、鶴岡市郎右衛門《つるおかいちろうえもん》方の泊りで、
「若ッ! 一大事|出来《しゅったい》! 三島の宿で雇い入れました鼓の与吉という人足めが、かのこけ猿の壺をさらって、逐電《ちくでん》いたしましたっ!」
 えらい騒ぎ。波紋の石は、まずこの江戸の咽喉首《のどくび》、品川の夜に投ぜられて、広く大きく、八百八|町《ちょう》へひろがっていく。
 その、江戸は本郷《ほんごう》、妻恋坂に。
 十|方不知火流《ぽうしらぬいりゅう》という看板を掲げた司馬老先生の道場が、柳生の若様の婿入り先で、娘を萩乃《はぎの》といいます。老先生は長《なが》のいたつき、後妻のお蓮《れん》さまという大年増《おおどしま》が、師範代|峰丹波《みねたんば》とぐるになって、今いい気に品川まで乗りこんできている源三郎を、なんとかしてしりぞけ、道場をぶんどろうと企んでいるのだ。
「老先生がおなくなりになるまで、婿引出をぬすみ隠して、源三郎めを品川へとどめておけ」
 つづみの与の公、この丹波の命をうけて供の人数へ紛《まぎ》れこみ、こけ猿の茶壺をかつぎだしたのです。引出物がなくては、お婿さんの行列は立ち往生。
 一同、品川で足どめを食った形。あの辺の青楼《せいろう》やなんかは、イヤもう、どこへ行っても伊賀訛《いがなまり》でいっぱいだ。毎日|隊伍《たいご》を組み、豪刀をよこたえて、こけ猿の茶壺やいずこ? と、江戸市中をさがしまわっている。
 この、消え失せたこけ[#「こけ」に傍点]猿の茶壺――耳が一つ虧《か》けているので、耳こけ猿、こけ猿という……この壺の秘密をめぐる葛藤《かっとう》が、本講談の中心でございます。
 さて。
 話はここで、お濠《ほり》の水しずかな千代田の城中、奥深く移って。
 将軍八代様のお湯殿《ゆどの》。八畳の高麗縁《こうらいべり》につづいて、八畳のお板の間、御紋《ごもん》散らしの塗り桶を前に、お流し場の金蒔絵《きんまきえ》の腰かけに、端然《たんぜん》とひかえておいでになるのが、後に有徳院殿《うとくいんでん》と申しあげた吉宗公で。
 来年は、二十年目ごとの、日光|御廟《ごびょう》御修営《ごしゅうえい》の年に当たる。ひそかに軍用金でもためこんでいそうな雄藩《ゆうはん》を、日光東照宮《にっこうとうしょうぐう》修理奉行《しゅうりぶぎょう》に命じて、その金をじゃんじゃん吐きださせようという、徳川の最高政策です。
 どんな肥《ふと》った藩でも、日光を一ぺんくうと、げっそり痩《や》せると言われた。
「のう、愚楽《ぐらく》。来年の日光だが、こんどは誰にもっていったものかな?」
 吉宗公、お風呂番に相談している。そもそも、こいつをただの男とおもうと、大間違いなので……。

   金《きん》ピカ日光《にっこう》(発端篇)

 亀背で小男の愚楽老人《ぐらくろうじん》、この上様《うえさま》のお風呂番《ふろばん》は、垢《あか》すり旗下《はたもと》と呼ばれて、たいへんな学者で、かつ人格者だった。
 将軍の垢はするが、胡麻《ごま》は摺《す》らない。
 隠密《おんみつ》の総帥《そうすい》で、みずから称して地獄耳、いながらにしてなんでも知っている。八代吉宗、最高秘密の政機は、すべて入浴《にゅうよく》の際、このせむしの愚楽にはかって決めたものだそうだ。
「来年の日光造営《にっこうぞうえい》の奉行は、誰に?」
 との御下問《ごかもん》に、愚楽、答えて、
「伊賀の柳生対馬守へ――小藩だが、だいぶ埋蔵《まいぞう》しておりますようで」
 柳生対馬守は、源三郎の兄だ。この愚楽の進言の結果、莫大《ばくだい》な費用を要する日光修復は、撃剣と貧乏で日本中に有名な、柳生へ落ちることになった。
 その、いよいよ柳生を当てるにも、です。
 昔はまわりくどいことをやったもので……金魚籤《きんぎょくじ》。
 お城の大広間に、将軍家出御、諸大名ズラリといならび、その前に一つずつ、水をたたえた硝子《ギヤマン》の鉢をおいて、愚楽さんが一匹ずつ金魚を入れて歩くんです。その金魚の死んだ者に、東照宮様の神意があるというんだが、ナアニ、これと思うやつのまえに、前もって湯の鉢をすえとくんだから、金魚こそいい迷惑だ。
 こうして、人のいやがる日光|修繕《しゅうぜん》をしょわされちまった柳生藩、剣なら柳生一刀流でお手のものだが、これには殿様はじめ重役連中、額をあつめて、
「よわった! こまった! どうしよう――」
 の連発……青いき吐息。
 この日光|祖廟《そびょう》おなおしの件は、やがて本講談の大筋《おおすじ》の一つとなります。
 しかるに。
 その柳生藩に、百歳あまりの一風宗匠《いっぷうそうしょう》という、活《い》きた藩史《はんし》みたいな人物があった。この人によって、柳生の先祖が、かかる場合の用にもと、どこかの山間にとほうもない大金
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