いてきたんですから、丹波も悲鳴《ひめい》をあげて、これが口癖になるわけ。
「萩乃様は泣いてばかり――」
いいかけた丹波の言葉を、お蓮様は横から奪って、
「うるさいねえ。あたしだって、泣きたくなるよ」
と、どうやら急に、色っぽい口調……丹波が闇を透してのぞくと、お蓮様は顔をしかめて、切り髪の根に櫛を入れて、きゅっと掻いている。
二
「おい、天野《あまの》、魚を縦に切るやつがあるか。骨などあってもかまわんから、こう横にぶった切って、たたきこんでしまえ。おうい、瀬川《せがわ》! 貴様、大根を買いに行くと言って、これは牛蒡《ごぼう》ではないか」
「豆腐《とうふ》はどうした、豆腐は?」
「飯《めし》の係は、斎田氏《さいだうじ》ではないか。こげ臭いが、斎田はどこへいった」
「斎田か。きゃつはいま、庭へ出て、燈籠を相手にお面、お小手とやりおったぞ」
奥座敷の次の間から、廊下一面に、にわかに買いこんできた水桶《みずおけ》、七輪、皿《さら》、小鉢《こばち》……炊事道具《すいじどうぐ》をいっさいぶちまけて、泉水の水で米をとぐ。違い棚で魚を切る。毎日毎晩、この騒ぎなので――。
自分達こそ、この屋敷の正当の権利者とばかり、かってきままの乱暴を働いている伊賀の連中、障子を破いて料理の通《かよ》い口をこしらえるやら、見事な蒔絵《まきえ》の化粧箱を、飯櫃《めしびつ》に使うやら、到らざるなき乱暴狼藉。
その真ん中に泰然と腰をすえて、柳生源三郎、憂鬱な蒼白い顔で、がんばっているんです。
忍耐くらべ……。
先主司馬先生が萩乃の婿と決めただけで、公儀へお届けがすんだわけではない。源三郎は婿の気でいても、お蓮様や峰丹波は、いっこうに認めていないんですから、そこでこの居すわり戦となったわけで、間にはさまって一番困っているのは、当の萩乃だ。
恋い慕っていたあの植木屋が、実は夫と決まっている源三郎様……と知った喜びも束《つか》の間、彼女は、柳生の一団の住んでいる奥座敷と道場の者が追いつめられている表屋敷との、ちょうど中間の自分の部屋に、あれからずっととじこもったきりで、誰にも顔を見せない。
いつまでも、源三郎たちを、こうしておくわけにはいかない。
そこで丹波、今夜そっとお蓮様を、この奥庭へつれだして、源三郎の処置を相談しはじめたのだが――。
「うるさいねえ」
というのがお蓮様の一点張り。
「いったいいかがなされるおつもりで。斬り捨てることはできず、さりとて、このまま傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に――」
「フン、源三郎様に刀を向けたりすると、このあたしが承知しませんよ」
ふとお蓮さまは、思わずほんとの心が口に出たのに、自らおどろいたようすで、とっさに笑い消し、
「むかったって、かないっこないくせに――ほほほほ、まあ、あわてないで、あたしにまかせてお置きよ」
源三郎という名を口にする時の、お蓮様のうっとりした顔つきに、峰丹波は心配そうに、
「拙者らの手に負えぬ者を、あなたがいったい、どうなさろうというので――」
「うるさいねえ。男と女の間は、男と男のあいだとは、また違ったものさね。それにどうやら、あの源三郎は、このあたしなら、なんとかあやつれそうだからね。うるさいね。だまって見ておいでよ」
すんなりしたお蓮様の姿が、もう、築山をまわって歩き出していた。
三
「お嬢様、あの、萩乃様……」
侍女の声に、萩乃は、むすめ島田の重い首を、突っぷしていた経机《きょうづくえ》からあげて、
「何よ、うるさいねえ」
「いえ、お嬢さま、毎度同じことをお耳に入れて恐れ入りますけれど、そうやって毎日とじこもって、ふさぎこんでばかりいらしっては、いまにお身体にさわりはしないかとお次の者一同、こんなに御心配申しあげているのでございますよ」
「好きなようにさせておいてくれたらいいじゃないの。うるさいねえ。どうしたらいいっていうの?」
