを、前にあけて見て知っておっただろう」
「いえ、あけては見ませぬ。が、手に持った重みから、なんと申しましょうか、手応えが、茶壺ではないと感じておりましたので」
「手に持っただけで、それだけのことがわかるとすれば、いよいよ貴様は、何者かの変名――」
「問答無益だ!」
一人がさけんだ。
「はじめから約束が違う以上、当方こそ約束どおりに、この娘を引っさらって行かねばならぬ」
と、いきなり、隅にふるえているお美夜ちゃんを横だきにかかえこんで、追いすがる作爺さんをしりめにかけ、そろって家を出ようとするとたん、ぬっと戸口をふさいで立ったのは、房々と肩にたらした合総《がっそう》、松の木のような腕っ節にぶらりとさげたのは、一升入りの貧乏徳利で……。
二
泣きさけぶお美夜ちゃんを片手にかかえた一人、それにつづく三人が、掌《て》を合わせて追いすがる作爺さんを一喝して、その長屋を立ち出でようとしているところへ――。
ずいと土間へはいりこんできたのは、あの、風来坊の蒲生泰軒先生。
元来が風のような先生で、空の下、地の上ならば、どこでも自分の家と心得ているのですから、到るところへふらっと現われるのは、当然で。
いつでも、どこにでもいるのが泰軒居士……同時に、さア用があるとなると、どこを探してもいないのが、この泰軒先生なのだ。
いま、この通りかかった竜泉寺の横町で、長屋の前のただならない人だかりを見て、何事だろうとはいって来たのですが、
「わっはっはっは――」
と、まず、笑いとばした泰軒は、
「めざしが四匹、年寄りと娘を相手に、えらく威張っておるな」
尻切れ草履をぬぎ捨てて、埃だらけの足のまま、あがりこんできました。
あっけにとられたのは四人で、思わずお美夜ちゃんを畳へおろし、
「なんだ、貴様は!」
「人に名を聞くなら、自ら先に名乗ってから、きくものだ」
「貴様ごときに、名乗る名は持たぬ」
事面倒になりそうなので、そうお茶をにごした四人が、長居は無用と、こそこそと出て行こうとする後ろから、また、われっかえるような泰軒の笑い声がひびいて、
「名乗らんでも、おれにはちゃんとわかっているぞ。道場へ帰ったら、丹波にそう言え。長屋にあります箱は、偽物でした、とナ」
「道場? どこの道場?」
「丹波とは、何者のことか」
と、そう四人は、口ぐちにしらをきったが、本郷の道場の者と見破られた以上、このうえどじを踏まないようにと、連れ立って足ばやに、路地《ろじ》を出ながら、
「おどろいたな。あの仁王《におう》のようなやつが、おれたちが司馬道場の者と知っているとは――」
「あいつは、そもそも何者であろう」
「虚々実々《きょきょじつじつ》、いずれをまことと白真弓《しらまゆみ》……か、うまく一ぱいくわされたぞ」
「かの与吉と申す町人、われわれにこんな恥をかかせやがって、眼にものみせてくれるぞ」
空威張《からいば》り――肩で風を切って、とんがり長屋の路地を出てゆく。もうこうなると、長屋の連中は強気《つよき》一点ばりで、
「おう、どうでえ。八や、あの鬼みてえな乞食先生が、フラリとはいっていったら、めだか四匹逃げ出したぜ」
「おうい、おっかア、波の花を持ってきなよ。あの四人のさんぴんのうしろから、ばらばらっと撒いてやれ」
振りかえってにらみつけると、どっと湧く笑い。四人は逃げるように、妻恋坂をさして立ち去りましたが、さて、そのあと。
せまっくるしい作爺さんの家では、きちんとすわりなおしたお爺《じい》さんが、お美夜ちゃんをそばへひきつけて、
「どなたかは存じませぬが――」
大胡坐《おおあぐら》の泰軒先生へ向かって、初対面の挨拶をはじめていた。
三
「どなたかは存じませぬが――」
と言いかけた作爺さんの言葉を、泰軒居士は、ムンズとひったくるように、
「いや、おれがどなたかは、このおれも御存じないような始末でナ……かたっくるしい挨拶は、ぬき、ぬき――」
大声に笑われて、作爺さんは眼をパチクリ……鬚《ひげ》むくじゃらの泰軒の顔におどろいて、お美夜ちゃんは、そっと作爺さんのかげへかくれましたが。
何を見たものか泰軒、突如、戸口へ向かって濁声《だみごえ》をはりあげたものだ。
「見世物じゃないっ! 何を見とるかっ!」
権幕におどろいて、おもてからのぞいていた長屋の連中、
「突《すき》っ腹《ぱら》に聞くと、眼のまわりそうな声だ」
「おっそろしい人間じゃあねえか。侍ともなんとも、得体のしれぬ化け物だ」
口々にささやきながら、溝板《どぶいた》を鳴らして逃げちっていくと、遠のく足音を聞きすました泰軒は、やおら形をあらため、
「卒爾《そつじ》ながら、おたずね申す」
