おってしまって、いまこの司馬道場の大玄関には、事ありげな馬のいななきと、武骨な伊賀弁とが、喧嘩のような、もの騒がしい渦をまいているので……。
三
植木屋がほんとか、武士姿がほんものか、それはまだお蓮さまには、見当がつきませんけれども、今その威と品をそなえた源三郎の顔すがたに、お蓮様が大いに興味をそそられたことは事実です。
いくらお祖父さんのような老夫であったにしても、良人《おっと》の葬式の日に、もう若い男を見そめてしまうなんて、ここらがお蓮様のお蓮さまたるところで、性質すこぶる多情なんです。
萩乃と自分との間へ座を占めた源三郎へ、お蓮さまはチラ、チラと横眼を投げて、心中ひそかに思えらく。
もとよりこれは、ただの植木屋ではあるまい。なにか大いに曰くのある人に相違ない。いや、たとえ植木屋の職人にしたところで、かまわない。じぶんはどんなことをしても、必ずこの青年の心とからだを手に入れよう……。
じぶんが、この自分の豊満な魅力を用いて近づく時、それをしりぞけた男性は、今まで一人もないのだから――死んだ司馬老先生|然《しか》り、この峰丹波然り……。
焼香の場です。おのずと顔にうかぶほほえみを消すのに、お蓮さまは、人知れず努力しなければなりませんでした。
この、お蓮様の心中を知らない丹波は、気が気じゃアない。
人もあろうに、選《え》りに選って、とんでもないやつに御礼包みが落ちたものだ――柳生源三郎ということは、どうせ知れるにしても、せめては一刻も遅かれ、そのあいだに、なんとか対策を講じなくては……と、懸命に念じていると!
静かに起《た》った柳生源三郎――。
袴の裾さばきも鮮かに、正面へ進んだ。焼香だ。
つまんでは拝んで、二度香をくべた源三郎、ふたつ続けて、音のない柏手をうちました。うち合わせる両の手をとめて、音を立てない。無音《ぶいん》のかしわ手……。
これは、忍びの柏手といって、神式のとむらいにおける礼悼《れいとう》の正式作法で……まず、よほどの心得。
その粛然として、一糸みだれない行動に、一座は思わず無言のうちに、感嘆の視線をあつめています。
萩乃は、まだうつむいたきりだ。
するとこのとき、その萩乃の忘れたことのないあの若い植木職の声が朗々《ろうろう》とひびいてきたのです。
「義父司馬先生の御霊《みたま》に、もの申す。生前お眼にかかる機会《おり》のなかったことを、伊賀の柳生源三郎、ふかく遺憾《いかん》に存じまする。早くより品川に到着しておりましたが、獅子身中の虫ともいいつべき、当道場内の一派の策動にさまたげられ、今日まで延引いたし、ただいまやっとまいりましたるところ、先生におかせられては、すでに幽明さかいを異《こと》にし……」
柳生源三郎!……と聞いて、はっと眼をあげた萩乃の表情! 同じお蓮様のおもて――ふたつの顔に信じられない驚愕の色が起こりました。それぞれの意味で。
源三郎は、霊前にしずかにつづけて、
「遅ればせながら、婿源三郎、たしかに萩乃どのと道場を申し受けました。よって、これなる父上の御葬式に、ただいまよりただちに喪主として……」
室内の一同、声を失っている。
お美夜《みや》ちゃん
一
角《かど》が付木屋《つけぎや》で、薄いこけら[#「こけら」に傍点]の先に硫黄をつけたのを売り歩く小父さん……お美夜ちゃんは、もうこれで一月近くも朝から晩まで、その路地の角に立っているのだった。
竜泉寺《りゅうせんじ》のとんがり長屋。
一ばん貧しい人たちの住む一|廓《かく》で、貧乏だと、つい、気持もとがれば、口もとがる。四六時ちゅう、喧嘩口論の絶え間はなく、いつも荒びた空気が、この物の饐《す》えたようなにおいのする、うす暗い路地を占めているところから、人呼んでとんがり長屋――。
鰯《いわし》のしっぽが失くなったといっては、喧嘩。乾しておいた破れ襦袢《じゅばん》を、いつのまにか着こんでいたというので、山の神同士の大論判。
こうして、長屋の連中、寄ると触《さわ》ると互いに眼を光らせ、口を尖らせているので、恐ろしく仲がわるいようだが、そうではない。
一|朝《ちょう》、なにか事があって外部に対するとなると、即座に、おどろくほど一致団結して当たる。ただふだんは口やかましく、もの騒がしいだけで、それがまた当人たちには、このうえなく楽しいとんがり長屋の生活なのだった。
つけ木屋の隣が、独身《ひとり》ものの樽《たる》買いのお爺さんで、毎日、樽はござい、樽はございと、江戸じゅうをあるきまわって、あき樽問屋へ売ってくるのである。
そのつぎは、文庫張《ぶんこば》りの一家族で、割り竹で編んだ箱へ紙を貼り、漆を塗って、手文庫、おんなの小片《こぎれ》入れなどをこしらえるのが稼
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