振り向いた萩乃の顔は、絹行燈の灯をうけて、白く冴えている。ほつれ髪が頬をなでるのを、眉をひそめて邪慳《じゃけん》に掻きあげながら、
「あたしの心は、誰もわかってくれないのだからよけいなことを言わずに、うっちゃっておいてくれたらいいじゃないの」
「またそんな情けないことをおっしゃいます。こうしておそばについております私どもに、どうしてお嬢様のお心がわからないはずがございましょう。お父様がお亡くなりになるとまもなく、人もあろうにあの乱暴者がああやってはいりこんできて昼も夜もあのまあ、割れっ返るような騒ぎ……」
女中がだまりこむと、はるか離れた奥座敷で、伊賀の連中の騒ぐ声が手にとるように聞こえてくる。今夜も酒宴が始まったらしい――。
ちょうど、庭の築山のかげで、お蓮様と丹波が話しこんでいる同じ時刻に、こうして女中の一人が、萩乃を慰めにその居間をのぞいたところです。
女中が顔をしかめて、
「ほんとに、田舎者のずうずうしいのには、かないませんよ。お婿さんだなんていったって、先殿様がお決めになったばかりで、お嬢様がこんなにお嫌い遊ばしていらっしゃるのに、なんでしょう、まア、ああやってすわりこんで……そういえばお嬢さま、あの朝鮮唐津のお大切な水盤《すいばん》を、あの伊賀の山猿どもが持ち出して、まあ、なんにしていると思召す? さっきちょっと見ますと、あれをお廊下の真ん中に持ち出して、泥だらけのお芋を洗っているじゃアございませんか。あんまりくやしいから、なんとか言ってやろうと思ったんでございますけれど、あの鬼のような侍達に、じろりとにらまれましたら、総身《そうみ》がぞうっとしまして、どんどん逃げてまいりました。イエ、まあ、わたくしとしたことが、自分ながら意気地のない……ホホホホホ」
「ほんとに、うるさいねえ。あたしは頭痛がするんだから、そこでおしゃべりをしないでおくれ」
「なんと申してよいやら、おいたわしい。あんな田舎ざむらいにすわりこまれては、誰だって病気になりますでございますよ」
「いいえ、だからお前達は、ちっともあたしの気を察しておくれでないっていうのよ。いいから、あっちへ行っておくれ」
「とんでもございません。あんな山猿。どんなにかお嫌であろうとこんなにお察し申して――」
「うるさいねえ、ほんとに」
萩乃は、キリキリと歯をかんでゆらりと長い袂を顔へ……。
四
「若、あのお蓮様とやら申す女狐《めぎつね》が、お眼にかかりたいと申しておりますが……」
と玄心斎が敷居際に手をついたとき、源三郎は、座敷の真ん中に、倒した脇息《きょうそく》を枕にして――眠ってでもいるのか、答えは、ない。
「お会いになる用はないと存じまするが、いかが取りはからいましょう」
「う、うるせえなあ」
むっくり起きあがった源三郎、相変わらず、匕首《あいくち》のような、長い蒼白い顔に、もの言うたびに白い歯が、燭台の灯にちかちかする。
「ど、ど、どこへ来ておる」
「そこのお廊下までまいっております。強《た》って御面会を得たいという口上で……」
「自分でまいったのか」
「はい、自身できておりますが」
ちっと考えた源三郎は、
「折《お》れたのかも知れぬ。会おう」
起とうとするのを、玄心斎は静かにひきとめて、
「や、ちょっとお待ちを。あの峰丹波をだきこんでおりますことだけでも、かの女狐《めぎつね》は、なかなかのしたたか者ということは知れまする。こうやってわれら一同、いま文句が出るか、きょうにも苦情をもちこんでまいるか、何か申して来たら、それを機会に、この道場をこちらの手に納めてやろうと、かく連日連夜したい三昧《ざんまい》の乱暴を働いて、いわばこれでもか、これでもかと喧嘩を吹っかけておりますのに、きょうまでじっとこらえて、なんの音|沙汰《さた》もなかったところは、いや、なかなかどうして、敵ながらさる者。拙者の考えでは、ことによると、先方《せんぽう》のほうが役者が一枚上ではないかと……」
「うるさい。会うのはやめいと申すのか」
「いえ、おとめはいたしませんが、いかなる策略があろうも知れませぬ故、充分ともにお気をおつけなされて……」
