ぜり合いの形に構えたまま、斬っ尖に天をさして、凝然と立っている。
 柱によりかかっていた人が、フワリとその柱をはなれる時のように、左膳は日常茶飯事《にちじょうさはんじ》の動作で、一間ほどその男から遠のいたのですが、黒い影は、まだガッキと腕に力をこめて、大地に根が生えたよう……。
 離れた左膳は、不意に、大切なこけ猿を相手の足もとへ置いてきたのに気がついた、またブラリと引き返して、刀を口にくわえ、それを左手に抱きあげてもとのところへ帰って……相手は作り物のように、まだ鍔競り合いの恰好のまま動かないんです。周囲の伊賀の連中は、このありさまに何事が起こったのかと、あっけにとられて眺めているばかり――。
 だが、さすが名剣手の高大之進だけは、心中に舌をまきました。
 その、刀をくわえて、ボンヤリ壺を取りにひっかえしている左膳のどこにも、一点のすきもないんです。ピンの先で突いたほども、気の破れというものがない。
 すると、ここにふたたびふしぎなことが起こったので。
 二、三間離れて、壺を左の腋《わき》の下にかかえこんだ丹下左膳が、その、まだ一人立っている黒い影へ向かって、ひだり手に刀を持ちなおし、
「やいっ、汝《われ》アもう死んでるんだぞ。手前《てめえ》の斬られたのを知らなけれア世話アねえや」
 さけんだかと思うと、その黒い影が大きく前後にゆらいで、まるで足をすくわれたように、バッタリ地に倒れました。同時に、右から左へかけてはすかいに胴がわれて、一時に土を染めて流れ出す血、臓腑《ぞうふ》……いつのまにか、ものの見事に斬られていたんです。
 もののはずみというものは、おそろしい。死んだまま立っていたまでのこと。剣の妙も、こうなるとものすごいかぎりで、斬られた本人が気がつかないくらいだから、あたりの者は、誰も知らないわけ。
 呆然としている柳生の侍達を、しりめにかけ、
「また出なおすとして、今夜はこれで、帰れ、帰れっ」
 あざけりを残した左膳、濡れ燕をさげた左の腋《わき》の下に、こけ猿をかかえて歩き出したが……。
 ハッとわれに返った高大之進をはじめ柳生の面々、こうなるとすきも機会もありはしない。一度に、渦巻きのように斬ってかかった。
 一本腕の左膳が、刀と壺を持つのだから、防ぐためには、また壺を地面におろさなければならない。チョビ安に持たせておくのは不安だから――で、左膳が、
「まだ来る気かっ、性懲《しょうこ》りもねえ」
 うめきざま、不自由な身で、刀を口に銜《くわ》えながら、左わきの下の壺を左手に持ちかえて足もとへおこうとした刹那《せつな》、ドッと襲いかかる足の下をくぐったチョビ安、逃げる気で、いきなり駈けだしたんです。
「そら、小僧を……」
 誰かがさけぶ声がした。一同は左膳を捨ててチョビ安を追いにかかったが、こま鼠《ねずみ》のようなチョビ安、白刃の下をでるが早いか、駒形の通りをまっすぐにとんで、ふいっと横町へきれこんだ。

       四

「馬鹿ア見やしたよ」
 藍微塵《あいみじん》の素袷《すあわせ》で……そのはだけたふところから、腹にまいたさらし木綿をのぞかせ、算盤《そろばん》絞りの白木綿の三尺から、スイと、煙草入れをぬきとった。
 つづみの与吉《よきち》はあぐらをかいている。
「それでさ、あるやつの小屋から、あるチョビ助のあとをつけてネ、その行った先を見とどけたと思ってくだせえ。目ざす品物が、チャンとそこへ納まったと見てとったから、一番|金《かね》になるほうへ、そっと売りこんでやったのさ。そこまでアいったが姐御、先方が、いきおいこんで踏みこんでみるてえと、外見《そとみ》はそのねらっていた品物でも、中は石ころじゃアねえか。あっしは、呼びつけられの、どなられの、庭先へ引きすえておいて、すんでのことで斬るてえところを、泣いてたのんでゆるしてもらったんだが、あっしも、こんどてえこんどだけは、面目玉《めんぼくだま》を踏みつぶしやしたよ」
 司馬の道場から、与吉の報告にこおどりして、あのとんがり長屋の作爺さんのところへでかけていった峰丹波の一味、石をのぞいて帰っただけじゃア、どうにも腹の虫が納まらないから、与吉をブッタ斬ると息まいたのも当然で、思い出しただけで、与吉は身ぶるいをしています。
 市松格子《いちまつこうし》の半纏《はんてん》を、だらしなく羽織った櫛巻きお藤の顔へ、与吉のふかす煙草の煙が、フンワリからむ。
 駒形をちょっとはいった、尺取り横町は櫛巻きお藤の隠れ家だ。
 ふふんと笑ったお藤、だまって与吉から煙管《きせる》をとって、一服ふうとふきながら、
「三|下《した》が、言うことがいいや。面目玉《めんぼくだま》をふみつぶしたって、お前なんざ、はじめっから、ふみつぶす面目玉がありゃアしないじゃないか。手を合わせて命乞いしたところ
前へ 次へ
全136ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング