峰丹波、岩淵達之助、等々力十内等重立った門弟だけでも、四、五十を数えるほど並んでいる。
 緋《ひ》の袈裟《けさ》、むらさきの袈裟――高僧の読経《どきょう》の声に、香烟、咽ぶがごとくからんで、焼香は滞《とどこお》りなくすすんでゆく。
 亡き父への胸を裂く哀悼と、あの、名もない若い植木屋への、抉《えぐ》るような恋ごころとの、辛い甘い、ふしぎな交錯に身をゆだねて、ひとり居間にたれこめていた萩乃は、侍女にせきたてられて白の葬衣をまとい、さっき、手を支えられてこの間へ通ったのだったが、着座したきり、ずっとうつむいたままで……。
 気がつかないでいる――じぶんの隣、継母のお蓮さまとのあいだに、裃に威儀を正した端麗な若ざむらいが、厳然と控えていることには。
 吉凶いずれの場合でも、人寄せのときには、不知火銭にまじえて、ただ一つ、自分が御礼と書いた包みを投げ、それを拾った者はたとえ足軽でも、樽《たる》ひろいでも、その座に招《しょう》じて自分のつぎにすわらせる例。
 今度も、昨夜、おひねりの一つに御礼と書かされた。
 だから、誰か一人この場に許されているはずだが……それもこれも、萩乃はすべてを忘れ果てて、じっとうなだれたまま、袖ぐちに重ねた両の手を見つめています。
 が、お蓮様は、眼が早い。
 岩淵《いわぶち》、等々力《とどろき》の両人に案内されて、さっきこの広間へはいってきた若い武士を一眼見ると、サッ! と顔いろを変えて峰丹波をふりかえりました。
 これが源三郎とは知らないお蓮さまだが、あの得体の知れない植木屋が、こんどは、りっぱな武士のすがたで乗りこんで来たんだから、ただならない不審のようすで、丹波へ、
「植木屋が裃を着て、ほほほ、これはまた、なんの茶番――」
 とささやかれた丹波、源三郎ということは、秒時も長く、ごまかせるだけごまかしておこうと、
「ハテ、拙者にも、とんと合点《がてん》がゆきませぬ。なれど、萩乃様の包みをひろいましたる以上、入れぬというわけには……」
 まったく、それは丹波のいうとおりで。
 御礼のつつみを拾われたからには、それが例法《しきたり》、拒む術《すべ》はありません。
 門前に白馬をつないだ源三郎、
「許せよ」
 と大手を振って、邸内へ通ってしまったのです。つづく玄心斎、その他四、五の面々《めんめん》、
「供の者でござる」
 とばかり、これも門内へ押しとおってしまって、いまこの司馬道場の大玄関には、事ありげな馬のいななきと、武骨な伊賀弁とが、喧嘩のような、もの騒がしい渦をまいているので……。

       三

 植木屋がほんとか、武士姿がほんものか、それはまだお蓮さまには、見当がつきませんけれども、今その威と品をそなえた源三郎の顔すがたに、お蓮様が大いに興味をそそられたことは事実です。
 いくらお祖父さんのような老夫であったにしても、良人《おっと》の葬式の日に、もう若い男を見そめてしまうなんて、ここらがお蓮様のお蓮さまたるところで、性質すこぶる多情なんです。
 萩乃と自分との間へ座を占めた源三郎へ、お蓮さまはチラ、チラと横眼を投げて、心中ひそかに思えらく。
 もとよりこれは、ただの植木屋ではあるまい。なにか大いに曰くのある人に相違ない。いや、たとえ植木屋の職人にしたところで、かまわない。じぶんはどんなことをしても、必ずこの青年の心とからだを手に入れよう……。
 じぶんが、この自分の豊満な魅力を用いて近づく時、それをしりぞけた男性は、今まで一人もないのだから――死んだ司馬老先生|然《しか》り、この峰丹波然り……。
 焼香の場です。おのずと顔にうかぶほほえみを消すのに、お蓮さまは、人知れず努力しなければなりませんでした。
 この、お蓮様の心中を知らない丹波は、気が気じゃアない。
 人もあろうに、選《え》りに選って、とんでもないやつに御礼包みが落ちたものだ――柳生源三郎ということは、どうせ知れるにしても、せめては一刻も遅かれ、そのあいだに、なんとか対策を講じなくては……と、懸命に念じていると!
 静かに起《た》った柳生源三郎――。
 袴の裾さばきも鮮かに、正面へ進んだ。焼香だ。
 つまんでは拝んで、二度香をくべた源三郎、ふたつ続けて、音のない柏手をうちました。うち合わせる両の手をとめて、音を立てない。無音《ぶいん》のかしわ手……。
 これは、忍びの柏手といって、神式のとむらいにおける礼悼《れいとう》の正式作法で……まず、よほどの心得。
 その粛然として、一糸みだれない行動に、一座は思わず無言のうちに、感嘆の視線をあつめています。
 萩乃は、まだうつむいたきりだ。
 するとこのとき、その萩乃の忘れたことのないあの若い植木職の声が朗々《ろうろう》とひびいてきたのです。
「義父司馬先生の御霊《みたま》に、もの申す。生前お眼にかかる機会《おり》のなかったことを、伊賀の柳生源三郎、ふかく遺憾《いかん》に存じまする。早くより品川に到着しておりましたが、獅子身中の虫ともいいつべき、当道場内の一派の策動にさまたげられ、今日まで延引いたし、ただいまやっとまいりましたるところ、先生におかせられては、すでに幽明さかいを異《こと》にし……」
 柳生源三郎!……と聞いて、はっと眼をあげた萩乃の表情! 同じお蓮様のおもて――ふたつの顔に信じられない驚愕の色が起こりました。それぞれの意味で。
 源三郎は、霊前にしずかにつづけて、
「遅ればせながら、婿源三郎、たしかに萩乃どのと道場を申し受けました。よって、これなる父上の御葬式に、ただいまよりただちに喪主として……」
 室内の一同、声を失っている。

   お美夜《みや》ちゃん


       一

 角《かど》が付木屋《つけぎや》で、薄いこけら[#「こけら」に傍点]の先に硫黄をつけたのを売り歩く小父さん……お美夜ちゃんは、もうこれで一月近くも朝から晩まで、その路地の角に立っているのだった。
 竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋。
 一ばん貧しい人たちの住む一|廓《かく》で、貧乏だと、つい、気持もとがれば、口もとがる。四六時ちゅう、喧嘩口論の絶え間はなく、いつも荒びた空気が、この物の饐《す》えたようなにおいのする、うす暗い路地を占めているところから、人呼んでとんがり長屋――。
 鰯《いわし》のしっぽが失くなったといっては、喧嘩。乾しておいた破れ襦袢《じゅばん》を、いつのまにか着こんでいたというので、山の神同士の大論判。
 こうして、長屋の連中、寄ると触《さわ》ると互いに眼を光らせ、口を尖らせているので、恐ろしく仲がわるいようだが、そうではない。
 一|朝《ちょう》、なにか事があって外部に対するとなると、即座に、おどろくほど一致団結して当たる。ただふだんは口やかましく、もの騒がしいだけで、それがまた当人たちには、このうえなく楽しいとんがり長屋の生活なのだった。
 つけ木屋の隣が、独身《ひとり》ものの樽《たる》買いのお爺さんで、毎日、樽はござい、樽はございと、江戸じゅうをあるきまわって、あき樽問屋へ売ってくるのである。
 そのつぎは、文庫張《ぶんこば》りの一家族で、割り竹で編んだ箱へ紙を貼り、漆を塗って、手文庫、おんなの小片《こぎれ》入れなどをこしらえるのが稼業。相当仕事はあるのだけれど、おやじがしようのない呑《の》んだくれで、ついこの間も、上の娘をどこか遠くの宿場へ飲代《のみしろ》に売りとばしてしまった。
 その他、しじみ屋、下駄の歯入れ、灰買い、あんま師、衣紋竹《えもんだけ》売り、説経祭文《せっきょうさいもん》、物真似、たどん作り……そういった人たちが、この竜泉寺《りゅうせんじ》名物、とんがり長屋の住人なので。
 お美夜ちゃんの父親、作爺さんの住いは、この棟割長屋の真ん中あたりにある。
 前も同じつくりの長屋で、両方から重なりあっている檐《のき》が、完全に日光をさえぎり、昼間も、とろんと澱《よど》んだ空気に、ものの腐った臭いがする。
 作爺さんの家のまえは、ちょうど共同の井戸端で、赤児をくくりつけたおかみさん連の長ばなしが、片時も休まずつづいている。
 羅宇屋《らうや》の作爺さん……上に煙管《きせる》を立てた、抽斗《ひきだし》つきの箱を背負って、街へ出る。きせるの長さは、八寸にきまっていたもので、七寸を殿中《でんちゅう》といった。価は八|文《もん》、長煙管の羅宇《らう》は、十二|文《もん》以上の定《さだ》め。
 が、このごろは作爺さんも、商売を休んで家にいる。
 それというのが……。
 壁つづきの隣は、この間まで、あの、ところ天売りのチョビ安のいた家で、いまはあき家になっている。
 あの日、朝出たっきり帰らないチョビ安を待って、お美夜ちゃんは、こうして日なが一日、路地の角にボンヤリ立ちつくしているのだ。
「お美夜や、いつまでそんなところに立っていてもしょうがねえ。へえんなよ」
 作爺さんが、白髪あたまをのぞかせてどなると、袂を胸に抱いたお美夜ちゃん、ニコリともせずに振り返った。

