筆が書きました。
五
こけ猿の茶壺にきけ――対馬守が、口のなかでつぶやいて、小首を傾けるのを、じっと見つめていた一風宗匠は、やがて筆をとって懐紙《かいし》に、左の意味のことをサラサラと書き流したのです。
それによると……。
剣道によって家をなした柳生家第一代の先祖が、死の近いことを知ると同時に、戦国の余燼《よじん》いまだ納まらない当時のこととて、不時の軍用金にもと貯えておいた黄金をはじめ、たびたびの拝領物、めぼしい家財道具などをすべて金に換えて、それをそっくり山間の某地に埋めたというのである。
「山間の某地にナ」
と対馬守は、眼をきらめかして、
「夢のごとき昔語りじゃ」
と、きっと部屋の一隅をにらんだ。
すると、殿の半信半疑の顔を見た一風宗匠は、また筆をうごかして、
[#ここから2字下げ]
「在りと観ずれば在り。無しと信ずれば無し。疑うはすなわち失うことなり」[#この行は底本では3字下げ]
[#ここで字下げ終わり]
「ふうむ……」
腕こまぬいた対馬守のようすに、家来たちも、もうふざけるものはない。みんな円座から乗りだして、肩を四角くしている。
対馬守は、筆談をつづけて、
[#ここから2字下げ]
「その儀事実とあらば、藩主たる予の今まで知らざりしこと、まことに合点ゆかず」
[#ここで字下げ終わり]
一風宗匠の応答……。
[#ここから2字下げ]
「用なきときに子孫に知らすれば、無駄使いするは必定。さすれば、かかる場合もやと、まさかの役に立てんと隠しおきたる御先君の思召し相立たずそうろうことと相なり――」
[#ここで字下げ終わり]
苦笑した対馬守は、
[#ここから2字下げ]
「されど、天、宗匠に嘉《か》するに稀有《けう》の寿命をもってしたれば、過《か》なかりしも、もし宗匠にして短命なりせば、いつの日誰によってかこれを知らん。家中のもの何人も知らずば、大金いたずらに土中に埋ずもれんのみ。心得難きことなり」
「その不都合は万々これなし。迂生《うせい》臨終のさいは、殿に言上いたすべき心組みに候いき」
[#ここで字下げ終わり]
濶然《かつぜん》と哄笑した一風は、なおも筆を走らせ、
[#ここから2字下げ]
「大金の所在は、壺中にあり」
[#ここで字下げ終わり]
急《せ》きこんだ柳生対馬守、
[#ここから2字下げ]
「壺中にありとは、これいかに」
「埋没の個処を詳細紙面にしるし、これをこけ[#「こけ」に傍点]猿の壺中に封じあるものなり」
[#ここで字下げ終わり]
そのこけ猿の茶壺は、弟源三郎に持たせて、江戸へやってしまった!
対馬守は、大いにあわてて、紙を掴みとるなり、大書しました。
[#ここから2字下げ]
「うずめある場所は、宗匠御存じなきや」
「何人もこれを知らず。その地図は、こけ猿の茶壺に封じ込めあるをもって、茶壺をひらけ」[#この行は底本では天付き]
[#ここで字下げ終わり]
長い筆談に疲れたものか、宗匠はカラリと筆を投じて、不機嫌に横を向いてしまった。
六
大金をうずめてある個処を示した秘密の地図が、こけ猿の茶壺に封じてある――なんてことは、だれも知らないから、彼壺《あれ》はもうとうのむかしに、司馬道場に婿入りする源三郎の引出ものとして、江戸へ持たしてやってしまった!
あとの祭り……。
その黄金さえ掘り出せば、日光御修繕なんか毎年引き受けたってお茶の子サイサイ、柳生の里は貧乏どころか西国一はもちろん、ことによると海内《かいだい》無双の富裕な家になるやも知れない――。
「しまったっ」
と呻ったのは、対馬守です。主君から一伍一什《いちぶしじゅう》を聞いた高大之進《こうだいのしん》、大垣《おおがき》七|郎右衛門《ろうえもん》、寺門一馬《てらかどかずま》、駒井甚《こまいじん》三|郎《ろう》、喜田川頼母《きたがわたのも》の面々《めんめん》、口々に、
「惜しみてもあまりあること――」
「まだなんとか取りかえす途《みち》は……」
「イヤ、かのこけ猿の茶壺は、茶道から申して名物は名物に相違ござるまいが、門外不出と銘うって永代当家に伝わるべきものとしてあったのは、さような仔細ばなしござってか。道理で――」
「それを知らずに、源三郎様につけて差しあげたのは、近ごろ不覚千万!」
「迂濶《うかつ》のいたりと申して、殿すら御存じなかったのじゃから、だれの責任というのでもござらぬ。あの老いぼれの一風が、もうすこし早くお耳に入れればよいものを……」
「だが、かような問題が起こらねば、一風は死ぬ時まで、黙っておる所存であったというから――」
「おいっ! おのおの方、司馬道場への婿引出は、何もあの壺とは限らぬのだ。なんでもよいわけのもの。ただ、絶大の好意を示す方便として、御当家においてもっとも重
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