一
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「向うの辻のお地蔵さん
よだれ繰《く》り進上、お饅頭《まんじゅう》進上
ちょいときくから教えておくれ
あたいの父《ちゃん》はどこ行った
あたいのお母《ふくろ》どこにいる
ええじれったいお地蔵さん
石では口がきけないね――」
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チョビ安自作の父母を恋うる唄……それが、巷の騒音の底から、余韻をふくんで聞こえてまいりますから、お美夜ちゃんは狂喜して、通りまで走り出ました。
子供同士の恋仲――むろん恋ではないが、一つちがいの兄妹のような、ほんのりと慕いあう気もちが、ふたりのあいだに流れているのです。
見ると、チョビ安、大手をふってやって来る。
まぎれもないチョビ安……には相違ないが、このとんがり長屋から、毎日ところてん売りに出ていたころとは、おっそろしく装《なり》が変わってる。
あたまをチャンと本多《ほんだ》にとりあげて、肩に継布《つぎ》が当たってるけれども、黒羽二重《くろはぶたえ》のぞろりとした、袂の紋つきを着ています。
おまけに、短い脇差を一ぽんさしたところは、なんのことはない、浪人をソックリそのまま小型にしたよう――。
途方もないこましゃくれ方です。
小さな大人、袖珍侍姿《しゅうちんさむらいすがた》……いっそチョビ安という人間には、ぴったり嵌《は》まったいでたちなので。
その、浪人の見本のような風俗のチョビ安、高さ二尺あまりの、大きな四角い箱をふろしき包みにしたのを両手に捧げて、
「おウ、お美夜ちゃんじゃねえか。会いたかったぜ」
と駈け寄ってきた。白の博多献上《はかたけんじょう》を貝の口に結んで、うら金の雪駄《せった》――さながら、子供芝居のおさむらいさんを見るようです。
「しばらくこっちに足が向かなかったが、それにャア深え仔細《しせえ》があるんだ」
と、相変わらず、チョビ安独特のおとなッぽい伝法口調。
「きょう来《こ》よう、明日《あす》[#「明日《あす》」は底本では「明|日《あす》」]こようと思いながら、ぬけられねえもんだから、つい……すまなかったぜ」
お美夜ちゃんは、ツンとうしろを向いて、両手をぶらん、ぶらんさせ、足もとの小石を蹴っている。
拗《す》ねた恰好――無言です。
横ちょからチョビ安は、一生けんめいにのぞきこんで、
「決してお前《めえ》を忘れたわけじゃアねえ。かわいいお美夜ちゃんを忘れてたまるもんか。いろいろ話があるんだ。な、堪忍してくんな、な、な」
なんといっても、お美夜ちゃんはだんまりで、うつむいて、チョビ安のほうに背中を向けようとする。チョビ安はその肩に手をかけて、顔を見ようとするから、二人はいつまでも、同じところをクルクルまわっているんです。
「なア、お美夜ちゃん、よウ、勘弁しなってことよ。おいらアこんなに掌《て》を合わしてあやまってるんじゃねえか」
とチョビ安、手の荷物を地におろして、両手をあわせた。
ふたつの袖で顔を覆ったお美夜ちゃん、またクルッと向うをむいて、シクシク泣き出しました。
「あんまりだわ、あんまりだわ……」
二
ちょっと痴話《ちわ》喧嘩というところ……。
「いいわ、いいわ、知らないわ――」
と、かわいくふくれているお美夜ちゃんを、チョビ安は汗をかいて、なだめすかして、
「だって、おいらこうして帰《けえ》って来たんだから、もういいじゃアねえか」
「帰ってこようと、こまいと安さんのかってよ。あたいは待ってなんかいなかったわ」
やっと涙をふいて、お美夜ちゃんは、聞こえないほどの低声《こごえ》です。
チョビ安は得意気に笑って、
「うふふふふ、そんなこと言ったって、お前《めえ》、ここに立っていたのは、じゃ、誰を待っていたんだえ」
お美夜ちゃんはうつむいて、
「あたいの待っていたのはね、どこかの人よ。そして、その人は、意気なところてん[#「ところてん」に傍点]屋さんなの。そんな、お侍さんのできそこないみたいな、ひねッこびた装《なり》した人じゃアなくってよ」