いやに他所《よそ》行きの声です。
「それなる馬の彫り物は、どなたのお作でござるかな?」
と指さした部屋の隅には、木片に彫った小さな馬の像が、ころがっているんです。
そばに、うすよごれた布に、大小数種の鑿《のみ》、小刀などがひろげてあり、彫った木屑がちらかっているのは、さっきあの四人が押しこんで来る前まで、作爺さん、この仕事をしていたらしいので。
いつかも、あのチョビ安が、突然里帰りの形でこの石ころの入った木箱を持ちこんできた時、作爺さんは部屋じゅう木屑だらけにして、何か鉋《かんな》をかけていましたが、あのときもひどくあわてて、その鉋屑《かんなくず》や木片を押入れへ投げこんだように、今も、この泰軒の言葉に大いに狼狽《ろうばい》した作爺さんは、
「イエ、ナニ、お眼にとまって恐れ入りますが、これが、まあ、私の道楽なので、商売に出ない日は、こうして木片《こっぱ》を刻んでは、おもちゃにしております。お恥ずかしい次第で」
と聞いた泰軒、何を思ったかやにわに手を伸ばし、その小さな馬の像を拾いあげるや、きちんとすわりなおして、しばし黙々とながめていたが、ややあって、
「ウーム! 御貴殿のお作でござるか。さぞかし、ひそかに会心のお作……」
うなりだしてしまった。
その、キラリとあげた泰軒の眼を受けて、こんどは作爺さんが、おそろしく驚いたようす。
「や! それを傑作とごらんになるところを見ると――」
じっと泰軒をみつめて、作爺さん、小首をひねり、
「ウーム……」
いっしょにうなっている。
まったく、現代《いま》で申せば、民芸とでもいうのでしょうか。稚拙《ちせつ》がおもしろみの木彫りとしか、素人《しろうと》の眼にうつらない。
と! いきなり泰軒が、大声をはりあげて、
「おおっ! 馬を彫らせては、海内《かいだい》随一の名ある作阿弥殿《さくあみどの》――」
叫ぶように言って、作爺さんの顔を、穴のあくほど……。
四
作爺さんの驚きは、言語に絶した。
しばらくは、口もきけなかったが、やがてのことに、深いためいきとともに、
「どうしてそれを!……かく言う拙者を作阿弥《さくあみ》と看破さるるとは、貴殿は、容易ならざる眼力の持主――」
「なんの、なんの! ただ、ごらんのとおり雨にうたれ、風に追われて、雲の下を住居《すまい》といたす者、チラリホラリと、何やかや、この耳に聞きこんでおりますだけのこと。当時日本に二人とない彫刻の名工に、作阿弥という御仁《ごじん》があったが、いつからともなく遁世《とんせい》なされて、そのもっとも得意とする馬の木彫りも、もはや見られずなったとは、ま、誰でも知っておるところで……」
作爺さんは、仮装を見破られた人のように、ゲッソリしょげこんでしまったが。
事実、このとんがり長屋の住人、羅宇《らう》なおしの作爺とは、世を忌み嫌ってのいつわりの姿で、以前は加州金沢の藩士だったのが、彫刻にいそしんで両刀を捨て、江戸に出て工人の群れに入り、ことに、馬の木彫《もくちょう》に古今無双《ここんむそう》の名を得て、馬の作阿弥《さくあみ》か、作阿弥《さくあみ》の馬かとうたわれた名匠。
「ふうむ。この小さな馬が、いまにも土煙を立て、鬣《たてがみ》を振って、走り出しそうに見えるテ」
ほれぼれと、長いことその馬の彫り物を、手に眺めていた泰軒は、
「して、その作阿弥殿《さくあみどの》がいかなる仔細にて、この陋巷に、この困窮の御境涯――」
問われたときに、作阿弥は暗然《あんぜん》と腕をこまぬき、
「高潔の士とお見受け申した。お話し申そう」
語り出したところでは……。
かれには、たった一人の娘があったが、作阿弥の弟子の、将来ある工人を婿にえらび、一、二年ほど夫婦となって、このお美夜ちゃんを産んだのち、その良人《おっと》が惜しまれる腕を残して早世《そうせい》するとともに、子供だいじに後家をたてとおすべきだと、涙とともに一心に説いた父、作阿弥の言をしりぞけて、自らすすんで某屋敷へ腰元にあがり、色仕掛《いろじかけ》で主人に取り入り、後には、そこの後添《のちぞ》えとまでなおったが、近ごろ噂《うわさ》にきけば、その老夫もまた世を去って、ふたたび未亡人の身の上だというが……それやこれやで、おもしろからぬ世を捨てた父作阿弥と、ひとり娘のお美夜ちゃんとの隠れすむこのとんがり長屋へは、もう何年にも、足一つ向けたことのない気の強さ――。
作阿弥と、蒲生泰軒とは、初対面から二人の間に強くひき合い、結びつける、眼に見
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