業。相当仕事はあるのだけれど、おやじがしようのない呑《の》んだくれで、ついこの間も、上の娘をどこか遠くの宿場へ飲代《のみしろ》に売りとばしてしまった。
 その他、しじみ屋、下駄の歯入れ、灰買い、あんま師、衣紋竹《えもんだけ》売り、説経祭文《せっきょうさいもん》、物真似、たどん作り……そういった人たちが、この竜泉寺《りゅうせんじ》名物、とんがり長屋の住人なので。
 お美夜ちゃんの父親、作爺さんの住いは、この棟割長屋の真ん中あたりにある。
 前も同じつくりの長屋で、両方から重なりあっている檐《のき》が、完全に日光をさえぎり、昼間も、とろんと澱《よど》んだ空気に、ものの腐った臭いがする。
 作爺さんの家のまえは、ちょうど共同の井戸端で、赤児をくくりつけたおかみさん連の長ばなしが、片時も休まずつづいている。
 羅宇屋《らうや》の作爺さん……上に煙管《きせる》を立てた、抽斗《ひきだし》つきの箱を背負って、街へ出る。きせるの長さは、八寸にきまっていたもので、七寸を殿中《でんちゅう》といった。価は八|文《もん》、長煙管の羅宇《らう》は、十二|文《もん》以上の定《さだ》め。
 が、このごろは作爺さんも、商売を休んで家にいる。
 それというのが……。
 壁つづきの隣は、この間まで、あの、ところ天売りのチョビ安のいた家で、いまはあき家になっている。
 あの日、朝出たっきり帰らないチョビ安を待って、お美夜ちゃんは、こうして日なが一日、路地の角にボンヤリ立ちつくしているのだ。
「お美夜や、いつまでそんなところに立っていてもしょうがねえ。へえんなよ」
 作爺さんが、白髪あたまをのぞかせてどなると、袂を胸に抱いたお美夜ちゃん、ニコリともせずに振り返った。

       二

「そんなところに立っていたって、チョビ安は帰って来はしないよ。うちへはいりなさいっていうのに」
 作爺さんはやさしい顔で呼びこもうとする。洗いざらした真岡木綿《もおかもめん》の浴衣《ゆかた》の胸がはだけて、あばらが数えられる。
「チョビ安は、この作爺やお美夜のことなど、なんとも思ってはいねえのだよ。だから、ああして黙って出たっきり、なんの音沙汰もねえのだ」
 そういう作爺さんの顔は、悲しそうである。
「あい」
 と素直に答えたが、お美夜ちゃんは、ちょっとふり向いただけで、またすぐ竜泉寺の通りへ眼を凝《こ》らすのだった。
 七歳《ななつ》のお美夜ちゃん……稚児輪《ちごわ》に結《ゆ》って、派手な元禄袖《げんろくそで》のひとえものを着て、眼のぱっちりしたかわいい顔だ。[#この行は底本では天付き]
 作爺さんの娘ということになっているが、父娘《おやこ》にしては、あまりに年齢《とし》が違いすぎる。実は、この作爺はお美夜ちゃんの父ではなく、お祖父《じい》さんなので、その間にも何か深い事情がありそう……。
 羅宇屋《らうや》の作爺さんとお美夜ちゃんが、このとんがり長屋の一軒に住んでいるところへ、どこからともなくあのチョビ安が、隣へ移って来たのは、一年とすこし前のことだった。
 家といっても、天井《てんじょう》の低い、三畳一|間《ま》ずつに仕切られた長屋。
 壁の落ちたすき間から、となりが丸《まる》見えだし、はなしもできる、まるで細長い共同生活なのだった。
 おとこの児の一人住まいなので作爺さんがいろいろ眼をかけてやると、ませた口をきくおもしろい子。
 お美夜ちゃんともすっかり仲よしになったので、こっちへ引き取っていっしょに暮らそうと言っても、チョビ安は変に独立心が強くて、この作爺さんの申し出には、小さな首を横に振った。
 そして、冬は、九|里《り》四|里《り》うまい十三|里《り》の、焼き芋の立ち売りをしたり……夏は、江戸名物と自ら銘うったところてんの呼び売り。
 聞けば、伊賀の生まれとかで、いつからか江戸に出て、親をさがしているのだという。
 なにか身につまされるところでもあるかして、チョビ安に対する作爺さんの親切は、日とともに増し、また、お美夜ちゃんも、子供ごころに甚《いた》くその身の上に同情したのだろう、ひとつ違いの二人は、ふり分け髪《がみ》の筒井筒《つついづつ》といった仲で、ちいさな夫婦《めおと》よと、長屋じゅうの冗談の的だったのだが……。
 そのチョビ安が、もうよほど前、ところ天の荷を担いで出たまま、いまだに帰らないのである。
 お美夜ちゃんは、それから毎日毎日、こうして角に出て待っているのだが、今、作爺さんに呼ばれてあきらめたものか、小さな下駄を引きずって路地をはいろうとすると、覚えのある澄んだ唄声が、町のむこうから――。
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「むこうの辻のお地蔵《じぞう》さん よだれくり進上、お饅頭《まんじゅう》進上……」
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   里帰《さとがえ》り


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