るので。
したい寄る影は、みな一様に黒の覆面に、黒装束。どこの何者ともわからないが、いっせいに剣輪をちぢめて、ヒタヒタヒタと進んでいく群れのなかに、
「よいかっ。一度にかかれっ! 壺はとにかく、小僧をおさえろ、小僧を!」
との声がするのは、たしかに、この壺捜索のために伊賀から江戸入りしている、柳生の隊長高大之進だ。
一気に壺を奪取しようと、月のない今宵を幸い、橋下の左膳の小屋へ斬り込みをかけたのだが、早くも二、三人にその濡れ燕を走らせた丹下左膳は、チョビ安に箱をだかせて、ともにこの材木町《ざいもくちょう》の通りを、いま、ここまで落ちのびて来たのだけれど。
払っても、抗《むか》っても、すがりよってくる黒法師のむれに、二人はまさに、おいつめられた形で。
左膳、こうして壺を大道の真ん中に置かせ、それをガッシと片あし掛けて、チョビ安を後ろにかばい、ここにしいた背水の陣だ。
この機会を逃がしては……と!
気負いたった伊賀勢、一人が駈けぬけて、真ッ向から左膳に激突するつもり!
だが一人ふたりの相手よりも、大勢を向うにまわしてこそ、刃妖の刃妖たるところを発揮する丹下左膳。
ニヤリと、笑った。
「安っ! 離れるなよっ」
左足を一歩引いて空を打たせ、敵の崩れるところを踏みこんで、剣尖からおろす唐竹割り、剣法でいう抜き面の一手です――左膳の体勢は、すこしもゆるがず、つぎの瞬間、また水のごとき静けさに返っています。
二
江戸のこどもの遊びに、「子を取ろ子とろ」というのがあった。これは明治のころまでありました。子供が多勢、帯につかまって一列になり、鬼になった子が前へ出てその列の最後の子をつかまえようとする。
「子を取ろ子とろ」
と、鬼になった子がさけぶ。
すると、一列縦隊のこどもたちが、一番おしまいの子を守りながら、
「さあ、取ってみなさいな」
と大声をあわせて、呼ばわるのだった。
かなり古い遊戯で、当時は子供達の間に、非常に流行《はや》ったもの。仏教のほうからきた遊びだといいますが、なんでも地獄の獄卒が、こどもたちをつれて通りかかると、戒問樹《かいもんじゅ》という木の下に、地蔵菩薩が待っていて、お地蔵さんは子供の神様で情け深い方ですから、こどもたちのために哀れみを乞《こ》います。獄卒はこどもを渡すまいとする。お地蔵さんは取ろうとする。その、お地蔵様と獄卒との間に、取ろう取られまいとする争いがもちあがって、これが「子を取ろ子とろ」の遊戯になったのだという。
とにかく……。
この「子を取ろ子とろ」が、この深夜、材木町《ざいもくちょう》の通《とお》りに斬りむすぶ剣林のなかに、始まった。
「小僧をつかまえてしまえっ」
高大之進は、大声にわめきながら疾駆して、
「壺はかまうな。子供をつかまえろっ」
チョビ安をひっとらえて、即座の人質にしようというのだ。
取ろうとする伊賀の一団が、お地蔵様か。
渡すまいとする丹下左膳が、地獄の獄卒か――。
「安ッ! すきを見て逃げろヨッ!」
左膳が、ちょっと後ろを振りむいて、チョビ安にささやいた……これが敵には、乗ずべきすきと見えたものか、かたわらの天水桶《てんすいおけ》のかげにひそんでいた黒影一つ、やにわに、刀とからだがひとつになって、飛びこんできた。
左膳としては。
足に踏まえているこけ猿の壺にも、気をくばらねばならぬし、うしろのチョビ安にも、心をとられる。
左膳の濡れ燕を、頭上斜めにかざして、ガッシリと受けとめるが早いか、二本の剣は、さながら白蛇のようにもつれ絡んで……鍔競《つばぜ》り合いです。
歯をかみしめた左膳の顔が、闇に大きく浮かびでる。
鍔ぜり合いは、動《どう》の極致《きょくち》の静《せい》……こうなると、思いきり敵に押しをくれて、刀を返しざま、身を低めて右胴を斬りかえすか。
または……。
こっちが押せば向うも押し返す、この押し返して来たところを力を抜き、敵の手の伸びきったのに乗じて、やはり刀をかえして右胴を頂戴《ちょうだい》するか。
二つに一つ。
だが、鍔競りあいの胴《どう》打ちは、大して力のきかぬものとされているから、どう動くにしても、最大の冒険です。
先にうごいたほうが、命をとられる。左膳も、その覆面の敵も、ギリッと鍔をかみあわせたまま、まるで二本の柱のように、突ったっている。とりまく一同も、柄を持つ手に汗を握って、声もありません。
三
真夜中の斬《き》りあいに驚いて、両側の商家の二階窓が、かすかに開き、黄色い灯の条《すじ》のなかに、いくつも顔が並んで見下ろしている。
すると、ふしぎなことが起こったのです。
左膳が、スーッと刀をおろしながら、その相手から二、三歩遠ざかった。
それでも、その男は、刀を鍔
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