をとりまいて、今はもう、しとどに横顔を打つ斜めの雨に、ほおを預けながら、
「しかし、この雨の中を、どこまでお走らせになっても、何もおもしろいことはござりますまい。お早々と御帰還のほど、願わしゅう存じまする」
 玄心斎がしきりに帰りを促すそばから、谷大八もなんとなく胸騒ぎをおぼえて、
「これから先は、人家もござりませぬ。風流……も、ことによりけりで、この大雨のなかを――」
 止められると、理由《わけ》もなく進みたくなるのが、若殿育ちの源三郎の常で、彼は無言のまま、いきなり馬首を東南に向け、小川に沿って走らせ出した。
 いいかげんそこらまで行ったら、このすこし先の道が、水戸街道《みとかいどう》と出会うあたりから、もとへ引っ返すつもり……。
 菖蒲《しょうぶ》で名高い堀切《ほりきり》も、今は時候《じこう》はずれ。
 若宮八幡《わかみやはちまん》の森を右手に見て、ぐっと行きつくすと、掘割《ほりわり》のような川が、十文字に出会って……。
 右、市川《いちかわ》。
 左、松戸《まつど》――。
 肩をぐっしょり濡らした門之丞が、追いついた馬上から、大声に、
「思い出しました……」
 と、やにわに言った。
「お蓮様が、いま本郷の道場においでにならぬことは、殿をはじめ、玄心斎殿、大八殿も、ごぞんじでござろうな」
 そう言って門之丞は、何かすばらしい計画を思いついたように、馬をとめた源三郎と、安積玄心斎、谷大八の三人の顔を見まわす。
 雨のなかで、湯気をあげる馬が四頭かたまり、馬上の四人の侍が、何やら談合しているのですから、枯れ草をせおった近所の百姓が、こわそうに道をよけて行く。
 道が行きどまりになったので、いやでも引っ返さなければならないかと、業腹《ごうはら》でならなかった伊賀の暴れん坊は、この門之丞の一言に、たちまち眼をきらめかして、
「うむ、そう言えば、どこかの寮とやらへ出療治《でりょうじ》にまいっておるとか、ちらと聞いたが……」
「ナニ、療治と申しても、何も病気だというわけではござりませぬ。表面は保養ということにいたして、またかの峰丹波とトチ狂いかたがた、われわれに対する今後の対策を凝《こ》らしているものと察しられますが――ところで、わたしは、道場の婢《おんな》どもが噂をしているのを、ちょっと聞きましたので。なんでもお蓮と丹波は、この先の渋江村《しぶえむら》とやらにまいっておるとのこと」
 門之丞は言葉をくぎって、じっと源三郎の顔色をうかがった。
 玄心斎と大八は、門之丞め、悪い時につまらないことを言いだしたと、にがりきって黙っている。
 思い合わせてみると、きょうこの向島方面へ遠乗りにでかけようと言いだしたのも、この門之丞。それから、制止する玄心斎を無視して、それとなく巧みにここまで源三郎をみちびいてきたのも、門之丞。

       四

 仰向いて笑った門之丞の顔に、大粒の雨が……。
「彼奴《きゃつ》ら、われわれとの根《こん》くらべに負け、押し出されるがごとく一時道場をあけて、かような片田舎へ逃げこんだものに相違ござらぬが、もとより、対策がたちしだい、いついかなる謀計をもって道場へ引っ返してまいるやもはかりしれませぬ。今ごろは、かの女狐《めぎつね》と男狐《おぎつね》、知る人もなしと額をあつめて、謀《はかりごと》の真最中でござろう。そこへ乗りこんで、驚く顔を見てやるのも一|興《きょう》……」
 そそのかすような門之丞の言葉に、思慮の深い玄心斎は眉をひそめ、
「門之丞は、どうしてさようなことを存じておるのかな。同じ屋敷内にあっても往き来もせぬ、いわば敵方の動静……それは、わしも、丹波とお蓮様がちかごろ道場におらぬらしいことは、聞き知っておったが、この近くの寮に出向いておるなどとは、夢にも知らなんだ」
「いや、わたしもはじめてで」
 と、谷大八が横あいから、いぶかしげな眼顔。じつは、二人とも知っていたんです、玄心斎も、大八も。
 お蓮様と丹波が、腹心の者十数名を引き連れて、近頃、この向島を遠く出はずれた渋江村《しぶえむら》の寮《りょう》に、それとなく身をひそめて何事か画策していることを。
 それも、この五、六日のことで。
 だが、道場では、どこまでも、お蓮様も丹波も在宅のように装《よそお》って、屋敷を明けていることはひた隠しにかくしているのだが、なんの交渉もないとはいえ、またいかに広い屋敷内でも、一つ屋根の下のこと――今まで知らなかったのは源三郎だけで、それだけに彼は、おどりあがるように馬上に身をひきしめ、
「おもしろい! これより押しかけて、ひと泡ふかせてくれよう。タ、タ、退屈しきっておったところだ。もう、あのにらみあいには、あきあきいたしたぞ。と言って、妻恋坂の道場では、先にも門弟が多いことだし、世間の眼というものもある。がまんにが
前へ 次へ
全136ページ中69ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング