す。
「斬合いじゃあ敵《かな》わないもんだから、おいらをつかまえて、父上をくるしめようなんて、武士のするこっちゃねえや」
「ほざくなっ!」
と、チョビ安をおさえる一人が、いかりにまかせて、彼の小さな身体を畳へ押しころがし、ぎゅっと上からのしかかったとたん。
「あっ! やって来たっ!」
誰かの声に、一同の顔が戸口に向いた。
闇を背景に、格子をふさいで立っている白衣の痩身。手のない右袖が、夜風のあおりをくらってブラブラしているのは……丹下左膳。
だまって室内をながめまわしています。左の腋の下に壺をかかえ、その左手に血のしたたる濡れ燕をひっさげ、蒼くゆがんだ笑顔――。
「父上ッ」
チョビ安の声と同時に、
「あっ、お前様は、丹下の殿様――」
と、お藤が驚声をあげるまで、それが誰だか、左膳は気がつかないようすでした。
ありがたく頂戴《ちょうだい》
一
高大之進の一隊が、チョビ安の影を踏んで、路地の奥へ追いこんでいるあいだ……。
なんとかして、一刻も長く左膳をくいとめようと、刀をふるって駒形の街上に立ち向かった、二、三人の柳生の黒法師は。
剣鬼左膳の片手から生《せい》あるごとく躍動する怪刀濡れ燕の刃にかかって……いまごろは、三つの死骸が飛び石のように、夜の町にころがっているに相違ない。
壺も壺だが。
気になるのは、チョビ安の身の上。
野中の一本杉のような丹下左膳、親も妻子もない彼に、ああして忽然として現われ、親をもとめる可憐な心から、仮りにも自分を父と呼ぶチョビ安は、いつのまにか、まるで実の子のような気がして、ならないのでした。
ほんとうの人間の愛を、このチョビ安に感じている左膳なんです。
もう、半狂乱。
壺の木箱を左の腋の下にかいこみ、同じ手に抜刀をさげて、あわてたことのない彼が、一眼を血眼《ちまなこ》にきらめかし、追われて行ったチョビ安の姿をさがしもとめて、駒形も出はずれようとするここまで来ると。
とある横町に、パッと灯のさしている家があって、ガヤガヤという怒声、罵声の交錯。でも、ふっとのぞいてみたそこに、チョビ安がおさえられているのみか、あの櫛巻きお藤がとぐろを巻いていようとは、実に意外《いがい》……!
「なんだ、お藤じゃアねえか。ここはおめえの巣か」
言いながら左膳、冷飯草履《ひやめしぞうり》をゴソゴソとぬいで、あがってきた。
狭い家中に、いっぱいに立ちはだかっている黒装束の連中などは、頭《てん》から眼中にないようす。
まるで、お藤とチョビ安だけのところへ、のんきに訪ねて来たようなふうだ。
「どうした」
「おひさしぶりでしたねえ、左膳の殿様。手を突いて御挨拶をしたいんですけれど、ごらんのとおり、とっちめられていて、自由がききませんから、ホホホホホ……」
「おいっ、あまり世話をやかせるものではないぞ」
その時まで黙っていた高大之進が、いきなり左膳へ向かって、こう口を開きました。
「多くはいわぬ。壺が大事か、子供の命が大事か――ソレッ」
眼くばせをうけて、チョビ安をおさえている一人の手に、やにわに寒い光が立った。抜き身の斬っ尖を膝に敷きこんだチョビ安の喉元へ擬《ぎ》したのです。
返答いかに?
おとなしく壺を渡せばよし、さもなければ、血に餓えたこの刃が、グザとかわいい小さなチョビ安の咽喉《のど》首へ……。
チョビ安は、しっかり眼をつぶって、身動きもしない。できない。
左膳は、どっかとあぐらをかきました。
「まあ、話をしようじゃアねえか」
「えいっ、渡すか渡さぬか、それだけいえっ」
「あたいは死んでもいいから、壺をやらないでね」
むじゃきなチョビ安の言葉に、左膳は、たった一つの眼をうるませて、
「おれがここで暴《あば》れだしゃア、その前《めえ》に、チョビ安の頸が血を噴くってわけか。コーッと、なるほどこいつア、手も足も出ねえゾ――」
二
実際こうなってみると、いかに刃妖丹下左膳でも、ほどこすすべはない。
チョビ安の咽喉と白刃との間《あいだ》には、五|分《ぶ》、いや、三|分《ぶ》のすきもないので。
左膳の返事一つで、その斬っ尖がチョビ安の首に突きささることは、眼に見えている。
伊賀の連中も真剣だ。
決しておどかしでないことは、その、チョビ安に刀を構えている侍の、黒覆面からのぞいている血走った眼の色でも、わかるんです。
静寂……秋の夜更けは、身辺に黒い石を積みかさねるように、圧《お》しつけるがごとく感じられる。
沈黙を破ったのは、この隊の頭目《とうもく》、高大之進でした。
「子供をたすけたいと思うなら、さ、それなる壺を拙者の前にさしだされい」
左膳は、隻眼を笑わせて、凝然と天井を振りあおいでいる。
チョビ安は無言……お藤も、今はも
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