知る。すっかり仲よしになって本郷の道場をあとに、ブラリ、ブラリ歩きだしながら、左膳、
「だが、おらアそのうちに、必ずお前の首を斬り落とすからナ。これだけは言っておく」
「うははははは、尊公に斬り落とさるる首は、生憎《あいにく》ながら伊賀の暴れン坊、持ち申さぬ。そ、それより、近いうちに拙者が、ソレ、その、たった一つ残っておる左の腕《かいな》をも、申し受ける機《おり》がまいろう」
左膳はニヤニヤ笑って歩いて行くが、これでは、仲よしもあんまり当てにならない。
ツと立ちどまって、空を仰いだ源三郎、
「あ、星が流れる……ウ、ム……さては、ことによると、司馬道場の老先生が、お亡くなりに――し、しまったっ!」
「あばよ」
左膳は横町へ、
「星の流れる夜に、また会おうぜ」
ひとこと残して、ズイと行ってしまった。
もの思いに沈んで、うなだれた源三郎は、それから品川へ帰って行く――。
根岸の植留が、司馬道場へ入れる人工《にんく》をあつめていると聞きだして、身をやつして桂庵《けいあん》の手をとおしてもぐりこんだ源三郎、久しぶりに八ツ山《やま》下の本陣、鶴岡市郎右衛門方へ帰ってきますと、安積玄心斎《あさかげんしんさい》はじめ供の者一同、いまだにこけ猿の茶壺の行方は知れず、かつは敵の本城へ単身乗りこんで行った若き主君の身を案じて、思案投げ首でいました。
旅《たび》の衣《ころも》は
一
吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振り袖で……そんな暢気《のんき》なんじゃない。
その吉田は。
松平伊豆守《まつだいらいずのかみ》七万石の御城下、豊川稲荷《とよかわいなり》があって、盗難よけのお守りが出る。たいへんなにぎわい――。
ギシと駕籠の底が地に鳴って、問屋場の前です。駕籠かきは、あれは自分から人間の外をもって任じていたもので、馬をきどっていた。
馬になぞらえて、お尻のところへふんどしの結びを長くたらし、こいつが尾のつもり、尿《いばり》なんか走りながらしたものだそうで、お大名の先棒をかついでいて失礼があっても、すでに本人が馬の気でいるんだから、なんのおとがめもなかったという。
冬の最中、裸体で駕籠をかついで、からだに雪が積もらないくらい精の強いのを自慢にした駕籠かき、いまは真夏だから、くりからもんもんからポッポと湯気をあげて……トンと問屋場のまえに駕籠をおろした二組の相棒、もう、駕籠へくるっと背中を見せて、しゃがんでいる。
駕籠は二|梃《ちょう》――早籠《はや》です。
先なる駕籠の垂れをはぐって、白髪あたまをのぞかせたのは、柳生対馬守の江戸家老、田丸主水正《たまるもんどのしょう》で、あとの駕寵は若党|儀作《ぎさく》だ。
金魚くじが当たって、来年の日光御用が柳生藩に落ちたことを、飛脚をもって知らせようとしたが、それよりはと、主水正、気に入りの若党ひとりを召しつれて、東海道に早籠《はや》を飛ばし、自分で柳生の里へ注進に馳せ戻るところなので……。
駕籠から首をつき出した田丸主水正、「おいっ! 早籠《はや》じゃ。御油《ごゆ》までなんぼでまいるっ」
駅継《えきつ》ぎなのです。
筆を耳へはさんだ問屋場の帳づけが、
「へえ、二里半四町、六十五|文《もん》!」
「五十|文《もん》に負けろっ!」
円タクを値切るようなことをいう。
「定《き》めですから、おウ、尾州《びしゅう》に因州《いんしゅう》、土州《としゅう》に信州《しんしゅう》、早籠《はや》二梃だ。いってやんねえ」
ノッソリ現われたのは、坊主あたまにチャンチャンコを着たのや、股に大きな膏薬を貼ったのやら……。
エイ! ホウ! トットと最初《はな》から足をそろえて、息杖振って駈け出しました。
吉田を出ると、ムッと草の香のする夏野原……中の二人は、心得のある据わり方をして、駕籠の天井からたらした息綱につかまってギイギイ躍るのも、もう夢心地――江戸から通しで、疲れきっているので。
二
坂へかかって駕籠足がにぶると、主水正は夢中で、胸に掛けたふくろから一つかみの小銭《こぜに》をつかみ出し、それをガチャガチャ振り立てて、
「酒手《さかて》ッ……酒手ッ――!」
余分に酒手をやるという。じぶんでは叫んでるつもりだが、虫のうめきにしか聞こえない。
長丁場で、駕籠かきがすこしくたびれてくると、主水正、「ホイ、投げ銭だ……」
と駕籠の中から、パラパラッと銭を投げる。すると、路傍にボンヤリ腰かけていた駕籠かきや、通行の旅人の中の屈強で好奇《ものずき》なのが、うしろから駕籠かきを押したり、時には、駕籠舁きが息を入れるあいだ、代わってかついで走ったり……こんなことはなかったなどと言いっこなし、とにかく田丸主水正はこうやって、このときの早駕籠《はや》を乗り切
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