》があがった。手を貸してくんねえ」
 飛びこんできた与吉の大声に、道場の大部屋に床を敷きならべて、がやがや騒いでいた不知火流の内弟子一同、とび起きた。
「与吉とか申す町人ではないか。なんだ、この夜ふけに」
「まぐろが、なんとしたと? 寝ぼけたナ、貴様」
 口々にどなられて、与吉はけんめいに両手を振り、
「イエ、丹波様が、お裏庭で、鮪《まぐろ》のようにぶっ倒れておしまいなすったから、皆さんのお手を拝借してえんで」
「ナニ、峰先生が――」
 与吉の話に、深夜の道場が、一時に沸き立った。それでも、瀕死の老先生や、お蓮様や萩乃のいる奥には知らせまいと、一同、手早く帯しめなおして、
「日本一の乱暴者が二人、斬り合っておりますから、そのおつもりで……」
 という与吉の言葉に、若い連中せせら笑いながら、手に手に大刀をひっ掴んで、うら庭へ――。
 闇黒《やみ》から生まれたように駈けつけて来る、おおぜいの跫音《あしおと》……左膳がそれに耳をやって、
「源三郎、じゃまがへえりそうだナ」
 と言った瞬間、地を蹴って浮いた伊賀の暴れん坊、左膳の脇腹めがけて斬りこんだ一刀……ガッ! と音のしたのは、濡れ燕がそれを払ったので、火打ちのように、青い火花が咲き散った。
「ウム、丹下左膳に悪寒《さむけ》をおぼえさせるのア、おめえばかりだぞ」
 言いながら左膳、おろした刀をそのまま片手突きに、風のごとく踏みこんだのを、さすがは柳生の若様、パパッと逃げて空《くう》を突かせつつ……フと気がつくと、二人の周囲をぐるりかこんで、一面の剣輪、剣林――。
 筑紫の不知火が江戸に燃えたかと見える、司馬道場の同勢だ。
 気を失った峰丹波の身体は、手早く家内《なか》へ運んだとみえて、そこらになかった。
 この騒ぎが、奥へも知れぬはずはない。庭を明るくしようと、侍女たちが総出で雨戸を繰り開け、部屋ごとに、縁端《えんばた》近く燭台を立てつらねて、いつの間にか、真昼のようだ。廊下廊下を走りまわり、叫びかわすおんな達の姿が、庭からまるで芝居のように見える。
 左膳は、一眼をきらめかせて、源三郎をにらみ、
「なお、おい、源公。乗合い舟が暴風《しけ》をくらったようなものよなア。おれとおめえは、なんのゆかりもねえが、ここだけアいっしょになって、こいつらを叩っ斬ろうじゃアねえか」

       十

 はからずも顔をあわせ、焼刃《やいば》をあわせた左膳と源三郎……今後長く、果たして敵となるか、味方となるか――。
「では、この勝負、一時お預けとするか」
「さよう、いずれ後日に……」
 ほほえみかわした二人は、サッと背中を合わせて、包囲する司馬道場の若侍たちへ、怒声を投げた。
「こいつらア、金物の味を肉体《からだ》に知りてえやつは前へ出ろっ!」
 と左膳、ふりかぶった左腕の袖口に、おんな物《もの》のはでな長じゅばんを、チラチラさせて。
 源三郎は、丹波の大刀を平青眼、あおい長い顔に、いたずらげな眼を笑わせて、
「命不知火《いのちしらぬい》、と申す流儀かの」
 与吉は、丹波について部屋へ行ったとみえて、そこらに見えなかった。源三郎が植木屋すがたに身をやつして、入りこんでいたことは、与吉は丹波に口止めされたので、一同にいってない。植木屋にしては、武士めいた横柄《おうへい》な口をきくやつ……皆は、そう思いながら、
「これはおもしろいことになったぞ」
「真剣は、今夜がはじめてで――」
「拙者が、まず一刀を……」
 自分らの腕が低いから、相手のえらさ、強さがわからない。
 白林いっせいに騒いで、斬り込んできた。
「殺生《せっしょう》だが……」
 つぶやいた源三郎、ツと左膳の背に背押しをくれたかと思うと、上身を前へのめらして、
「ザ、ザ、雑魚《ざこ》一匹ッ!」
 つかえながら、横なぎの一刀、ふかく踏みこんできた一人の脇腹を諸《もろ》に割りつけて、
「…………!」
 声のない叫びをあげたその若侍は、おさえた手が、火のように熱い自分の腹中へ、手首までめいりこむのを意識しながら、グワッと土を噛み、もう一つの手に草の根をむしって――ものすごい断末魔。
 同時に左膳は。
 右へ来た一人をかわす秒間に、
「あははははは、あっはっはっは――」
 狂犬のような哄笑を響かせたかと思うと! 濡れつばめの羽ばたき……。
 もうその男は、右の肩を骨もろとも、乳の下まで斬り下げられて、歩を縒《よ》ってよろめきつつ、何か綱にでも縋ろうとするように、両手の指をワナワナとひらいて、夜の空気をつかんでいる。
 左膳のわらいは、血をなめた者の真っ赤な哄笑であった。
 不知火の一同、思わずギョッとして、とり巻く輪が、ひろがった。

   流《なが》れ星《ぼし》


       一

 庭には斬合いが……と聞いても、萩乃は、なんの恐怖も、興味も、
前へ 次へ
全136ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング