魚……真紅の鱗《ひれ》をピチピチ躍らせて。
 金魚籤《きんぎょくじ》が、はじまった。
 愚楽老人は、一匹ずつ柄杓で、手桶の金魚をすくい出しては、はしから順々に、大名達の前に置いてあるギヤマン鉢へ、入れてゆくのだ。
 ごっちゃに押しこめられた桶から、急に、鉢の清水へ放されて、金魚はうれしげに、尾ひれを伸ばして泳いでいる。
 ふしぎな儀式かなんぞのよう――一同は、眼を見ひらいて、順に金魚を入れてゆく老人の手もとに、視線を凝《こ》らしている。
 じぶんの鉢に入れられた金魚が、無事におよぎ出した者は、ホッと安心のてい。
 愚楽老人の柄杓が、上座から順に、鉢に一ぴきずつ金魚をうつしてきて、いま、半《なか》ばを過ぎた一人のまえの鉢へ、一匹すくい入れると、
「やっ! 死んだっ! 当たったっ……!」
 と口々に叫びが起こった。この鉢に限って、金魚が死んだのだ。どの金魚も、すぐ、いきおいよくおよぎ出すのに、これだけは、ちりちりと円くなって、たちまち浮かんでしまった。
「おう、柳生どのじゃ。伊賀侯じゃ」
 その鉢を前にして、柳生藩江戸家老、田丸主水正《たまるもんどのしょう》、蒼白な顔で、ふるえだした。


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