らしい盥《たらい》を置いて、萩乃やお蓮さまや、代稽古峰丹波の手で、老先生の遺骸に湯灌を使わせて納棺《のうかん》してある。
在りし日と姿かわった司馬先生は、経かたびら、頭巾、さらし木綿の手甲《てっこう》脚絆をまとい、六文銭を入れたふくろを首に、珠数を手に、樒《しきみ》の葉に埋まっている。四方流れの屋根をかぶせた坐棺の上には、紙製の供命鳥《くめいちょう》を飾り、棺の周囲に金襴の幕をめぐらしてあるのだった。
仏式七分に神式三分、神仏まぜこぜの様式……。
玄関の横手に受付ができて、高弟のひとりが、帳面をまえに控えている。すべて喪中に使う帳簿は紙を縦にふたつ折りにして、その口のほうを上に向けてとじ、帳の綴り糸も、結び切りにするのが、古来の法で、普通とは逆に、奥から書きはじめて初めにかえるのである。
大名、旗下、名ある剣客等の弔問、ひきもきらず、そのたびに群衆がざわめいて、道をひらく。土下座する。えらい騒ぎだ。
萩乃は、奥の一間に、ひとり静かに悲しみに服しているものとみえる。お蓮さまも、表面だけは殊勝げに、しきりに居間で珠数をつまぐりながら、葬服の着つけでもしているのであろう。ふたりとも弔客や弟子たちの右往左往するおもて座敷のほうには、見えなかった。
やがてのことに、わっとひときわ高く、諸人のどよめきがあがったのは、いよいよ吉凶禍福《きっきょうかふく》につけ、司馬道場の名物の撒銭《まきぜに》がはじまったのである。
江都評判の不知火銭……。
白無垢《しろむく》の麻裃をつけた峰丹波、白木の三宝にお捻りを山と積み上げて、門前に組みあげた櫓のうえに突っ立ち、
「これより、撒《ま》きます――なにとぞ皆さん、ともに、故先生の御冥福をお祈りくださるよう」
どなりました。りっぱな恰幅《かっぷく》。よくとおる声だ。
すると、一時に、お念仏やお題目の声が、豪雨のように沸き立って、
「なむあみだぶつ、なんみょうほうれんげきょう……!」
丹波は一段と声を励まし、
「例によって、このなかにたった一つ、当家のお嬢様がお礼とおしたためになった包みがござる。それをお拾いの方は、どうぞ門番へお示しのうえ、邸内へお通りあるよう、御案内いたしまする」
バラバラッ! と一掴み、投げました。
招かざる客
一
ひとつの三宝が空《から》になると、あとから後からと、弟子が、銭包みを山盛りにしたお三宝をさしあげる。
丹波はそれを受け取っては、眼下の人の海をめがけて、自分の金じゃアないから、ばかに威勢がいい。つかんでは投げ、掴んでは投げ……。
ワーッ! ワッと、大浪の崩れるように、人々は鬨《とき》の声をあげて、拾いはじめた。
拾うというより、あたまの上へ来たやつを、人より先に跳びあがり、伸びあがって、ひっ掴むんです。こうなると、背高童子が一番割りがいい。
押しあい、へし合い、肩を揉み足を踏んづけあって、執念我欲の図……。
「痛えっ! 髷《まげ》をひっぱるのあ誰だっ!」
「おいっ、襟首へ手を突っこむやつがあるか」
「何いってやんでえ。我慢しろい。てめえの背中へお捻りがすべりこんだんだ」
「おれの背中へとびこんだら、おれのもんだ。やいっ、ぬすっと!」
「盗人だ? 畜――!」
畜生っ! とどなるつもりで、口をあけた拍子に、その口の中へうまく不知火銭が舞いこんで、奴《やっこ》さん、眼を白黒しながら、
「ありがてえ! 苦しい……」
どっちだかわからない。死ぬようなさわぎです。
どこへ落ちるか不知火銭。
誰に当たるか不知火小町のお墨つき――。
見わたす限り人間の手があがって、掴もうとする指が、まるでさざなみのように、ひらいたりとじたりするぐあい、じっと見てると、ちょうど穂薄《ほすすき》の野を秋風が渡るよう……壮観だ。
「お侍さまっ! どうぞこっちへお撒きくださいっ」
と、女の声。かと思うと、
「旦那! あっしのほうへ願います。あっしゃアまだ三つしか拾わねえ」
あちこちから呶声がとんで、
「三つしか拾わぬとは、なんだ。拙者はまだ一つもありつかぬ」
「この野郎、三つも掴みやがって、当分不知火銭で食う気でいやアがる」
中には、お婆さんなんか、両手に手ぬぐいをひろげて、あたまの上に張っているうちに、人波に溺れて群衆の足の間から、
「助けてくれッ!」
という始末。おんなの悲鳴、子供の泣き声……中におおぜいの武士がまじっているのは、武士は食わねど高楊枝などとは言わせない、皮肉な光景で。
もっとも、さむらいは、例外なしに萩乃様のおひねりが目的だから、躍りあがって掴んでみては、
「オ! これは違う。おっ! とこれもちがう……」
違うのは、捨てるんです――じぶんの袂へ。
この大騒動の真っ最中、もう一つ騒動が降って湧いたというのはちょう
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