馬道場の峰丹波に復命したんだから、道場から放たれた一味のものが、夜といわず昼と言わず、この橋の下を看視しているので。
これでみると、莫大な柳生家の埋宝と壺との関連を知る者に、外部にはただひとり、この峰丹波があるのかも知れません。
とにかく……。
みずから世を捨て、世に棄てられて、呑気に暮らしているところへ思わぬことから、この変てこなうず巻きに引きずり込まれた丹下左膳、なにが何やら、まださっぱり見当がつかない。自分の立場もわからないし、無我夢中……したがって、この古ぼけた壺には何かしら大いに、曰くがあるに相違ないとは想像しているものの、サテなんのためにこうして皆が壺をつけ狙うのか、じぶんはなぜこの連中と渡り合わなければならない位置におかれたのか、叩ッ斬るにしても、その概念がハッキリしませんから、左膳独特のすごみというものが、まだちっとも出ないんです。
で、清水粂之助《しみずくめのすけ》、風間兵太郎《かざまへいたろう》らチョイと左膳をなめてかかった。
三
壺の箱を抱えてうしろにまわったチョビ安を、左膳は背に庇《かば》って、左腕の剣をふりかぶっています。
風間兵太郎にしても、清水粂之助にしても、いま仲間のひとりを斬った左膳のうで前を見ているから、十二|分《ぶん》にこころを配るべきはず。
だが、
相変わらずニヤニヤ笑っている左膳に、気をゆるして、いっせいに左右から斬りこんで行った。
いったい、片手大上段、片手青眼などといって、刀を片手に取ることは、めずらしくない。しかし、それらはみな剣道定法のひとつで右片手です。
ところが、左膳は、右腕は肩からないんだから、左腕左剣……これは相手にとって、恐ろしく勝手の違うものだそうで、三|寸《ずん》にして太刀風を感じ、一寸にして身をかわし、また、敵のふところ深く踏みこんで、皮を切らして肉を斬るといった実戦の場合になると、左剣に対してはそれだけの用意をもって臨まなくては微妙な刀の流れ、角度など、とっさの判断と処置をあやまって、えて遅れをとりやすいと言われております。五分五分の剣技なら、まず、左剣手のほうに勝味がある。
いわんや、剣鬼左膳……。
その、天下に冠たる左手に握られた、大業物《おおわざもの》、濡れつばめです。
「おいっ、チョビ安、血を浴びるなよ!」
と、おめいたのが掛け声――風間兵太郎の首が、バッサリ! 音を立てて筵にぶつかった。皮一枚で胴とつながったまんまで……。
一瞬間、縦横に入り乱れた斬っ尖《さき》に、壁や天井代りの筵が、ズタズタに切り裂かれて、襤褸《ぼろ》のようにたれさがった。
その破れから、左膳はヒョロリと外へ抜け出て、
「広いぞ、ここは。どこからでもこいっ!」
白い剣身に、河原の水明りが閃《せん》々と映えて、川浪のはるかかなたに夜鳴きする都鳥と、じっと伸び青眼に微動だにしない、切れ味無二の濡れ燕と――。
が、もう、向かってくるものはない。
清水粂之助をはじめ、残った四、五の柳生の侍たちは、いまの風間の最期に、度胆を抜かれてしまった。
とても、これだけの人数では手に負えない……いずれ同勢をすぐってと、怖いもの見たさに橋の上に立つ人だかりに紛れて、ひとまず立ち去ったのです。
「やりやしたね、父上」
かたわらの草むらから、ヒョッコリ出てきたのは、チョビ安だ。大きなこけ猿の箱を、両手にしっかとかかえています。
さむらいの子は、父《ちゃん》などというもんじゃアねえ。父上《ちちうえ》といえ……という左膳《さぜん》の命《めい》を奉じて、つけなくてもいいところへ、盛んに父上をつけるので。
行き当たりばったりの仮りの親でも、親のないチョビ安にとっては、やたらに父を振りまわしたいのかも知れません。
「すげえ、すげえ、おいらの父上ときたら」
チョビ安、讃嘆に眼をきらめかして、父上左膳を見あげている。
四
翌日は、カラッとした日本晴れ。
風間兵太郎ら、その他の死骸は、町方のお役人が出張して、検視をする。
「深夜におよび、これは狼藉者が乱入いたしたる故、斬り捨てましたる次第……」
という左膳の申し立てだから、役人たちはおどろいて、
「乞食小屋へ強盗がはいるとは、イヤハヤ……」
「下には下があるものでござるて」
と言いかけたやつは、左膳の一眼に、ジロリにらまれて、だまってしまった。
とにかく、押込みだというので死体はそのままおとりすて……風間兵太郎らは、いい面《つら》の皮です。
内々は、伊賀の連中ということがわかっていますから、林念寺前の柳生の上屋敷へ、そっと照会があったんですが、そんな、いっぽん腕の浪人者に斬り殺されるような者が、一人ならず、ふたり、三人、剣が生命の同藩から出たとあっては、柳生一刀流の面目まるつぶれ
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