れも見なかったろうね?」
「あれには驚きましたナ。イヤどうも腐りが早いので、首は、甕《かめ》へ入れて庭へ埋めました。手紙はここに持っておりますが、私の身体まで、死のにおいがするようで――」
三
京ちりめんに、浅黄《あさぎ》に白で麻の葉を絞りあわせた振り袖のひとえもの……萩乃《はぎの》は、その肩をおとして、ホッとちいさな溜息を洩らした。
父の病室からすこし離れた、じぶんの居間で、彼女は、ひとりじっともの思いに沈んでいるのだった。
うちに火のような情熱を宿して、まだ恋を知らぬ十九の萩乃である。庭前の植えこみに、長い初夏の陽あしが刻々うつってゆくのを、ぼんやり見ながら、きびしい剣家のむすめだけに、きちんとすわって、さっきから、身うごきひとつしない。
病父《ちち》の恢復は、祈るだけ祈ったけれど、いまはもうその甲斐もなく、追っつけ、こんどは、冥福を祈らなければならないようになるであろう……。
萩乃は、いま、まだ見ぬ伊賀の源三郎のうえに、想いを馳《は》せているのだ。
先方の兄と、司馬の父とのあいだに、去年ごろから話があったが、父のやまいがあらたまると同時に、急にすすんで、源三郎さまはきょうあすにも、江戸入りするはずになっているのだ――が、まだお着きにならない。どうなされたのであろう……。
といって、彼女は決して、源三郎を待っているわけではない。父がかってにきめた縁談で、一度も会ったことのない男を、どうして親しい気もちで待ちわびることができよう。
伊賀のあばれン坊としてのすばらしい剣腕は、伝え聞いている――きっと見るからに赤鬼のようなあの、うちの峰丹波のような大男で、馬が紋つきを着たような醜男《ぶおとこ》にきまっていると、萩乃は思った。
気性が荒々しいうえに、素行のうえでも、いろいろよからぬ評判を耳にしているので、萩乃は、源三郎がじぶんの夫として乗りこんでくることを思うと、ゾッとするのだった。
山猿が一匹、伊賀からやってくると思えばいい。自分はそのいけにえになるのか……と、萩乃が身ぶるいをしたとたん。
「おひとりで、辛気《しんき》くそうござんしょう、お嬢さま」
と、庭さきに声がした。
見ると、紺《え》の香のにおう法被《はっぴ》の腰に、棕梠縄《しゅろなわ》を帯にむすんで、それへ鋏《はさみ》をさした若いいなせ[#「いなせ」に傍点]な植木屋である。
父が死ねば、この広い庭に門弟全部があつまって、遺骸に別れを告げることになっているので、もはや助からないと見越して、庭の手入れに四、五日前から、一団の植木屋がはいっている。そのうちの一人なのだが、この若い男は、妙に萩乃に注意を払って、なにかと用をこしらえては、しじゅうこの部屋のまえを通りかかるので――。
秘伝《ひでん》銀杏返《いちょうがえ》し
一
どうしてこんな奥庭まで、まぎれこんできたのだろう……と、萩乃が、見向きもせずに、眉をひそめているうちに。
その若い植木屋は、かぶっていた手ぬぐいをとって、半纏《はんてん》の裾をはらいながら、かってに、その萩乃の部屋の縁側に腰かけて、
「エエ、お嬢さま。たばこの火を拝借いたしたいもので、へえ」
と、スポンと、煙草入れの筒をぬいた。
水あぶらの撥《ばち》さきが、ぱらっと散って、蒼味の走った面長な顔、職人にしては険《けん》のある、切れ長な眼――人もなげな微笑をふくんだ、美《い》いおとこである。
なんという面憎《つらにく》い……!
萩乃は、品位をととのえて振りむきざま、
「火うちなら、勝手へおまわり」
「イヤ、これはどうも、仰せのとおりで」
と、男は、ニヤリと笑いつつ煙管《きせる》をおさめて、
「じゃ、たばこはあきらめましょう。だがネ、お嬢さん、どうしてもあきらめられないものがあるとしたら、どうでございますね、かなえてくださいますかね」
と、その鋭い眼じりに、吸いよせるような笑みをふくんで、ジロッと見据えられたときに、萩乃は、われにもなく、ふと胸がどきどきするのを覚えた。
不知火流大御所のお嬢様と、植木屋の下職……としてでなく、ただの、男とおんなとして。
なんてきれいなひとだろう、情《じょう》の深そうな――源三郎さまも、こんなお方ならいいけれど。
などと、心に思った萩乃、じぶんと自分で、不覚にも、ポッと桜いろに染まった。
でも、源三郎様は、この植木屋とは月とすっぽん、雪と墨《すみ》、くらべものにならない武骨な方に相違ない……。
オオ、いやなこった! と萩乃は、想像の源三郎の面《おも》ざしと、この男の顔と、どっちも見まいとするように眼をつぶって、
「無礼な無駄口をたたくと、容赦しませぬぞ。ここは、お前たちのくるところではありませぬ。おさがり!」
「へへへへへ、なんかと、その
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