まっすぐに立てたきり、曲がらぬようじゃが、いかがめされた。寝|挫《くじ》きでもされたか」
「ウーム、よくぞお聞きくだされた。実は、お恥ずかしき次第ながら、首が曲がらぬ、借金でナ」
中には、
「もうこれで一月、米の飯というものを拝んだことはござらぬ。米の形を忘れ申した。あれは、長いものでござったかな? それとも、丸い物――」
「これこれ、米の噂をしてくださるな。茶腹が鳴るワ」
「森越中殿《もりえっちゅうどの》、其許《そこもと》は御裕福でござろう、塩という財源をひかえておらるるからナ」
「御冗談でしょう。こう不況では、シオがない」
赤穂の、殿様、洒落《しゃれ》をとばした。ドッ! と湧くわらい。これだけのユーモアでも、元禄の赤穂の殿様にあったら、泉岳寺《せんがくじ》は名所ならず、浪花節は種に困ったろう。
お廊下に当たって、お茶坊主の声。
「南部美濃守様《なんぶみののかみさま》、お上《あが》り――イッ!」
むし歯やみのような沈痛な顔で、美濃守がはいってくる。
四方八方から、声がとんで、
「南部侯、どうも日光は貴殿らしいぞ。北国随一の大藩じゃからのー」
「よしてくれ」
と南部さま、御機嫌がわるい。
「城の屋根が洩って蓑《みの》を着て寝る始末じゃ。大藩などとは、人聞きがわるい」
きょうは、すべていうことが逆だ。
「何を言わるる。鉄瓶と馬でしこたまもうけておきながら……」
「もうけたとはなんだ! 無礼であろうぞ!」
南部侯、むきだ。
金持といわれることは、きょうは禁物なのである。
とたんに、この大広間の一方から、手に手に大きな菓子折りを捧げたお坊主が多勢、ぞろぞろ出てきて、一つずつ、並《なみ》いる一同の前へ置いた。
「愚楽さまから――」
という口上だ。一眼見ると、みんなサッと真っ赤になって、モジモジするばかり。ふだんから赤い京極飛騨守などは、むらさきに……。
おん砂糖菓子――とあって、皆みな内密に、愚楽老人へ賄賂に贈ったものだ。おもては菓子折りでも、内容《なか》は小判がザクザク……愚楽の口ひとつで日光をのがれようというので、こっそり届けたのが、こうしておおっぴらに、しかも、一座のまえで、みんなそのまま突っ返されたのだから、オヤオヤオヤの鉢あわせ。
あわてて有背後《うしろ》に隠して、おやじめ皮肉なことをしやアがる……隣近所、気まずい眼顔をあわせていると、シーッ! シッ! と警蹕《けいひつ》の声。
吉宗公、御着座だ。
三
「用意を」
と吉宗、お傍《そば》小姓をかえりみた。
お小姓の合図で、裾模様の御殿女中が、何人となく列をつくって、しずしずとあらわれ出た。濃いおしろい、前髪のしまった、髱《たぼ》の長く出た片はずし……玉虫いろのおちょぼ口で、めいめい手に手に、満々と水のはいった硝子の鉢を捧げている。
それを、一同の前へ、膝から三尺ほどのところへ、一つずつ置いた。
二十年めの日光御修理の役をきめるには、こうして将軍のまえで、ふしぎな籤《くじ》をひいたものである。
さて、一同の前に一つずつ、水をたたえたギヤマンの鉢が配られると、裃《かみしも》すがたの愚楽老人が、ちょこちょこ出てきた。子供のようなからだに、しかつめらしいかみしもを着ているのだから、ふだんなら噴飯《ふきだ》すものがあるかも知れないがいまは、それどころではない。
みな呼吸《いき》をつめて、愚楽を見つめている。
老人、手に桶《おけ》をさげている。桶の中には、それはまた、なんと! 金魚がいっぱい詰まっていて、柄杓《ひしゃく》がそえてあるのだ。
生きた金魚……真紅の鱗《ひれ》をピチピチ躍らせて。
金魚籤《きんぎょくじ》が、はじまった。
愚楽老人は、一匹ずつ柄杓で、手桶の金魚をすくい出しては、はしから順々に、大名達の前に置いてあるギヤマン鉢へ、入れてゆくのだ。
ごっちゃに押しこめられた桶から、急に、鉢の清水へ放されて、金魚はうれしげに、尾ひれを伸ばして泳いでいる。
ふしぎな儀式かなんぞのよう――一同は、眼を見ひらいて、順に金魚を入れてゆく老人の手もとに、視線を凝《こ》らしている。
じぶんの鉢に入れられた金魚が、無事におよぎ出した者は、ホッと安心のてい。
愚楽老人の柄杓が、上座から順に、鉢に一ぴきずつ金魚をうつしてきて、いま、半《なか》ばを過ぎた一人のまえの鉢へ、一匹すくい入れると、
「やっ! 死んだっ! 当たったっ……!」
と口々に叫びが起こった。この鉢に限って、金魚が死んだのだ。どの金魚も、すぐ、いきおいよくおよぎ出すのに、これだけは、ちりちりと円くなって、たちまち浮かんでしまった。
「おう、柳生どのじゃ。伊賀侯じゃ」
その鉢を前にして、柳生藩江戸家老、田丸主水正《たまるもんどのしょう》、蒼白な顔で、ふるえだした。
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