       二

「そんなところに立っていたって、チョビ安は帰って来はしないよ。うちへはいりなさいっていうのに」
 作爺さんはやさしい顔で呼びこもうとする。洗いざらした真岡木綿《もおかもめん》の浴衣《ゆかた》の胸がはだけて、あばらが数えられる。
「チョビ安は、この作爺やお美夜のことなど、なんとも思ってはいねえのだよ。だから、ああして黙って出たっきり、なんの音沙汰もねえのだ」
 そういう作爺さんの顔は、悲しそうである。
「あい」
 と素直に答えたが、お美夜ちゃんは、ちょっとふり向いただけで、またすぐ竜泉寺の通りへ眼を凝《こ》らすのだった。
 七歳《ななつ》のお美夜ちゃん……稚児輪《ちごわ》に結《ゆ》って、派手な元禄袖《げんろくそで》のひとえものを着て、眼のぱっちりしたかわいい顔だ。[#この行は底本では天付き]
 作爺さんの娘ということになっているが、父娘《おやこ》にしては、あまりに年齢《とし》が違いすぎる。実は、この作爺はお美夜ちゃんの父ではなく、お祖父《じい》さんなので、その間にも何か深い事情がありそう……。
 羅宇屋《らうや》の作爺さんとお美夜ちゃんが、このとんがり長屋の一軒に住んでいるところへ、どこからともなくあのチョビ安が、隣へ移って来たのは、一年とすこし前のことだった。
 家といっても、天井《てんじょう》の低い、三畳一|間《ま》ずつに仕切られた長屋。
 壁の落ちたすき間から、となりが丸《まる》見えだし、はなしもできる、まるで細長い共同生活なのだった。
 おとこの児の一人住まいなので作爺さんがいろいろ眼をかけてやると、ませた口をきくおもしろい子。
 お美夜ちゃんともすっかり仲よしになったので、こっちへ引き取っていっしょに暮らそうと言っても、チョビ安は変に独立心が強くて、この作爺さんの申し出には、小さな首を横に振った。
 そして、冬は、九|里《り》四|里《り》うまい十三|里《り》の、焼き芋の立ち売りをしたり……夏は、江戸名物と自ら銘うったところてんの呼び売り。
 聞けば、伊賀の生まれとかで、いつからか江戸に出て、親をさがしているのだという。
 なにか身につまされるところでもあるかして、チョビ安に対する作爺さんの親切は、日とともに増し、また、お美夜ちゃんも、子供ごころに甚《いた》くその身の上に同情したのだろう、ひとつ違いの二人は、ふり分け髪《がみ》の筒井筒《つついづつ》といった仲で、ちいさな夫婦《めおと》よと、長屋じゅうの冗談の的だったのだが……。
 そのチョビ安が、もうよほど前、ところ天の荷を担いで出たまま、いまだに帰らないのである。
 お美夜ちゃんは、それから毎日毎日、こうして角に出て待っているのだが、今、作爺さんに呼ばれてあきらめたものか、小さな下駄を引きずって路地をはいろうとすると、覚えのある澄んだ唄声が、町のむこうから――。
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「むこうの辻のお地蔵《じぞう》さん よだれくり進上、お饅頭《まんじゅう》進上……」
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   里帰《さとがえ》り


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