だきたい」
「オウ、おさむれえさん。おめえ、何か感ちがいしていやアしませんかい」
 植木屋は、ペコペコあたまを掻いて、
「御尊名と来た! おどろき桃の木――あっしあ、根岸の植留の若えもンで、金公《きんこう》てえ半チク野郎で、へえ」
「なんと仰せられます。ただいまのは、柳生流秘伝銀杏返し……お化けなすっても、チラと尻尾が見えましてござります、しっぽが!」
「へ?」
 と金公、キョトンとした顔。

       二

 うたたねの夢からさめた櫛《くし》まきお藤《ふじ》は、まア! とおどろいた。
 じぶんの昼寝のからだに、いつの間にか、意気な市松《いちまつ》のひとえが、フワリとかけてあるのである。
「まあ! あんなやつにも、こんな親切気があるのかねえ」
 と、口の中で言って、とろんとした眼、自暴《やけ》に髪の根を掻いている。
 ここは、浅草駒形《あさくさこまがた》、高麗屋敷《こうらいやしき》の櫛まきお藤のかくれ家です。縁起棚の下に、さっき弾きあきたらしい三味線が一|梃《ちょう》、投げだしてあるきり、まことに夏向きの、ガランとした家で、花がるたを散らしに貼った地ぶくろも、いかさまお藤|姐御《あねご》の住まいらしい。
 どんよりした初夏の午《ひる》さがり……ジッとしていると、たまらなく睡《ねむ》くなる陽気だ。
 お藤、真っ昼間から一ぱいやって、いまとろとろしたところらしく、吐く息が、ちと臭い。
 今のことばを、口のなかでいったつもりだったのが、声になって外へ出たとみえて、
「姐御、おめざめですかい。あんなやつはねえでしょう。相変わらず口がわるいね」
 といって、二|間《ま》ッきりの奥の間から、出てきたのは、しばらくここに厄介になって身をひそめている、鼓の与吉である。
 妻恋坂のお蓮様に頼まれ、東海道の三島まで出張って、あの柳生源三郎の一行に、荷かつぎ人足としてまぎれこみ、ああして品川の泊りで、うまく大名物こけ猿の茶壺を盗み出したこの与吉。いままでこのお藤姐御の家に鳴りをひそめて、ほとぼりをさましていたので。
 ゆうき木綿《もめん》の単衣《ひとえ》に、そろばん絞りの三尺を、腰の下に横ちょに結んで、こいつ、ちょいとした兄哥《あにい》振りなんです。
 見ると、どっかへ出かける気らしく、藍玉《あいだま》の手ぬぐいを泥棒かむりにして、手に、大事そうに抱えているのは、これが、あの、伊賀の暴れン坊の婿引出、柳生流伝来の茶壺こけ猿であろう。鬱金《うこん》のふろしきに包んだ、高さ一尺五、六寸の四角い箱だ。
「おや、いよいよきょうは一件を持って、お出ましかえ」
 と笑うお藤の眼を受けて、
「あい。あんまり長くなるから、ひとつ思い切って峰丹波さまへこいつをお届けしようと思いやしてネ」
「だけど、伊賀の連中は、眼の色変えて毎日毎晩、品川から押し出して、江戸じゅう、そいつを探してるというじゃないか。もう、大丈夫かえ?」
「なあに――」
 与吉の足は、もう土間へおりていました。

       三

 櫛は野代《のしろ》の本ひのき……素顔自慢のお藤姐御は、髪も、あぶら気をいとって乱したまんま、名のとおり、グルグルっと櫛巻にして、まア、言ってみれば、持病が起こりましてネ、化粧《みじまい》もこの半月ほど、ちっともかまいませんのさ、ようようゆうべひさしぶりで、ちょいと銭湯へはいったところで――なんかと、さしずめ春告鳥《はるつげどり》にでも出てきそうな、なかなかうるさい風俗。
 ここんところ、ちょっと、お勝手もと不都合とみえて、この暑いのに縞縮緬《しまちりめん》の大縞《おおしま》の継《つぎ》つぎ一まいを着て、それでも平気の平左です。白い二の腕を見せて、手まくらのまま、
「さわるまいぞえ、手を出しゃ痛い――柳生の太刀風をバッサリ受けても、知らないよ」
 土間の与吉は、やっこらさとこけ猿の茶壺をかかえて、
「何しろ、大将が大暴れン坊で、小あばれん坊がウントコサ揃っていやすからネ。そいつが、江戸中を手分けして、この与吉様とこの茶壺をさがしてるんだ。ちいとばかり、おっかなくねえことアねえが、峰の殿様も、いそいでいらっしゃる。きっと、与の公のやつ、どうしたかと……」
「じゃ、いそいで行って来な」
「へえ、此壺《こいつ》を妻恋坂へ届けせえすれア、とんでけえってめえります。また当分かくまっておもらい申してえんで」
「あいさ、これは承知だよ」
「こういう危ねえ仕事には、けえって夜より、真っ昼間のほうがいいんです」
「お前がそうしてそれを持ったところは、骨壺を持ってお葬式《とむらい》に出るようだよ。似合うよ」
「ヤ、姐御、そいつあ縁起でもねえなあ」
 与吉が閉口して、出て行きますと、あとは急にヒッソリして、おもて通りの駒形を流して行く物売りの声が、のどかに――。
 しばらく、天井の雨洩りの
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