脱俗に仙味をおびてまいります。岩石か何か超時間的な存在を見るような、一種グロテスクな、それでいて涼しい風骨《ふうこつ》が漂っている。
 この暑いのに茶の十徳を着て、そいつがブカブカで貸間だらけ、一風宗匠は十徳のうちでこちこちにかたまっていらっしゃる。皮膚など茶渋を刷《は》いたようで、ところどころに苔のような斑点が見えるのは、時代がついているのでしょう。
 髪は、白髪をとおりこして薄い金いろです。そいつを合総《がっそう》にとりあげて、口をもぐもぐさせながら、矢立と筆をつき出したのを、対馬守はうなずきつつ受け取って、
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「明年の日光御用、当藩に申し聞けられ候も、御承知の小禄、困却このことに候、腹掻っさばき、御先祖のまつりを絶てばとて、家稷《かしょく》に対し公儀に対し申し訳相立たず、いかにも無念――」
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 対馬守がそこまで書くのを、子供のようににじりよって、わきからのぞきこんでいた一風宗匠、やにわに筆をもぎとって、
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「短気はそんき、とくがわの難題、なにおそれんや」
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 達筆です。一気に書き流した一風宗匠、筆をカラリと捨てて、ニコニコしている。
 対馬守はせきこんで、その筆を拾い上げ、
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「宗匠、遺憾ながら事態を解せず。剣力、膂力《りょりょく》をもって処せんには、あに怖れんや。ただ金力なきをいかんせん」
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 一風宗匠は依然として、植物性の静かな微笑をふくみ、
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「風には木立ち、雨には傘、物それぞれに防ぎの手あるものぞかし、金の入用には金さえあらば、吹く雨風も柳に風、蛙のつらに雨じゃぞよ」
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 さあ、対馬守わからない。

       四

「宗匠、何を言わるる。そ、その金がないから、予をはじめ家臣一同、この心配ではござらぬか」
 思わず対馬守は、口に出してどなったが、いかな大声でも、一風宗匠には通じないので。
 唖然《あぜん》たる対馬守の顔へ、宗匠は相変わらず、百年を閲《けみ》した静かな笑みを送りながら、また筆をとって、
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「金は何ほどにてもある故に、さわぐまいぞえ。剣は腹なり。人の世に生くるすべての道なり。いたずらに立ち騒ぐは武将の名折れと知るべし」
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 と書いた。百二十いくつの一風宗匠から見れば、やっと三十に近い柳生対馬守など、赤ん坊どころか、アミーバくらいにしかうつらないらしい。
 だから、いくら殿様でも対馬守、この一風宗匠に叱られるのは、毎度のことで、ちっともおどろかないが、金は何ほどでもある故に、騒ぐまいぞえ……という意外な文句に、ピタリ、驚異の眼を吸いつけられて、
「金はいくらでもあるという――」
 呻いたひとりごとが、すぐそばの寄りつきに待つ側近の人々の耳にはいったから、一同、わっと腰を浮かして、気の早い喜田川頼母《きたがわたのも》などは、
「金はいくらでもござりますと? どこに、どこに……」
 茶室へ駈けあがって来ようとするのを、寺門《てらかど》七|郎右衛門《ろうえもん》がとめて、
「まア、待たれい! この話には落ちがあるようだ。文献によれば、三百万両積んだ和蘭《オランダ》船が、唐の海に沈んでおるそうじゃから、それを引きあげればなんでもないとか、なんとか――」
「さよう、一風宗匠のいうことなら、おおかたそこらが落ちでござろう」
 と、もう一人が口をとがらし、
「城下のおんなどものかんざしを取りあげて、小判に打ち直せばいいなどとナ、うははははは、殿! かような危急な場合、たあいもない老人を相手に、いたずらに時を過ごさるるとは、その意を得ませぬ。早々御下山あってしかるべく存じまする」
「そうだ、そうだ、一風宗匠はおひとりで、夢の国にあそばせておくに限るて」
 まるで博物館あつかい――耳が聞こえないから、宗匠、何を言われても平気です。
 対馬守も、暗然として宗匠を見下ろしていたが、ややあって長嘆息。
「ああ、やはり年齢《とし》じゃ。シッカリしておられるようでも、もう耄碌《もうろく》しておらるる。詮ないことじゃ。ごめん」
 一礼して土間へおりようとすると対馬守の裾を、ガッシとおさえたのは一風宗匠だ。
 動かぬ舌をもどかしげに、恨むがごとく殿様を見上げておりましたが、すぐまた、筆に墨をなすって、
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「かかる時の用にもと、当家御初代さまの隠しおきたる金子《きんす》、幾百万両とも知れず。埋めある場処は――」
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 眼をきらめかせた対馬守、じっと宗匠の筆のさきを見つめていると、
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「――こけ猿の壺にきけ」
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 と一風の
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