ことなんです。
「父ちゃんがいつもいうわ」
 とお美夜ちゃんは、くりかえして、
「お侍なんて、つまんないものだ。食べるために、上の人にぺこぺこして、おまけに、眼に見えないいろんな綱で縛られているって……眼に見えない綱なら、いくらしばられていたって、見えないわね」
「ふうむ、そいつア理屈だ」
 チョビ安、小さな腕を仔細らしく組んで、
「おいらの父上も、そんなことを言ったっけ――」
 ピクンと耳を立てたお美夜ちゃん、ふしぎそうな顔に、よろこびの色を走らせて、
「父上……って? あら、安さん、あんた父ちゃんが見つかったの?」
「ううん、ほんとの父《ちゃん》じゃアねえんだ」
 とチョビ安は悲しげに、だがすぐうれしそうにニッコリして、
「あるお侍さんを、当分、父《ちゃん》――じゃアねえ、父上と呼ぶことになったんだよ。眼が一つで、腕が一本しかねえ人だ。とっても怖《おっか》ねえ人だけれど、おいらにゃアそれは親切で、おらア、ほんとの父《ちゃん》のように思っているんだ」
 しんみり話し出したチョビ安、不意に思い出して、その四角な木箱の包みをとりあげ、
「ホイ! こうしちゃアいられねえ。作爺《さくじい》さんに頼んで、此箱《これ》を預かってもらおうと思って来たんだ」

       三

 急にあわてだしたチョビ安、お美夜ちゃんを押しのけるように、溝板《どぶいた》を鳴らして路地へ駈け込みました。
「作爺《さくじい》さんはいるだろうな、家に」
 後を追って走りこみながら、お美夜ちゃんの返事、
「ええ、このごろずっと商売にも出ないのよ。あれっきりいなくなった安さんのことが気になって、それどころじゃないんですって」
「すまねえ。そんなに思っててくれるとは知らなかった」
 箱包みを抱えて、土間へ飛びこんだチョビ安は、昼間でも薄ぐらい三畳の間へ、大声をぶちまけて、
「作爺さん、いま帰《けえ》った。チョビ安さんのお里帰りだ。お土産を持って来たぜ」
 暗さに眼がなれてみると、その三畳はみじめをきわめた乱雑さで、壁には、お爺さんとお美夜ちゃんの浴衣《ゆかた》が二、三枚だらりと掛かり、その下の壁の破れから、隣の家の光線《ひかり》が射しこんでいる始末。商売用の羅宇《らう》のなおし道具は、隅に押しこめられて、狭い部屋いっぱいに、鉋屑《かんなくず》が散らばっているんです。
 そこにうごめいている影――作爺さんは、チョビ安の出現と同時に、何かひどく狼狽して、今まで削っていた小さな木片《きぎれ》を手早く押入れへほうりこみ、ぴっしゃり唐紙をしめきって、
「な、な、なんだ。チョビ安じゃあねえか。どうした」
 と、せきこんできく作爺さんの声には、チョビ安を迎える喜びと、隠していたものを見られはしなかったかという恐れとが、まじっているので――。
 ほんとうは彫刻師なのです、この作爺さんは。
 何か故あって、この裏長屋に身をひそめ、孫のお美夜ちゃんを相手に、羅宇直《らうなお》しの細い煙を立ててはいるものの、芸術的な本能やむにやまれず、捨てたはずの鑿《のみ》を取っては、こうして日夜人知れず、何かしきりに彫っているんです。
 その彫刻師という正体を、なぜかあくまで人に隠しておきたい作爺さんは、言い訳がましい眼とともに、そこらの木屑を片づけ、やっとチョビ安のために坐る場所を作ってやりながら、
「いったいきょうまでどこにどうしていたのだ、チョビ安。オ! 見りゃあ侍の雛形のような服装《なり》をしているが――その大きな箱包みは、なんだい」
 重要らしい顔で、静かにあがりこんだチョビ安は、
「わかる時が来れゃあ、何もかもわかる。それまで何も言わず、きかずに、この箱を預かってもらいてえんだ」
「それゃあ、ほかならねえお前の頼みだから、預からねえものでもねえが――」
 と、ふしぎそうな作爺さんの顔を、チョビ安はにやりと見上げて、
「おいらの身は決して心配することはねえ。それから、この箱がここにある間、入れかわりいろんな侍達が、なんのかんのと顔を出すかも知れねえが、そんな物は預かっていねえと、どこまでも白《しら》をきってもらいてえんだ。おいらはこれで、また当分来られねえかも知れねえから――」
「あら、来たと思ったら、もう帰るの。つまんないったらないわ」
 鼻声のお美夜ちゃんは、また涙顔です。

   矢文《やぶみ》


       一

「起きろっ……」
 刀のこじりが、とんと土に音立てて――。
「ウーム」
 答えるともなく呻いて、眼を開けた丹下左膳の瞳に、上からのし掛かるようにのぞいている顔が映った。一人《ひとり》、二人《ふたり》、三|人《にん》――。
 清水粂之助《しみずくめのすけ》、風間兵太郎《かざまへいたろう》らの率いる壺捜索の一隊。
 こけ猿の茶壺が、この橋下のほっ立て小屋に住む、丹下左膳の手
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