こんどはチョビ安がしょげる番で、
「だから、これにはわけがあるといってるじゃあねえか。おらア、仮りの父《ちゃん》ができて、さむれえの仲間入りをしたんだ」
「ふん!」
とお美夜ちゃんは、小鼻をふくらませて、
「そう? 安さんは、お武家衆になったの? じゃ、もう、お美夜ちゃなんかとは遊ばないつもりなのね。いいわ、あたいは、お武家なんか大きらいだから……」
大狼狽《おおあわて》のチョビ安は、また向うをむいたお美夜ちゃんの肩に手をまわして、
「おいらも、さむれえは好きじゃアねえが……」
「父《とう》ちゃんがいつも言うわ」
お美夜ちゃんが父《とう》ちゃんというのは、彼女は知らないものの、ほんとはお祖父さんに当たる作爺さんのことなんです。
「父ちゃんがいつもいうわ」
とお美夜ちゃんは、くりかえして、
「お侍なんて、つまんないものだ。食べるために、上の人にぺこぺこして、おまけに、眼に見えないいろんな綱で縛られているって……眼に見えない綱なら、いくらしばられていたって、見えないわね」
「ふうむ、そいつア理屈だ」
チョビ安、小さな腕を仔細らしく組んで、
「おいらの父上も、そんなことを言ったっけ――」
ピクンと耳を立てたお美夜ちゃん、ふしぎそうな顔に、よろこびの色を走らせて、
「父上……って? あら、安さん、あんた父ちゃんが見つかったの?」
「ううん、ほんとの父《ちゃん》じゃアねえんだ」
とチョビ安は悲しげに、だがすぐうれしそうにニッコリして、
「あるお侍さんを、当分、父《ちゃん》――じゃアねえ、父上と呼ぶことになったんだよ。眼が一つで、腕が一本しかねえ人だ。とっても怖《おっか》ねえ人だけれど、おいらにゃアそれは親切で、おらア、ほんとの父《ちゃん》のように思っているんだ」
しんみり話し出したチョビ安、不意に思い出して、その四角な木箱の包みをとりあげ、
「ホイ! こうしちゃアいられねえ。作爺《さくじい》さんに頼んで、此箱《これ》を預かってもらおうと思って来たんだ」
三
急にあわてだしたチョビ安、お美夜ちゃんを押しのけるように、溝板《どぶいた》を鳴らして路地へ駈け込みました。
「作爺《さくじい》さんはいるだろうな、家に」
後を追って走りこみながら、お美夜ちゃんの返事、
「ええ、このごろずっと商売にも出ないのよ。あれっきりいなくなった安さんのことが気になって、それどころじゃないんですって」
「すまねえ。そんなに思っててくれるとは知らなかった」
箱包みを抱えて、土間へ飛びこんだチョビ安は、昼間でも薄ぐらい三畳の間へ、大声をぶちまけて、
「作爺さん、いま帰《けえ》った。チョビ安さんのお里帰りだ。お土産を持って来たぜ」
暗さに眼がなれてみると、その三畳はみじめをきわめた乱雑さで、壁には、お爺さんとお美夜ちゃんの浴衣《ゆかた》が二、三枚だらりと掛かり、その下の壁の破れから、隣の家の光線《ひかり》が射しこんでいる始末。商売用の羅宇《らう》のなおし道具は、隅に押しこめられて、狭い部屋いっぱいに、鉋屑《かんなくず》が散らばっているんです。
そこにうごめいている影――作爺さんは、チョビ安の出現と同時に、何かひどく狼狽して、今まで削っていた小さな木片《きぎれ》を手早く押入れへほうりこみ、ぴっしゃり唐紙をしめきって、
「な、な、なんだ。チョビ安じゃあねえか。どうした」
と、せきこんできく作爺さんの声には、チョビ安を迎える喜びと、隠していたものを見られはしなかったかという恐れとが、まじっているので――。
ほんとうは彫刻師なのです、この作爺さんは。
何か故あって、この裏長屋に身をひそめ、孫のお美夜ちゃんを相手に、羅宇直《らうなお》しの細い煙を立ててはいるものの、芸術的な本能やむにやまれず、捨てたはずの鑿《のみ》を取っては、こうして日夜人知れず、何かしきりに彫っているんです。
その彫刻師という正体を、なぜかあくまで人に隠しておきたい作爺さんは、言い訳がましい眼とともに、そこらの木屑を片づけ、やっとチョビ安のために坐る場所を作ってやりながら、
「いったいきょうまでどこにどうしていたのだ、チョビ安。オ! 見りゃあ侍の雛形のような服装《なり》をしているが――その大きな箱包みは、なんだい」
重要らしい顔で、静かにあがりこんだチョビ安は、
「わかる時が来れゃあ、何もかもわかる。それまで何も言わず、きかずに、この箱を預かってもらいてえんだ」
「それゃあ、ほかならねえお前の頼みだから、預からねえものでもねえが――」
と、ふしぎそうな作爺さんの顔を、チョビ安はにやりと見上げて、
「おいらの身は決して心配することはねえ。それから、この箱がここにある間、入れかわりいろんな侍達が、なんのかんのと顔を出すかも知れねえが、そんな物は預かっていねえと、どこまでも白《しら》をきってもらいてえんだ。おいらはこれで、また当分来られねえかも知れねえから――」
「あら、来たと思ったら、もう帰るの。つまんないったらないわ」
鼻声のお美夜ちゃんは、また涙顔です。
矢文《やぶみ》
一
「起きろっ……」
刀のこじりが、とんと土に音立てて――。
「ウーム」
答えるともなく呻いて、眼を開けた丹下左膳の瞳に、上からのし掛かるようにのぞいている顔が映った。一人《ひとり》、二人《ふたり》、三|人《にん》――。
清水粂之助《しみずくめのすけ》、風間兵太郎《かざまへいたろう》らの率いる壺捜索の一隊。
こけ猿の茶壺が、この橋下のほっ立て小屋に住む、丹下左膳の手にあることは、あの鼓の与吉が承知なのだ。
柳生の里から江戸入りした高大之進《こうだいのしん》を隊長とする一団は、麻布本村町《あざぶほんむらちょう》、林念寺前《りんねんじまえ》の柳生の上屋敷に旅装をとくが早いか、ただちに大捜索《だいそうさく》を開始した。
茶壺は、丹下左膳におさえられてしまう。おまけに、自分があの植木屋の正体を見破って立ち騒いだばかりに、峰丹波にあの後《おく》れをとらしたのだから、つづみの与吉は、このところ本郷に対して、ことごとく首尾のわるいことばかり。亡くなった老先生のお葬式があったとは聞いたけれど、道場へはしばらく顔出しもできない始末で、例によって浅草駒形、高麗屋敷《こうらいやしき》の尺取り横町、櫛巻きお藤の家にくすぶっていたのですが、柳生の里から応援隊が入京《はい》ったと聞いて、さっそく注進《ちゅうしん》にまかりでてみると――。
おも立った連中は、捜索に散らばって、いあわせたのは、留守居格の清水粂之助、風間兵太郎、ほか五、六人の連中だけだ。
めざす壺の在所《ありか》を、この鼓の与吉が知っていると聞いては、一刻も猶予がならない。一同が帰るまで待つわけにいきませんから、さてこそこうして、今この与の公の手引きで、この左膳の蒲鉾小屋へ乗り込んで来たところ。
夜中。川風に筵があおられて、水明りで内部《なか》はほのかに明るい。
チョビ安と並んで、夢路を辿っていた丹下左膳は、手のない片袖をぶらぶらさせて、ゆっくり起き上がりました。
「武士の住居へ、案内も乞わずに乱入《らんにゅう》するとは何事だ」
「黙れっ、貴様に用があって来たのではない。あれなる茶壺を取り返しにまいったのだ」
と清水粂之助の指さす部屋の一隅には、まぎれもないこけ猿の茶壺が、古びた桐箱にはいり、鬱金《うこん》の風呂敷《ふろしき》に包まれて――。
「これは異なことを!」
片眼を引きつらせて笑った左膳、
「あの壺は、先祖代々わが家に伝わる――」
「たわごとを聞きにまいったのではないっ!」
喚《わめ》くと同時に、気の早い風間兵太郎が、その壺のほうへ走り出そうとした瞬間、左膳の長身が、床を蹴って躍り上がったかと思うと、左手がぐっと伸びて、枯れ枝の刀架けからそのまま白光《はくこう》を噴き出したのは、左膳自慢の豪刀濡れ燕……!
ざ、ざ、ざァ――っ! と筵に掛かる血しぶきの音! 伊賀勢の一
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