「女に会うに、刀はいるめえ」
つぶやいた源三郎は、玄心斎の手を静かに振り払って、懐手《ふところで》のまま、ずいと部屋を出て行った。
つぎの間《ま》から廊下へかけて、無礼講に立ちさわいでいた柳生の門弟達が、にわかにひっそりとなるなかを、供もつれずに廊下を立ち出た源三郎は、
「どこに?」
「はい、あちらのお廊下の角に――」
と、とりついだ門之丞の眼くばせ。
むっとした顔で、大股にあるいてきた源三郎を、お蓮様は、眉の剃りあとの青い顔を、ニッコリほほえませて迎えました。
「まあ、あれっきり、まだ御挨拶にも出ませんで」
そう愛想よく言いながら、お蓮様は先に立って、その表屋敷へ通ずる長廊下を、ぶらりと歩き出す。
ところどころに雪洞《ぼんぼり》の置いてある、うすぐらい廊下……源三郎には、ふとそれが、夢へ通ずる道のように思われたのです。
「いや、当方こそ――父上の御葬儀の節には、いろいろと御心配に預かり、かたじけのうござった」
父上と、わざと力を入れた源三郎の言葉に、お蓮様は艶やかにふりかえって、
「源様、いつまでこうやっていらっしゃるおつもり?」
嬌然《きょうぜん》と笑った。
五
「いや、そちらこそ、いつまでこうやって楯突くつもりかな」
源三郎は、にこりともせずに、蹴るような足どりで、歩いて行く。
奥座敷をすこし遠ざかると、柳生の連中の騒ぎが、罩《こ》もって聞こえるばかり……長い廊下には人影一つなく、シインとしている。
一つの邸内には、柳生と司馬とをつなぐ桟橋《かけはし》。
「御用というは、ナ、ナ、ナ、なんでござる」
と、源三郎がつかえるのは、相手に対して、幾分の気安さをおぼえた証拠です。
内輪《うちわ》ではつかえるが、四角張った場合には、決してつかえない源三郎だ。
「用といって……わかっているじゃアありませんか」
お蓮様は、急に思い出したように、片手を帯へさしこみ、身をくねらせて、ビックリするほど若やいだ媚態。
「御相談がありますの」
斜めに源三郎を見上げた眼尻には、鉄をもとかしそうな若後家の情熱が溢れて……。
鉄をもとかす――いわんや、若侍の心臓をや。
というところだが。
源三郎は、さながら、石が化石《かせき》したような平静な顔で、
「母上……」
と、呼びなおした。
母上――こいつは利きました。源三郎のほうでは、あくまで萩乃の婿の気。その順序からいえば、故先生の御後室お蓮様は、なるほど母上に相違《そうい》ないのだが、色恋の相手と見ている年下の男に、いきなり母上とやられちゃア、女の身として、これほどお座の醒《さ》める話はない。
ことに今、恋愛工作の第一歩にはいりかけたやさき、お蓮様は、まるで、出鼻をピッシャリたたかれたような気がした。
あなたはお幾歳《いくつ》でしたかしら。お年齢《とし》のことも考えていただきたい――そう言われたようにひびいて、年上のお蓮様は、ゲンナリしてしまいました。
同時に、勃然たる怒りが渦巻いて、お蓮様は壁のような白い顔。口が皮肉にふるえてくるのを、制しも敢《あ》えず、
「母上!――まア、あなたは手きびしい方ね。あたしは、お前さんのような大きな息子を持ったおぼえはありませんよ。ほほほ、なんとかほかに呼びようはないものかしら」
うらみを含んだまなざしを、源三郎は無視して、
「あすにも道場をお明け渡しになれば、あなただけは母上として、萩乃ともども、生涯御孝養をつくしましょう。さすれば、お身も立とうというもの。悪いことは申しませぬ」
「あたしはねえ、源様、あの丹波などにそそのかされて、お前様にこの道場をゆずるまいと、いろいろ考えたこともありましたけれど、源様というお人を見てから、あたしはすっかり変わったんですよ。今はわたしも、亡くなった先生と同じ意見で、ほんとに、あなたにこの道場を継いでもらいたいと思うんです」
しんみりと
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