、放浪的な気もちがあるものです。
人によって、その思う度合いはちがい、また、考えのあらわれ方も異なりますが、だいたい人間は、ことに東洋人は、誰しも、この現実の俗な責任と、それにたいして反動的な、無責任な逃避を欲する心と、内心、この二つのたたかいにはさまれて生きているといっていい。
ですから。
ここに。
はじめっからその社会生活を拒絶している人があったとしたら、その人はある意味で、ずば抜けたえらい人だと言わなければなりません。誰だって、そうでしょう。
会社や役所へ出て、上役にペコペコし、上役はそのまた上役にペコペコし、お世辞でないようなお世辞を言い、同僚には二重三重の気がね……お金持はお金のないような顔をするし、金のないやつは金のあるような顔をするこんなイヤな世の中に、がんじがらめにされて生きてゆくよりは、サラリと利欲をすてて、いい景色でも見ながらフラフラ野山を歩いたほうが、よっぽどいいにきまってる。
わが泰軒居士はそれなんです。
ただ。
捨てるべき利念も、気がねも、はじめから持ちあわせない蒲生泰軒。
「俺ば、したいことをするだけだ」
というのが、先生の信条であります。
だが――。
これは、したいほうだいのことをするというのとは、だいぶ違う。
してはいけないことは、常に、決してしたくない人にして、はじめてこういうことができるのです。してはいけないことをしたくないのが道徳で、していいことをするのが自由だ。
泰軒先生は、これが完全に一致している。さぞサバサバした心境でありましょう。
一升徳利を枕に、いつも巷に昼寝する蒲生泰軒、その海草のような胸毛に、春は花吹雪、夏は青嵐、秋の野分、冬の木枯らしが吹ききたり、吹き去って、洒々落々《しゃしゃらくらく》とわらいながら、一生を弱い者の味方として送った人です。
歴史には名は出ていなくても、隣家《となり》の大将、裏の姐《ねえ》さん、お向うの兄《あん》ちゃんには、神のように、父のように慕われ、うやまわれたんです。
泰軒はこれでいいのだ。
長々と余談にわたって、まことに恐縮ですが――。
しかし……今をときめく南町奉行、大岡様のおやしきへ、こうして夜中に、庭からやってくるなんて、この泰軒のほかにはない。
「やあ、呼んだから来たぞ」
と先生は、暗い植えこみの影のかさなる庭から、ブラリと縁側へあがりながら、
「おお、来てるのか」
愚楽老人をじろりと見やって、埃だらけの長半纏《ながばんてん》の裾をはね、ガッシと組む大《おお》あぐら――。
七
この蒲生泰軒は。
その昔……。
日本国中を流れ歩いて、お伊勢さまへおまいりしました時に。
徳川専横の世にあって、皇室尊崇という国体観念の強い泰軒先生は、どんなに清らかな、またいかにはげしい日本愛をもって、伊勢大廟のおん前にぬかずいたことでありましょうか。
神代ながらのこうごうしさに打たれる、伊勢の神域。
ある学者が、北畠親房の神皇正統記という、日本精神をあきらかにした昔の歴史の本を評しまして、この神皇正統記は、前に遠く建国の創業をのぞみ、のちに遙かに明治維新をよぶところの国史の中軸であると道破されました。
まことにそのとおりでありますが、これは何も、その歴史の本だけのことではない。泰軒先生のような人物についても、まったく同じことが言えるのであります。
この幾多《いくた》名の知れない泰軒先生が、各時代を通じて存在していたということは、じつに、前に遠く日本建国の創業をのぞみ、のちにはるかに明治維新の絢爛《けんらん》たる覇業をよぶところのもので、一蒲生泰軒自身、大日本精神の一粒の砂のようなあらわれであったと申さなければなりません。それが、昭和のこんにちお互いが見るような、この強大な日本意識、民族精神の拡充となったのです。これをさしてファッショなどという伊太利《イタリ》あたりの借り物などと思うのは、大たわけだ。
さて。
それがいいが……。
たましいの澄みわたる杉木立ち、淙々《そうそう》千万年の流れをうたう五十鈴川《いすずがわ》の水音に、心を洗った若い日の泰軒先生は、根が無邪気な人ですから、日本を思い、おそれ多いことですが皇室をしのびまつって、すっかり嬉しくなっちゃったんですネ。
連日連夜、山田の木賃宿にがんばって、ひとりで祝盃をあげた。
そこまではいいとして。
そいつをちっとばかりあげすぎたんです。
その当時から、かたときもはなさない貧乏徳利を振りまわして、フラフラ山田の町中を威張ってあるいた。イヤ、山田の町の人が、おどろきましたね。何しろ、容貌魁偉《ようぼうかいい》、異様な酔っぱらいが、愉快だ愉快だと、毎日町じゅうをねって歩くんですから。
とどのつまり、交叉点か何かに大の字なりに寝こんで
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