た別棟に、お蓮様、丹波をはじめ道場の一派、われ関《かん》せず焉《えん》とばかり、ひっそり閑《かん》と暮らしているんです。
 売った喧嘩を買ってくれないほど、はりあいの抜けることはない。
 源三郎を取り巻く伊賀の若侍たちも、拍子抜けがして――。
 暴《あば》れくたびれ。
 退屈。
 あう――ウア! 欠伸《あくび》の合唱、源三郎の欠伸と門之丞の欠伸とがいっしょだったので、源三郎|自嘲《じちょう》的な笑いを洩らし、
「秋晴れだナ。馬に乗りたい」
 と言った。
「結構ですな、チトお気ばらしに……」
「余は、江戸はくらい。遠乗りにはどの方面がよかろうかな?」
「拙者もよくは存じませぬが、まず墨堤《ぼくてい》……いかがで?」
「ま、よかろう、馬ひけ」
「御意《ぎょい》。供は?」
「其方《そち》と、玄心斎と、大八と、三人でよい」
 こうしたわけで、若さと力を持ちあつかった源三郎、轡《くつわ》を並べて、妻恋坂の道場を後に――。
 空には、鱗のような雲の影が、ゆるやかに動いていました。

       二

 西北から、大きな緑の帯のような隅田川《すみだがわ》が、武蔵《むさし》と下総《しもうさ》の間を流れている……はるかに、富士と筑波を両方にひかえて。
 昼ながら、秋の狭霧《さぎり》が静かに罩《こ》めわたって、まるで水面から、かすかに湯気があがっているように見えるのだった。その模糊《もこ》とした中から、櫓《ろ》の音が流れて来て、嘴《くちばし》と脛《すね》の赤い水鳥が、ぱっと波紋をのこして飛びたつ――都鳥である。
 吾妻橋《あづまばし》から木母寺《もっぽじ》まで、長い堤《つつみ》に、春ならば花見の客が雑踏《ざっとう》し、梅屋敷《うめやしき》の梅、夏は、酒をつんでの船遊び――。
 が、今は秋も半《なか》ば。
 草紅葉の広い野に、まばらな林が風に騒いで、本郷の道場を出た時は、秋晴れの日和であったのに、いつしか空いっぱいに雲がひろがり、大川をくだる帆も早く、雨、そして風さえ孕《はら》んだ、暗いたたずまいである。
 馬《うま》乗り袴《ばかま》が、さやさやと鳴る。
 馬具がきしむ。
 薄陽《うすび》と河風を顔の正面《まとも》にうけて源三郎は、駒の足掻《あが》きを早めた。
 遠乗りの快味のほか、何ものもない彼の頭に、ただ一つ……。
 さっき妻恋坂をおりきった街角に、人を集めて何か芸当を見せている二人の女遊芸人のすがたが、なんとはなく、印象にこびりついているのだった。
 三味線を斜めにかまえて、チラと馬上の自分をあおぎ見た年増おんな。
 十か九つの女の子が、扇子をひろげて何かのせていたが、通りすがりに馬の上からちょっと見ただけなので、よくわからなかったけれど。
 あの二人の女芸人が、妙に源三郎の心をはなれない。
 自分を思っている萩乃のこと、同じく自分に思いを寄せているらしいお蓮様――さては、国の兄……いまだに行方の知れないこけ猿の茶壺のことなど、戞々《かつかつ》と鳴る馬の一足ごとに、源三郎の想念《おもい》は、際限もなく伸びひろがってゆく。
「此馬《こやつ》に一汗かかせてくれよう」
 源三郎は大声に、
「つづけっ!」
 背後《うしろ》をふりむいて叫びながら、思いきり一鞭《ひとむち》くれた。
 馬は、長堤に呻りをたてて、土を掻い込むように走り出した。玄心斎、門之丞、谷大八の三人も、おくれじと馬脚を入り乱れさせて、若殿のあとを追う。
 木母寺《もっぽじ》には梅若塚《うめわかづか》、長明寺《ちょうみょうじ》門前の桜餅、三囲神社《みめぐりじんじゃ》、今は、秋葉《あきば》神社の火のような紅葉だ。白鬚《しらひげ》、牛頭天殿《ごずてんでん》、鯉《こい》、白魚《しらうお》……名物ずくめのこの向島のあたりは、数寄者《すきしゃ》、通人《つうじん》の別荘でいっぱいだ。庵《あん》とか、亭《てい》とか、楼《ろう》とか風流な名をつけた豪商の寮や、料理屋が、こんもりした樹立ちのなかに、洒落《しゃれ》た屋根を見せている。
 源三郎の視野のすみを、それらの景色が、一抹の墨絵のように、さっとうしろへ流れすぎる。
 ぽつりと、額《ひたい》を打つ水粒。
「雨だな……」
「若ッ! いったいどちらまで?」
 玄心斎が、息をはずませて追いついてきた。
 砂煙を立てて、馬の鼻面を源三郎と並べながら、
「どこまでいらっしゃるおつもりで――もうよいかげん、ひっかえされては」
 玄心斎の白髪に、落ち葉が一枚引っかかっている。

       三

 松平蔵之丞様《まつだいらくらのじょうさま》のお屋敷と、須田村《すだむら》の間をぬけて、関屋《せきや》の里まで行き着いた主従四人は、綾瀬川《あやせがわ》の橋のたもとにたちどまって、
「ハ、ハ、張り子の虎ではない。雨がなんだ、濡れたとて、破れはせぬぞ」
 と、どもる源三郎
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