人、肩を割りつけられてのけぞりました。
「この壺を持っている限り、飽きるほど人が斬れそうだぞ。フフフこれはおもしろいことになった」
濡れ燕の血ぶるいとともに、微笑む左膳を取り巻いて、剣花、一時に開きました。
チョビ安はちょこなんと起き上がって、この騒動の真ん中で眼をこすっている。
二
「危ねえっ! チョビ安っ!」
おめいた左膳の声に従って、飛びのいたチョビ安の頭上を、青閃斜めに走って捜索隊の一人、左膳めがけてもろに斬りこんできた。
狭い乞食の小屋のなかだ。
刃妖左膳として鳴らしたかれの腕前を知らないから、柳生の面々気が強いんです。
片眼のほそ長い顔、ひだり手一本に剣を取って、ニヤリと笑った立ち姿……この痩せ犬一匹何ほどのことやある……という考え。
柳生の盆地に代々剣を磨いて、殿様から草履取りにいたるまで、上下を挙げて剣客ぞろい、柳生一刀流をもって天下に鳴る人達だから、恐ろしいの、用心するのという気もちは、はじめっからないんだ。
殊に、今。
主家存亡の秘鍵を握るこけ猿の茶壺を、眼の前に見ての活躍ですから、そのすごいったら――。
左膳にしても、です。
武士《さむらい》てえものがフツフツ嫌になり、文字どおり天涯孤独の一剣居士、青天井の下に筵をはって世間的なことはいっさい御免と、まくらに通う大川の浪音を友として、欠伸《あくび》の連続の毎日を送っているところへ……ある日突然、このチョビ安なる少年が、茶壺を抱えてとびこんできた。それを追っかけてまいこんだのが、あの、顔見知りのつづみの与吉――。
それからというものは、眼まぐるしい走馬燈のよう。
本郷の道場へ助《す》け太刀《だち》に頼まれていって、意外にも柳生の若様と斬り結んだり、それが後では、その源三郎といっしょになって不知火流の門弟を斬りまくったり……。
そうかと思うと。
親のないチョビ安に同情して、父子《おやこ》となって茶壺を預かることになったのだが、その日から、毎日毎晩得体の知れない人間が、この小屋のまわりをうろつく。侍や、町人や、御用聞きふうなのや――それらがみんなこのこけ猿の茶壺を狙っているようすだ。
お申しつけの壺は、ところ天売りの小僧が持ち逃げして、あづま橋の下の、あの、白衣《びゃくえ》の幽霊ざむらい、丹下左膳という無法者の小屋にありやす……と、つづみの与の公が、司馬道場の峰丹波に復命したんだから、道場から放たれた一味のものが、夜といわず昼と言わず、この橋の下を看視しているので。
これでみると、莫大な柳生家の埋宝と壺との関連を知る者に、外部にはただひとり、この峰丹波があるのかも知れません。
とにかく……。
みずから世を捨て、世に棄てられて、呑気に暮らしているところへ思わぬことから、この変てこなうず巻きに引きずり込まれた丹下左膳、なにが何やら、まださっぱり見当がつかない。自分の立場もわからないし、無我夢中……したがって、この古ぼけた壺には何かしら大いに、曰くがあるに相違ないとは想像しているものの、サテなんのためにこうして皆が壺をつけ狙うのか、じぶんはなぜこの連中と渡り合わなければならない位置におかれたのか、叩ッ斬るにしても、その概念がハッキリしませんから、左膳独特のすごみというものが、まだちっとも出ないんです。
で、清水粂之助《しみずくめのすけ》、風間兵太郎《かざまへいたろう》らチョイと左膳をなめてかかった。
三
壺の箱を抱えてうしろにまわったチョビ安を、左膳は背に庇《かば》って、左腕の剣をふりかぶっています。
風間兵太郎にしても、清水粂之助にしても、いま仲間のひとりを斬った左膳のうで前を見ているから、十二|分《ぶん》にこころを配るべきはず。
だが、
相変わらずニヤニヤ笑っている左膳に、気をゆるして、いっせいに左右から斬りこんで行った。
いったい、片手大上段、片手青眼などといって、刀を片手に取ることは、めずらしくない。しかし、それらはみな剣道定法のひとつで右片手です。
ところが、左膳は、右腕は肩からないんだから、左腕左剣……これは相手にとって、恐ろしく勝手の違うものだそうで、三|寸《ずん》にして太刀風を感じ、一寸にして身をかわし、また、敵のふところ深く踏みこんで、皮を切らして肉を斬るといった実戦の場合になると、左剣に対してはそれだけの用意をもって臨まなくては微妙な刀の流れ、角度など、とっさの判断と処置をあやまって、えて遅れをとりやすいと言われております。五分五分の剣技なら、まず、左剣手のほうに勝味がある。
いわんや、剣鬼左膳……。
その、天下に冠たる左手に握られた、大業物《おおわざもの》、濡れつばめです。
「おいっ、チョビ安、血を浴びるなよ!」
と、おめいたのが掛け声――風間兵太郎の首が、バッサリ! 音を立てて筵にぶつかった。皮一枚で胴とつながったまんまで……。
一瞬間、縦横に入り乱れた斬っ尖《さき》に、壁や天井代りの筵が、ズタズタに切り裂かれて、襤褸《ぼろ》のようにたれさがった。
その破れから、左膳はヒョロリと外へ抜け出て、
「広いぞ、ここは。どこからでもこいっ!」
白い剣身に、河原の水明りが閃《せん》々と映えて、川浪のはるかかなたに夜鳴きする都鳥と、じっと伸び青眼に微動だにしない、切れ味無二の濡れ燕と――。
が、もう、向かってくるものはない。
清水粂之助をはじめ、残った四、五の柳生の侍たちは、いまの風間の最期に、度胆を抜かれてしまった。
とても、これだけの人数では手に負えない……いずれ同勢をすぐってと、怖いもの見たさに橋の上に立つ人だかりに紛れて、ひとまず立ち去ったのです。
「やりやしたね、父上」
かたわらの草むらから、ヒョッコリ出てきたのは、チョビ安だ。大きなこけ猿の箱を、両手にしっかとかかえています。
さむらいの子は、父《ちゃん》などというもんじゃアねえ。父上《ちちうえ》といえ……という左膳《さぜん》の命《めい》を奉じて、つけなくてもいいところへ、盛んに父上をつけるので。
行き当たりばったりの仮りの親でも、親のないチョビ安にとっては、やたらに父を振りまわしたいのかも知れません。
「すげえ、すげえ、おいらの父上ときたら」
チョビ安、讃嘆に眼をきらめかして、父上左膳を見あげている。
四
翌日は、カラッとした日本晴れ。
風間兵太郎ら、その他の死骸は、町方のお役人が出張して、検視をする。
「深夜におよび、これは狼藉者が乱入いたしたる故、斬り捨てましたる次第……」
という左膳の申し立てだから、役人たちはおどろいて、
「乞食小屋へ強盗がはいるとは、イヤハヤ……」
「下には下があるものでござるて」
と言いかけたやつは、左膳の一眼に、ジロリにらまれて、だまってしまった。
とにかく、押込みだというので死体はそのままおとりすて……風間兵太郎らは、いい面《つら》の皮です。
内々は、伊賀の連中ということがわかっていますから、林念寺前の柳生の上屋敷へ、そっと照会があったんですが、そんな、いっぽん腕の浪人者に斬り殺されるような者が、一人ならず、ふたり、三人、剣が生命の同藩から出たとあっては、柳生一刀流の面目まるつぶれですから、高大之進が応対して、さようなものは存ぜぬ。柳生の藩中と称しておったとすれば、とんでもない偽者《にせもの》でござるから、かってに御処置あるよう――立派に言いきってしまった。
が、とり捨てになった死骸は、ひそかに一同が引き取って、手厚く葬ってやったんです。
そして、もうこれで壺のありかはわかったし、すでに犠牲者も出たことであるから、一日も早く、一段と力をあわせて壺を奪還せねば――と誓いを新たにして、ふるい立った。
とともに、丹下左膳という人間の腕前が、いかにものすごいか、それが知れたのですから、それはウッカリ手出しはできないと、一同策をねり、議をこらして、機会をうかがうことになる。
一方……。
壺をここへ置いたのでは、危険であると見た左膳、ああしてこの日に、さっそくチョビ安に命じて、その古巣とんがり長屋の作爺さんのもとへ、こけ猿を持たして預けにやったのです。そこで、あのチョビ安の晴れの里帰りとなったというわけ。
だが、左膳もさる者。
その、壺を持たしてやる時に、同じような箱をどこからか求めてきて、同じようなふろしき包み、こけ猿はここにあると、見せかけて、相変わらず小屋の隅に飾っておくことを忘れなかったので。
チョビ安が、とんがり長屋へ出て行ったあと。
「ひでえことをしやアがる」
ブツブツつぶやいた左膳、尻《しり》はしょりをして、小屋のそとにしゃがんで、ゆうべの斬合いで破れた筵の修繕をはじめた。
陽のカンカン照る河原……小屋はゆがみ、切られた筵は縄のようにさがって、めちゃめちゃのありさま。
左膳がぶつくさひとりごとをいいながら、せっせと筵の壁をなおしておりますと……。
ピュウーン!
