している。
一つの邸内には、柳生と司馬とをつなぐ桟橋《かけはし》。
「御用というは、ナ、ナ、ナ、なんでござる」
と、源三郎がつかえるのは、相手に対して、幾分の気安さをおぼえた証拠です。
内輪《うちわ》ではつかえるが、四角張った場合には、決してつかえない源三郎だ。
「用といって……わかっているじゃアありませんか」
お蓮様は、急に思い出したように、片手を帯へさしこみ、身をくねらせて、ビックリするほど若やいだ媚態。
「御相談がありますの」
斜めに源三郎を見上げた眼尻には、鉄をもとかしそうな若後家の情熱が溢れて……。
鉄をもとかす――いわんや、若侍の心臓をや。
というところだが。
源三郎は、さながら、石が化石《かせき》したような平静な顔で、
「母上……」
と、呼びなおした。
母上――こいつは利きました。源三郎のほうでは、あくまで萩乃の婿の気。その順序からいえば、故先生の御後室お蓮様は、なるほど母上に相違《そうい》ないのだが、色恋の相手と見ている年下の男に、いきなり母上とやられちゃア、女の身として、これほどお座の醒《さ》める話はない。
ことに今、恋愛工作の第一歩にはいりかけたやさき、お蓮様は、まるで、出鼻をピッシャリたたかれたような気がした。
あなたはお幾歳《いくつ》でしたかしら。お年齢《とし》のことも考えていただきたい――そう言われたようにひびいて、年上のお蓮様は、ゲンナリしてしまいました。
同時に、勃然たる怒りが渦巻いて、お蓮様は壁のような白い顔。口が皮肉にふるえてくるのを、制しも敢《あ》えず、
「母上!――まア、あなたは手きびしい方ね。あたしは、お前さんのような大きな息子を持ったおぼえはありませんよ。ほほほ、なんとかほかに呼びようはないものかしら」
うらみを含んだまなざしを、源三郎は無視して、
「あすにも道場をお明け渡しになれば、あなただけは母上として、萩乃ともども、生涯御孝養をつくしましょう。さすれば、お身も立とうというもの。悪いことは申しませぬ」
「あたしはねえ、源様、あの丹波などにそそのかされて、お前様にこの道場をゆずるまいと、いろいろ考えたこともありましたけれど、源様というお人を見てから、あたしはすっかり変わったんですよ。今はわたしも、亡くなった先生と同じ意見で、ほんとに、あなたにこの道場を継いでもらいたいと思うんです」
しんみりと語をきったお蓮様は、すぐ、炎のような熱い息とともに、
「でも、それには、たった一つの条件がありますの」
「条件――?」
と、向きなおった源三郎へ、お蓮様は、顔一杯の微笑を見せて、
「お婿さまはお婿様でも、そのお婿様の相手を変えるのが、条件……」
六
灯のほのかな長|廊下《ろうか》のまがり角だ。
立ち話をしている源三郎と、お蓮様の影が、反対側の壁に大きく揺れている。
源三郎は、両手をふところにおさめてそりかえるような含み笑いをしながら、
「ハテ、婿の相手が変わるとは?」
「萩乃からあたしへ」
言いつつお蓮様は、つと手を伸ばして、源三郎の襟元へ取りすがろうとするのを、一歩|退《さが》ってよけた源三郎、
「ジョ、ジョ、冗談じゃアねえ」
ほんとにあわてたんだ。
「母上としたことが、なんと情けないことを。老先生のお墓の土が、まだかわきもせぬうちに、娘御の婿となっております拙者に、さようなけがらわしいことをおっしゃるなどとは、プッ! 見下げ果てた……」
源三郎、懐中の右手がおどり出て、左の腰際へ走ったのは、いつものくせで、刀の柄《つか》に、手をかける心。
無刀《むとう》なのを、瞬間忘れたほどの怒りでした。
「先生にかわって御成敗いたすところだが、まずまず堪忍……丹波とはちがい、さような手に乗る源三郎ではござらぬ」
お蓮様は、壁にはりついて、あっけにとられた顔で、源三郎をみつめている。
それは、言い知れない驚愕の表情であった。この自分の媚《こ》びを手もなくしりぞける男が、この世に一人でもあることを発見したおどろき。
自信をきずつけられた憤りに、お蓮様は、総身《そうみ》をふるわせて、
「よろしい。よくも私に、恥をかかせてくれましたね。それならば今までどおり、どこまでも戦い抜きましょう。お前《まえ》はあくまでも萩乃の婿のつもり……だが、こちらでは、無態な田舎侍が、なんのゆかりもないのに押しこんで、動かぬものと見ますぞ。また根較べのやり直し――それもおもしろかろう、ホホホホホおぼえておいで」
きっと言いきったお蓮様が、源三郎をのこして、足ばやに立ち去ろうとした時、
「源三郎様っ!」
と泣き声とともにそこの角から転《まろ》び出たのは、裾ふみ乱した萩乃だ。
聞いていたんです、廊下のまがり角に身をひそめて。
侍女のさがるのを待って、源三郎恋しさ
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