れも見なかったろうね?」
「あれには驚きましたナ。イヤどうも腐りが早いので、首は、甕《かめ》へ入れて庭へ埋めました。手紙はここに持っておりますが、私の身体まで、死のにおいがするようで――」
三
京ちりめんに、浅黄《あさぎ》に白で麻の葉を絞りあわせた振り袖のひとえもの……萩乃《はぎの》は、その肩をおとして、ホッとちいさな溜息を洩らした。
父の病室からすこし離れた、じぶんの居間で、彼女は、ひとりじっともの思いに沈んでいるのだった。
うちに火のような情熱を宿して、まだ恋を知らぬ十九の萩乃である。庭前の植えこみに、長い初夏の陽あしが刻々うつってゆくのを、ぼんやり見ながら、きびしい剣家のむすめだけに、きちんとすわって、さっきから、身うごきひとつしない。
病父《ちち》の恢復は、祈るだけ祈ったけれど、いまはもうその甲斐もなく、追っつけ、こんどは、冥福を祈らなければならないようになるであろう……。
萩乃は、いま、まだ見ぬ伊賀の源三郎のうえに、想いを馳《は》せているのだ。
先方の兄と、司馬の父とのあいだに、去年ごろから話があったが、父のやまいがあらたまると同時に、急にすすん
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