どこからともなく飛んで来て、眼のまえの筵に突き刺さったものがある。
結び文をはさんだ矢……矢文《やぶみ》。
橋《はし》の上下《うえした》
一
矢……といっても、ほんとの矢ではない。こどもの玩具《おもちゃ》のような、ほそい節竹のさきをとがらし、いくつにも折った紙を二つ結びにして、はさんだもの。
そいつが、頭上をかすめて飛んで来て、つくろっている筵に、ブスッ! ちいさな音を立てて刺さったから、おどろいたのは左膳で。
「なんでえ、これあ――」
ぐいと抜きとりながらあたりを見まわすと、河原をはじめ、町へ登りになっている低い赭土《あかつち》の小みちにも、誰ひとり、人影はありません。
「矢文とは、乙《おつ》なまねをしやアがる」
口のなかで言いながら、左膳、その文を矢から取って、ひらいてみた。
躍るような、肉太の大きな筆あと――りっぱな字だ。
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「こけ猿の茶壺に用なし。中に封じある図面に用あり。図面に用なし。その図面の示す柳生家初代の埋めたる黄金に用あり。われ黄金に用あるにあらず。これを窮民にわかち与えんがためなり。
すなわち、細民にほどこさんがために、いずくにか隠しある柳生の埋宝に用あり。埋宝に用あるがゆえに、その埋めある場所を記す地図に用あり。地図に用あるがゆえに、その地図を封じこめある茶壺に用あり。早々壺を渡して然るべし」
[#ここで字下げ終わり]
無記名です……こう書いてある。
じっと紙をにらんだ丹下左膳、二、三度、読みかえしました。
はじめて知った壺の秘密――左膳はそれにおどろくとともに、もう一人新たに、なに者か別の意味でこの壺をねらっている者のあらわれたことを知って……身構えするような気もち、左膳あたりを見まわした。
依然として、森閑とした秋の真昼だ。
江戸のもの音が、去った夏の夕べの蚊柱《かばしら》のように、かすかに耳にこもるきり、大川の水は、銀灰色《ぎんかいしょく》に濁って、洋々と岸を洗っています。
「この矢文で見ると、柳生の先祖がどこかに大金を埋め隠し、その個処を図面に書きのこして、茶壺のなかに封じこめてあるのだな……ウーム、はじめて読めた、チョビ安とともにあの壺を預かりしより、昼夜何人となく、さまざまな風体をいたしてこの小屋をうかがう者のあるわけが!――そうか、そうだったのか、昨夜もまた……」
左膳は、眼のまえにたれた筵に話しかけるように、大声にひとりごと。
「しかし、貧乏人にやるとかなんとか吐かしやがって、なんにするのか知れたもんじゃアねえ。貧民に施しをするなら、このおれの手でしてえものだ。こりゃアあの壺は、めったに人手にゃア渡されねえぞ」
そう左膳が、キッと自分に言い聞かせた瞬間、あたまの上の橋の袂から、
「わっはっはっは、矢を放ちてまず遠近を定む、これすなわち事の初めなり、どうだ、驚いたか」
という、とほうもない胴間声《どうまごえ》が……。
二
まず矢を放って、遠近を定む。すなわち事のはじめなり……あっけにと
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