ながら、玄心斎、柿いろ羽織の袂をひるがえして、サッ! 障子をあけた。
「殿ッ! さような者とおられる場合ではござらぬ。だいぶ話がちがいまするぞ」
 夜なので、行燈はすっかり出はらって、がらんとした部屋……煽《あお》りをくらった手燭が一つ、ユラユラと揺れ立って、伊賀の若様の蒼白い顔を、照らし出す。
 兄対馬守をしのぐ柳生流のつかい手、柳生源三郎は、二十歳《はたち》か、二十一か、スウッと切れ長な眼が、いつも微笑《わら》って、何ごとがあっても無表情な細ながい顔――難をいえば、顔がすこし長すぎるが、とにかく、おっそろしい美男だ。
 今でいえば、まあ、モダンボーイ型というのだろう。剣とともにおんなをくどくことが上手《じょうず》で、その糸のような眼でじろっと見られると、たいがいの女がぶるると嬉しさが背走《せばし》る。
 そして、源三郎、片っぱしから女をこしらえては、欠伸《あくび》をして、捨ててしまう。
 今もそうで、旅のうらない師というこの若い女を引き入れているところへ、ちょっと一目《いちもく》おかなければならない玄心斎の白髪あたまが、ぬうっと出たので、源三郎、中《ちゅう》っ腹《ぱら》だ。
「み、見つかっては、し、仕方がない」
 と言った。そして、女を押し放そうとしたとき、
「門之丞めが戻りおって、申すには……」
 言いかけた玄心斎、ぽうっと浮かんでいる女の顔へ、眼が行くなり、
「ヤヤッ! 此奴《こやつ》はっ――!」
 呻いたのです。

       四

 藍《あい》の万筋結城《まんすじゆうき》に、黒の小やなぎの半えり、唐繻子《とうじゅす》と媚茶博多《こびちゃはかた》の鯨《くじら》仕立ての帯を、ずっこけに結んで立て膝した裾のあたりにちらつくのは、対丈緋《ついたけひ》ぢりめんの長じゅばん……どこからともなく、この本陣の奥ふかく紛れこんでいたのだが、その自《みずか》ら名乗るごとく、旅のおんな占い師にしては、すこぶる仇《あだ》すぎる風俗なので。
「若は御存知あるまいが、この者は、妻恋坂司馬道場の奥方、お蓮さまの侍女《こしもと》でござる。拙者は、先般この御婚儀の件につき、先方へ談合にまいった折り、顔を見知って、おぼえがあるのだ」
 お蓮さまというのは、司馬老先生の若い後妻である。玄心斎の声を、聞いているのか、いないのか――黒紋つきの着流しにふところ手をした源三郎、壁によりかかって、そ
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