にあることは、あの鼓の与吉が承知なのだ。
 柳生の里から江戸入りした高大之進《こうだいのしん》を隊長とする一団は、麻布本村町《あざぶほんむらちょう》、林念寺前《りんねんじまえ》の柳生の上屋敷に旅装をとくが早いか、ただちに大捜索《だいそうさく》を開始した。
 茶壺は、丹下左膳におさえられてしまう。おまけに、自分があの植木屋の正体を見破って立ち騒いだばかりに、峰丹波にあの後《おく》れをとらしたのだから、つづみの与吉は、このところ本郷に対して、ことごとく首尾のわるいことばかり。亡くなった老先生のお葬式があったとは聞いたけれど、道場へはしばらく顔出しもできない始末で、例によって浅草駒形、高麗屋敷《こうらいやしき》の尺取り横町、櫛巻きお藤の家にくすぶっていたのですが、柳生の里から応援隊が入京《はい》ったと聞いて、さっそく注進《ちゅうしん》にまかりでてみると――。
 おも立った連中は、捜索に散らばって、いあわせたのは、留守居格の清水粂之助、風間兵太郎、ほか五、六人の連中だけだ。
 めざす壺の在所《ありか》を、この鼓の与吉が知っていると聞いては、一刻も猶予がならない。一同が帰るまで待つわけにいきませんから、さてこそこうして、今この与の公の手引きで、この左膳の蒲鉾小屋へ乗り込んで来たところ。
 夜中。川風に筵があおられて、水明りで内部《なか》はほのかに明るい。
 チョビ安と並んで、夢路を辿っていた丹下左膳は、手のない片袖をぶらぶらさせて、ゆっくり起き上がりました。
「武士の住居へ、案内も乞わずに乱入《らんにゅう》するとは何事だ」
「黙れっ、貴様に用があって来たのではない。あれなる茶壺を取り返しにまいったのだ」
 と清水粂之助の指さす部屋の一隅には、まぎれもないこけ猿の茶壺が、古びた桐箱にはいり、鬱金《うこん》の風呂敷《ふろしき》に包まれて――。
「これは異なことを!」
 片眼を引きつらせて笑った左膳、
「あの壺は、先祖代々わが家に伝わる――」
「たわごとを聞きにまいったのではないっ!」
 喚《わめ》くと同時に、気の早い風間兵太郎が、その壺のほうへ走り出そうとした瞬間、左膳の長身が、床を蹴って躍り上がったかと思うと、左手がぐっと伸びて、枯れ枝の刀架けからそのまま白光《はくこう》を噴き出したのは、左膳自慢の豪刀濡れ燕……!
 ざ、ざ、ざァ――っ! と筵に掛かる血しぶきの音! 伊賀勢の一人、肩を割りつけられてのけぞりました。
「この壺を持っている限り、飽きるほど人が斬れそうだぞ。フフフこれはおもしろいことになった」
 濡れ燕の血ぶるいとともに、微笑む左膳を取り巻いて、剣花、一時に開きました。
 チョビ安はちょこなんと起き上がって、この騒動の真ん中で眼をこすっている。

       二

「危ねえっ! チョビ安っ!」
 おめいた左膳の声に従って、飛びのいたチョビ安の頭上を、青閃斜めに走って捜索隊の一人、左膳めがけてもろに斬りこんできた。
 狭い乞食の小屋のなかだ。
 刃妖左膳として鳴らしたかれの腕前を知らないから、柳生の面々気が強いんです。
 片眼のほそ長い顔、ひだり手一本に剣を取って、ニヤリと笑った立ち姿……この痩せ犬一匹何ほどのことやある……という考え。
 柳生の盆地に代々剣を磨いて、殿様から草履取りにいたるまで、上下を挙げて剣客ぞろい、柳生一刀流をもって天下に鳴る人達だから、恐ろしいの、用心するのという気もちは、はじめっからないんだ。
 殊に、今。
 主家存亡の秘鍵を握るこけ猿の茶壺を、眼の前に見ての活躍ですから、そのすごいったら――。
 左膳にしても、です。
 武士《さむらい》てえものがフツフツ嫌になり、文字どおり天涯孤独の一剣居士、青天井の下に筵をはって世間的なことはいっさい御免と、まくらに通う大川の浪音を友として、欠伸《あくび》の連続の毎日を送っているところへ……ある日突然、このチョビ安なる少年が、茶壺を抱えてとびこんできた。それを追っかけてまいこんだのが、あの、顔見知りのつづみの与吉――。
 それからというものは、眼まぐるしい走馬燈のよう。
 本郷の道場へ助《す》け太刀《だち》に頼まれていって、意外にも柳生の若様と斬り結んだり、それが後では、その源三郎といっしょになって不知火流の門弟を斬りまくったり……。
 そうかと思うと。
 親のないチョビ安に同情して、父子《おやこ》となって茶壺を預かることになったのだが、その日から、毎日毎晩得体の知れない人間が、この小屋のまわりをうろつく。侍や、町人や、御用聞きふうなのや――それらがみんなこのこけ猿の茶壺を狙っているようすだ。
 お申しつけの壺は、ところ天売りの小僧が持ち逃げして、あづま橋の下の、あの、白衣《びゃくえ》の幽霊ざむらい、丹下左膳という無法者の小屋にありやす……と、つづみの与の公が、司
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