郎の顔を見て、萩乃と祝言《しゅうげん》させ、この道場を譲らぬうちは、行くところへも行けぬわい」
 というのが、死の床での司馬先生の口癖。
 ところが。
 当の萩乃は、恋《こい》不知火《しらぬい》のむすめ十九、京ちりめんのお振袖も、袂重い年ごろですなア。
「源三郎様なんて、馬が紋つきを着たような、みっともない男にきまってるわ」
 ひどいことを考えている。
「おお嫌だ! 伊賀の山奥から、猿が一匹来ると思えばいい」
 まだ品物を見ないうちから、身ぶるいするほど怖毛《おじけ》をふるっている。
 すると……。
 紺の香のにおう法被《はっぴ》の上から、棕櫚縄《しゅろなわ》を横ちょにむすんで、それへ鋏をさした植木屋の兄《あに》イ――見なれない職人が、四、五日前から、この不知火御殿《しらぬいごてん》といわれた壮麗な司馬の屋敷へはいって、さかんにチョキチョキやっていましたが。
「触《さわ》るまいぞえ手を出しゃ痛い、伊賀の暴れン坊と栗《くり》のいが」
 口の中で、いやに気になる鼻唄をうたっている。こいつが萩乃に、変に馴れなれしく口をきいているのを見て、怒ったのが師範代峰丹波だ。
 短気《たんき》丹波といわれた男……。
「植木屋風情が、この奥庭まで入りこむとは何事ッ! 誰に許しを得て――無礼者めがッ!」
 発止《はっし》! 投げた小柄を、植木屋、肘を楯《たて》に、ツーイと横にそらしてしまった。柳生流秘伝|銀杏返《いちょうがえ》しの一手……銀杏返《いちょうがえ》しといったって、なまめかしいんじゃアない。ひどくなまめかしくない剣術のほうだが、峰丹波はサッ! と顔色をかえ、ドサリ縁にすわって――指を折りはじめた。
「ハテナ、柳生流をこれだけ使う方は、まず第一に、対馬守殿、これはむろん、つぎに、代稽古|安積玄心斎《あさかげんしんさい》先生、高大之進《こうだいのしん》……ややっ! これは迂闊《うかつ》! その前に、兄か弟かと言わるる柳生源三――おおウッ!」
 傲岸《ごうがん》[#ルビの「ごうがん」は底本では「ごうかん」]、丹波の顔は汗だ。そのうめき声を後に……触るまいぞえ手を出しゃ痛い――唄声が、植えこみを縫って遠ざかっていく。
 根岸の植留の若えもンで、渡り職人の金公てエ半《はん》チク野郎《やろう》――こういう名で入りこんではいるが。
 これが、実は、伊賀の若様源三郎その人なんだ。
 こういうところが、源三郎の源三郎たるゆえん。
 供の連中は品川を根城に、眼の色変えてこけ猿の行方を、探索している。その間に自分は、ちょっと退屈しのぎに、かくは植木屋に化けて、この婿入りさき司馬道場のようすをさぐるべく、みずからスパイに――そんなこととは知らない萩乃は、この美男の植木屋に、ひそかに、熱烈なる恋《こい》ごころを抱くにいたりました。
「あんなしが[#「しが」に傍点]ない植木屋などを、こんなに想うなんて、あたしはいったいどうしたというのだろう……あアあ、それにつけても源三郎さまが、あの植木屋の半分も、きれいであってくれればいいけれど――」
 娘島田もガックリ垂れて、小さな胸にあまる大きな思案。
 罪ですネ、源ちゃんは。

   相模大進坊《さがみだいしんぼう》濡《ぬ》れ燕《つばめ》(発端篇)

 せっかく盗みだしたこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺を、チョビ安てえ余計者《よけいもん》がとびだしたばっかりに、丹下左膳という化け物ざむらいにおさえられてしまった鼓の与吉。
 なんといって、妻恋坂の峰丹波様に言いわけしたらいいか。
 いつまで黙ってるわけにもいかないから、ことによったら、この首はないものと、おっかなびっくりの身には、軽い裏木戸も鉄《くろがね》の扉の心地……与吉のやつ、司馬道場へやって来た。
 とたんに。
 出あい頭《がしら》に会った若い植木屋を、一眼見るより与の公、イヤおどろいたのなんのって、あたまの素ッてんぺんから、汽笛みたいな音をあげましたね。
「うわアッ! あなた様は、や、柳生の、げん、げん、源三郎さまッ!――」
 こいつあ驚かずにはいられない。これから起こった、あの深夜の乱陣です。与吉の口から、柳生源三郎とわかった以上、もはや捨ててはおけない。峰丹波、今宵ここで、伊賀の暴れン坊に斬られて死ぬ気で、立ち向かいました。
「源三郎どの、斬られにまいりました」
「まあ、ソ、ソ、そう早くから、あきらめるにもおよぶまい」
 法被姿《はっぴすがた》の源三、庭石に腰かけて、含み笑い……素手《すで》です。
 星の降るような晩でした。
 これより先、伊賀の若殿に刃《は》向かう者は、一人しかない。それは、もうひとりの源三郎が現われねばならぬと――いう丹波の言葉に、与吉はふっと思いついて、こっそり屋敷を抜け出るが早いか、夜道を一散走り。
 吾妻橋《あづまばし》下の河原の小屋へ。

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