「ア、くやしい! 先生、あたし、どうしたらいいんでしょう。うちの亭主野郎ったら、悪所通いばっかりして、もうこれで三|日《か》も家へよりつきません。ほんとにほんとに、帰ってきたらどうしてやろうか……」
 泰軒はニコニコして歩きながら、
「あははははは、お前さんはホンノリ化粧でもして、酒の一本もつけて、いつでもあったかい飯《めし》をたけるようにしたくして、亭主野郎の帰りを待つんだナ」
「まあ、馬鹿馬鹿しい! そんなことができますか。ほんとに嫌だよ。男はみんな男の肩をもってさ。先生も男なもんだから、そんなことをいうんですよ。男ってどうしてそうかってなんでしょう」
「いや、そうでない。そうしているうちに、宿六の浮気がとまる。うちへも一ぺんよこしなさい。酒でも飲みながら、ゆっくり話そう」
 ほかの一人が、泰軒のうしろに追いついて、
「先生、すみませんが、あとで手紙を一本書いてもらいてえんで」
「よろしい。あとで来なさい」
 先生が作爺《さくじい》さんの家へはいるまで、長屋の連中ははなしません。どぶ板のこわれたのから、猫の喧嘩まで一々先生のところへ持ちこんでくる。泰軒はまた、めんどうがらずに、かたっぱしからその始末をつけてやるんです。
 戸口のところで、長屋の人達と別れた泰軒は、しずかに作爺さんの家へあがった。壁は落ち、障子はやぶれて、見るかげもない部屋に、作爺さんこと作阿弥《さくあみ》は、垢じみた夜着をきて寝ている。
 病気なんです――もうずいぶん長い間。
「御気分はどうじゃな、作阿弥《さくあみ》どの」
 そういって泰軒は、まくらもとにすわった。そして、いま買ってきた何やら木の実のようなものを薬研《やげん》に入れて、ゴリゴリていねいにくだきはじめました。
 お美夜ちゃんはそのそばに、しょんぼりすわっています。

       四

 どこが悪《わる》いというのでもない。
 いわば、老病というのでしょうか。それとも、からだの節々《ふしぶし》がいたみ、だんだん四肢《てあし》のうごきに不自由を感ずるところを見ると、今でいうリウマチとでもいうのかもしれない。
 作爺さんはもうこれで二、三ヶ月も、枕から頭があがらないのです。
 羅宇直《らうなお》しの稼業《しょうばい》に出られないのは、むろんのこと……なによりすきな、というよりも、イヤ、それはもう第一の本能といっていいほど、閑《ひま》さえあれば手にせずにはいられない馬の彫刻にも、モウ長いこと鑿《のみ》をとりません。
 作爺さん、それがさびしいらしい。たまらなくつらいらしい……。
 馬を彫らせては当代随一の作阿弥《さくあみ》――そういえば、いつかこの部屋で、隅にころがる半出来の馬のほりものを一眼見て、この老人の素姓を看破したのは、この蒲生泰軒だった。
 これだけの名人|作阿弥《さくあみ》が、どういうわけで羅宇なおしの作爺さんになりきって、曰《いわ》くありげな孫むすめお美夜ちゃんと二人っきりで、今このとんがり長屋にかくれすんでいるのか、その仔細はまだわからない。
 あるいは、泰軒は知っているのかもしれないが――。
 御気分はどうじゃナ……といった泰軒先生の問いに、作爺さんは重い頭をあげて、
「イヤ、至極良好、快方に向かいつつある――と申しあげたいが、ざんねんながら、いっこうにはかばかしからぬ。もうこれきり、鑿《のみ》を手にすることもかなわぬかと思えば……」
 もう作阿弥《さくあみ》ということを知られていますから、言葉つきも、長屋の作爺さんを捨てて、本来のままです。
「うわはははは」
 と泰軒は、わざと大声に笑いとばして、
「なんの大名人《だいめいじん》ともあろう人が、それしきの病に、そんな気の弱いことを」
 薬研《やげん》を摺《す》る手に、力を入れて、
「この稀薬《きやく》を手に入れたからは、病魔め、おそれいって退散するに相違ないテ」
 はたしてそんなにきく稀薬かどうかは知りませんが、泰軒、さっきお美夜ちゃんの手を引いて出て、なけなしの銭をふるって買ってきたんです。なんだか変てこな、どす黒いかわいたものだ。それを船型の薬研《やげん》に入れて、ごろごろ丹念に摺りつぶしている。
 お爺さんが病気なので、お美夜ちゃんはいじらしいほどおとなしい。両手を膝に、眼をまんまるにして、ひげの伸びた祖父の顔をジッと見つめたまま、チョコナンと枕もとにすわっています。と、不意に、
「チョビ安お兄《にい》ちゃんは、どこへ行ったかわからないのねえ」
 と、こどもながらも何かしら、しんみりした口調で申しました。
 蒲団からのぞいている作爺さんの顔が、痩せた笑いにゆがんで、
「お美夜や、安はわしらを見捨てたのじゃ。モウ戻ってこんのだから、お前もそういつまでも、チョビ安のことを言うんじゃない」
 と、悲しそうです。泰軒はチョビ安の
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